それは、偽ることのあり得ない神に立てられた
ふたつの不変の事柄によって、前におかれている望みを
捕えようとして世をのがれてきたわたしたちが、力強い
励ましを受けるためである。
この望みは、わたしたちにとって、いわば、魂を安全にし
不動にする錨であり、かつ「幕の内」に入り行かせるものである。
(ヘブル人への手紙第6章18節 )
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上記に引用した聖句の”ふたつの不変の事柄”とは、主イエス・キリストの十字架の死とそこからの復活の事実である。
ここで言われている”望み”とは”神の愛といのち”のうちに生きることである。つまり主イエス・キリストの十字架はまぎれもなく、この”わたしたちのため”であり、その十字架の死からの復活もこの”わたしたちのため”であるという確信を必要とする。そしてこの「確信」は主イエス・キリストご自身からあなたに与えられるものだ。
このフツーのクリスチャンであるわたしは「主イエス・キリストの復活のいのちに生かされることでやっと存在していられる小さな人間に過ぎない」との「確信」が与えられ「やっとこさ、どうにかこうにかクリスチャンにしていただいている」のだ。
この「主イエス・キリストの復活のいのち」は主イエス・キリストを自分の救い主として自分の神として信じる者には何も特別な条件もなく与えられる。主イエス・キリストを信じる信仰心さえあれば、無条件で与えられるものである。
さあ、あなたも今日主イエス・キリストの御声を聴いたなら、ためらわず主イエス・キリストを信じよう。そして永遠のいのちに至る主イエス・キリストの復活のいのちに生かされる者にしていただこうではないか!
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↓:生かされる。
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この望みは、わたしたちにとって、いわば、魂を安全にし
不動にする錨であり、かつ「幕の内」に入り行かせるものである。
(ヘブル人への手紙第6章18節 )
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上記に引用した聖句の”ふたつの不変の事柄”とは、主イエス・キリストの十字架の死とそこからの復活の事実である。
ここで言われている”望み”とは”神の愛といのち”のうちに生きることである。つまり主イエス・キリストの十字架はまぎれもなく、この”わたしたちのため”であり、その十字架の死からの復活もこの”わたしたちのため”であるという確信を必要とする。そしてこの「確信」は主イエス・キリストご自身からあなたに与えられるものだ。
このフツーのクリスチャンであるわたしは「主イエス・キリストの復活のいのちに生かされることでやっと存在していられる小さな人間に過ぎない」との「確信」が与えられ「やっとこさ、どうにかこうにかクリスチャンにしていただいている」のだ。
この「主イエス・キリストの復活のいのち」は主イエス・キリストを自分の救い主として自分の神として信じる者には何も特別な条件もなく与えられる。主イエス・キリストを信じる信仰心さえあれば、無条件で与えられるものである。
さあ、あなたも今日主イエス・キリストの御声を聴いたなら、ためらわず主イエス・キリストを信じよう。そして永遠のいのちに至る主イエス・キリストの復活のいのちに生かされる者にしていただこうではないか!
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