あなたがたは聖書の中に永遠の命があると思って
調べているが、この聖書はわたしについてあかしする
ものである。
(ヨハネによる福音書 第5章 39節 )
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わたしたちは「聖書」そのものまで偶像にしてしまうものである。
「聖書」が何か神そのもののように思ってしまう。
しかし「聖書」は主ご自身のこと . . . 本文を読む
この教えを持たずにあなたがたのところに来る者が
あればその人を家に入れることも、あいさつをすることも
しては、そのような人にあいさつする者は、その悪い行いに
あずかることになるのである。
(ヨハネの第二の手紙 10,11節 )
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わたしはあいさつと言ったら主の教えのとおり
たとえば英語で . . . 本文を読む
「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」
(ヨハネによる福音書 第18章 31節 」
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これは「十戒」の第六戒「汝殺すなかれ」に基づいた二千年前のイスラエルの
正義の思想である。わたしたちは人間同士だけでなく、衣食住に必要な生命体を
必要最低限度を超えて「殺してはならない」。
誰もが銃を持ちバ . . . 本文を読む
「恐れるな」ということは、あなたは「赦されている」ということでしょう。
赦しがなければ、恐れることは止まないと思うのです。
恐れるな、あなたが赦されている。
だからこそ、主は「あなたがたのための」救い主だと言われるのです。
あなたがたの赦しのために救い主が来ているのです。
あなたがたはもはや無価値ではない。
自分をのろってはならない。
主イエス . . . 本文を読む
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わたしたち主にある小さな3人の家族を
主がとこしえに抱きしめていてくださる
そして
共に嘆いてくださる
共に悲しんでくださる
共に泣いてくださる
共に祈ってくださる
共によろこんでくださる
主の十字架を
信じるがゆえに
主の復活を信じるがゆえに
今日はクリスマス
. . . 本文を読む
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
(ヨハネによる福音書 第15章 5節 )
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わたしは実際に幼い頃住んでいた家の庭に植えられていたぶどうの木を
見たことがある。
大きなぶどう棚に大きく幾本もの枝を広げてとても立派なぶどうの木だった
ことを覚えている。
だから主イエス・キリストのおっ . . . 本文を読む
私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに
専念しなさい。
(テモテの第一の手紙 第4章 13節 )
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教会の責務はまず第一にお祈りである。
第二に主よりのみことばの宣教である。
この二つのことに教会は全力をあげて主とともに
励まなくてはならない。
「聖書」を熟読することはわたしたちクリスチャ . . . 本文を読む
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている
乳飲み子を見つけるだろう。
(ルカによる福音書 第2章 12節 )
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この主イエス・キリストの無防備さを見よ。
主はこの地球上で国と国とがけっして戦争を起こさないように
「無防備」かつ「貧しく」なってほしいのである。
いわゆるお国自慢のごりっ . . . 本文を読む
必ず救い出すことができる。
(サムエル記上 第30章 8節 )
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わたしたちは主が苦難をお与えになることを知っている。
しかしなぜ主が「こんな苦しいことを与えるのだろう?」と
とこしえに主に祈り求める姿勢をなくしてはいけない。
わたしたちに与えられた「とこしえの宿題」である。
それこそとこしえに「答え」 . . . 本文を読む
そしてさらに、クリスマスでの神の到来は、神の信頼の行為です。
神が人間を信頼し、人間に希望を掛けておられる。
もし人間嫌いの神で、世界を嫌悪する神であったら、
また人間不信の神であったら、どうして人となってわたしたちの
もとに宿られるでしょうか。
(「クリスマスメッセージ」近藤勝彦著 教文館 )
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