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いつものクリニックの帰り
公園を通る
なんだか気の早い梅の花
小学生の頃はピンクのクレヨンで
描かれていた
今は
夫と娘と三人
主の御手で描いている
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↓:はな
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「わたしの着物にさわったのはだれか」。
(マルコによる福音書第5章 30節 )
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主はいつもどこでもあなたに「はい、主よ、わたしでございます」と
答えてもらいたくて「わたしの着物にさわったのはだれか」と問いつづけて
おられる。わたしたち正統的クリスチャンとしては一人でも多く「はい、
わたしでございます」 . . . 本文を読む
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いつものように
ことしもまた
主よりの贈り物をさがそう
その季節になったなら
まっすぐに天を指している
あの土筆の群れを
ことしもさがそう
主の住居なる天を
あの小さな矢印は
あまりにもまっすぐ
なんのまよいもない
わたしの魂のふるさとを
指 . . . 本文を読む
この者たちは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。
なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。
また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、
忠実な者だからです。
(ヨハネの黙示録第17章 14節 )
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この黙示録には「獣」と表現される、まことに悪さばかりする
悪魔みたいな . . . 本文を読む
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ひとりでは
満たされない
愛といのち
ひとりひとりが
寄り添えば
宇宙を突き抜けるほどの
愛といのち
この愛に生きよう
このいのちに生きよう
ふたり寄り添って
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↓:♥。 ♡。
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第三の者が、その鉢を川と水の源に傾けた。
すると、みな血となった。
(ヨハネの黙示録第16章 4節 )
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主よ、これは読んで字のごとくヘンチクリンなおどろおどろしいこと
ではなく、もっともっと生命に対して脅威的なことです。
生物化学兵器のことを指しているのではないかという気がしますし、
川や潮や海 . . . 本文を読む
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雨のしずくが
ひかりを放っている
まるで主からのひかりをいただいて
「ほら みなさん 主よりの光ですよ」と
全宇宙のすべてのいのちあるものたちに
叫んでいるかのようだ
わたしは腕を組んで
まるで教会の祭壇へ向かって歩くように
雨のしずくがはなつ
ひかりの中を
主への讃美とともに . . . 本文を読む
見よ。わたしは盗人のように来る。
(ヨハネの黙示録第16章 15節 )
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これは、生命体(心と魂と肉体がある)ならいつでもどんなときでも
あてはまる。もちろんどこにいても。
思いがけないときに、主の訪問を受ける。主と顔と顔をあわせてお会い
できるということである。
何も再臨なさるときだけとは限らない。 . . . 本文を読む
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祈りを枕に
今日という日も
明日という日も
数えないようにしよう
そして
今という時間(とき)も
時計という
無愛想な小悪魔は
ひとりひとりにとっての
本当の時間(とき)など
おかまいなしだ
夜は星明りを
ひとつひとつ消すべき時間(とき)を
知っているとい . . . 本文を読む
また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、
「レギオンと言います。大勢ですから」と答えた。
(マルコによる福音書第5章9節 )
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上記引用聖句で主イエス・キリストと話しているレギオンという人は
現代で言うなら精神病である。
自分がいくつにも分裂してしまってもはやこの人には自分がひとりという . . . 本文を読む