父も創られず、
子も創られず、
聖霊も創られず、
(アタナシオ信教)
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これはフツーのクリスチャンであるわたしが朝晩にお祈りしている「祈りの言葉」の一節だ。
キリスト教の根幹とも言うべき「三位一体」のことだ。
父(天の父なる神さま)と子(主イエス・キリスト)と聖霊(天の父と子なる神・主 . . . 本文を読む
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あなたが愛した
わたしの弱さを
誇ろう
あなたが愛した
わたしの甘えを
誇ろう
弱いまま
甘えのまま
地球でひとり
泣いていた
わたしを
あなたは
愛してくれたから
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. . . 本文を読む
光はあらゆる善意と正義と真実との実を
結ばせるものである。
(エペソ人への手紙 第5章 9節 )
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このみことばに、フツーのクリスチャンのわたしは主イエス・キリストよりの愛と正義と自由を見る。
聖書、特に新約聖書はあらゆる哲学を生みだした。
あのリンカーン大統領(合衆国第16代)の「人民の人 . . . 本文を読む
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いとしさから
恋というものが生まれた
いとしさから
愛というものが生まれた
いとしさから
ああ いとしさから
無限大の
愛というものが生まれた
ああ いとしさが
すべての悲しみを包んだ
すべての傷を包んだ
ああ いとしさから始まって
. . . 本文を読む
「いったい、このかたはだれだろう。
お命じになると、風も水も従うとは」。
(ルカによる福音書 第8章 第25節 )
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主イエス・キリストは、いわゆる「パワー」なるものを持って奇跡を起こす単なる教祖ではない。
フツーのクリスチャンのわたしにとっては、わたしの救い主であり、わたしの神だ。だから主イエ . . . 本文を読む
人の血を流す者は、人に血を流される、
神が自分のかたちに人を造られたゆえに。
(創世記 第7章 第6節 )
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上記の聖書の言葉はいわゆる「因果応報」の思想ではない。
わたしはフツーのクリスチャンとして最も重い罪は「殺すこと」だと思っている。以前にも書いたが、人間は他の生き物を命あるものを殺さなけれ . . . 本文を読む
主よ
わたしのすべての願いはあなたに知られ、
わたしの嘆きはあなたに隠れることはありません。
(詩篇 第38篇 第9節 )
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フツーのクリスチャンのわたしは、わたしの救い主、わたしの神、主イエス・キリストにわたしのすべてが完全に知られているということに何ものにも代えがたい「安心感」を覚える . . . 本文を読む
神おひとりのほかに、だれが罪を許すことができるのか。
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上記のことばは、主イエス・キリストがある病人をいやし、いやしただけではなくその病人に「人よ、あなたの罪は許された」と言った時、当時の宗教指導者たちが主イエス・キリストをいわばイジメにもならないイジメのために言った言葉だ。
この言葉だけを見るとまぎれもなく「正論」だ . . . 本文を読む
「神がわれわれにされたこのことは何事だろう」
(創世記 第42章 第28節 )
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上記の言葉は、フツーのクリスチャンなら誰でも常に頭の中に存在するものだ。
何か事が起こった時、それが自分にとって良いことであれ、悪いことであれ、主イエス・キリストが「ほら、わたしがあなたに起こしたことの意味を考え . . . 本文を読む
主が仰せられると、そのようになり、
命じられると、堅く立ったからである。
(詩篇 第33篇 第9節)
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主イエス・キリストによる天地創造を表現した一節である。
「主が仰せられるとそのようになり」とは、主なる神イエス・キリストが「みことば」を発せられて、天地万物が造られたということ . . . 本文を読む