周知のとおり、ルターに始まるプロテスタンティズムは
職業や労働を積極的に受け止め、そこに神の召命(ベルーフ)を
認め、働くことを通して、神と人とに仕えることができる
のであると考えた。
(「キリスト教入門5:キリスト教と現代」・日本キリスト教出版局)
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わたしはフツーのクリスチャンとして、他者の職業を知るとき、同時にその人に与えられたタラント(才能)を見せていただく。
その個人に主より与えられた才能は誰によっても、何によっても取り消すことのできないものだ。主がその人をそのように創造したもうたのだから。
だからよく「親の反対を押し切って、あの人は、女のくせに医者になったんだって」、「あの人親戚中が大反対したのに牧師になるんだって」そのくせ「親にまだお金を出してもらっているんだ」などと噂話を聞く時、わたしはフツーのクリスチャンとして首を傾げざるを得ない。
タラントを無駄にしないように精進することは決して間違ってはいない。そのために一時は家族の援助を受けなくてはならない場合もあるだろう。一人の努力では足りなければサポートする態勢も必要な場合もあろう。
どんな職業でも構わない。職業に貴賤はない。
誰も個人の職業を否定したりはできない。
それはその人に与えられた主イエス・キリストよりの才能を最も良くその人が表現できるものだし、そのことによって、その人が神と人とに仕えているというのがわたしはフツーのクリスチャンの信仰の立場である。
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