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主よ、わたしたちはともすればなんとかしてこのみすぼらしく
弱い土の器を飾りたてようとします。
しかしこの土の器の奥底には主の主王の王主イエス・キリストが坐しておられます。
そこから発する主の光でわたしは飾っていただこうと思います。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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主は私の泣く声を聞かれたのだ。
主は切なる願いを聞かれた。
主は私の祈りを受け入れられる。
(詩篇第6篇 8から9節 )
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わたしたち主にある小さな三人の家族は、この聖句を日常生活のただ中で毎日毎日まさに体験させていただいている。
主ご自身をとてもとても身近に感じることができる。
このことを感謝し . . . 本文を読む
地上に平和をもたらすために、わたしが来たと思うな。
平和ではなく、つるぎを投げ込むために来たのである。
(マタイによる福音書 第10章 34節 )
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ただ武器を使用して軍隊と軍隊が戦うだけが戦争ではない。
主のみことばを日常生活の中でいかに行なうかが問われている。
両親とぶつかることもあろう。
ある . . . 本文を読む
あなたがたは、ほんのわずかなパン種が、粉のかたまり全体を
ふくらませることを知らないのですか。
(コリント人への第一の手紙 第5章 6節 )
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主よ、わたしはほんのわずかのパン種としてしか主イエス・キリストのみことばを知りかつ行なうことのできない酷いパンです。
主よ、あなたご自身のみことばこそわたしの . . . 本文を読む
こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、
また神の奥義の管理者だと考えなさい。
この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。
(コリント人への第一の手紙 第4章 1から2節 )
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「万人祭司説」の根本は上記引用の聖句のように、各自、主ご自身に祈り求めることである。
主イエス・キリストの御名 . . . 本文を読む
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あなたは自分がなぜここにいて、こうしているのだろう?
この人と共にいるのだろう? と考えたことがあるだろうか?
存在することの意味である。
およそこの地球上のあらゆる哲学、思想、宗教はここから始まっていると思ってよいと主は言われる。
(なかには人殺しをすすめたり、自殺を気軽にすすめたりする哲学、思想、宗教もあるから注意しな . . . 本文を読む
こころの貧しい者はさいわいである
天国は彼らのものである。
(マタイによる福音書 第5章 3節 )
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主よ
わたしは
こころの貧しい者です
だから
せっかくあなたから
みことばをいただいても
わたしには書く力がありません
あなたのみことばは
光を . . . 本文を読む
私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、
すべてのものはこの神から出ており、私たちも
この神のために存在しているのです。
また、唯一の主なる神イエス・キリストが
おられるだけで、すべてのものはこの主によって
存在し、私たちもこの主によって存在するのです。
(コリント人への第一の手紙 第8章 6節 )
☆★☆★ ☆★☆★ . . . 本文を読む
主イエスを重大視している。
主に賭けている。
主を頼りとし、誇りとし、人生の関心の優先順位
第一においている。
もっと言えば、「主イエスを愛している」、
分かりやすく言えば、「主イエスが何よりも好きだ」
ということです。
そしてそれは、私たちが主イエスによってどんなに大切に
されているか、どんなに愛されているかということから来るのです。
. . . 本文を読む
あなたはみ手を開いて、
すべての生けるものの願いを飽かせられます。
(詩篇145編 16節 )
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「生命体(心と魂と肉体をもつもの)の神学」という神学をわたしたちは与えられている。
「主の創造の全宇宙の生命のシステム」という思想である。
主は一種属が絶滅させられることを決して断じてお望みではない。
. . . 本文を読む