パウロが枯れ枝を一抱え集めて火にくべると、
熱気のために一匹のまむしが這い出して来て彼の手に
かみついた。
島の人々が、この生き物がパウロの手にぶら下がっている
のを見て、言い合った。
「この人はきっと人殺しだ。海からは救われたが、正義の女神
はこの人を生かしておかなかったのだ」。
しかし、パウロはその生き物を火の中に振り落として、何の害も
受けなかった。
(使徒行伝第28章 3から5節 )
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パウロのようにいつも神を礼拝しお祈りをしているとたとえまむしに
かまれても毒の害は受けない。
わたしはパウロのようにいつも主なる神といっしょではないが上記引用聖句の
パウロのような経験がある。
明らかに毒薬物が入っているというのがわかっていて食べたものがあったが何の
悪い害も受けなかったのである。
その時わたしは今現在のようにクリスチャンだったが「お祈り」の習慣がまるっきり
なかった。しかし、共に食べていた夫がお祈りをしてくれたものと思われる。
とにかく上記引用聖句のパウロのような経験を主なる神よりさせていただいたのだと
あとから知った。
感謝のきわみである。とにかく主を信じてお祈りと共にあることである。
主を信じてお祈りと一つになっていれば何の害も受けない。
主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
主の御名はほむべきかな。
アーメン。
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