☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
わたし自身のことを告白すると、バプテスマは何十年も前に授けられたが、真の回心はその後なかなか与えられなかった。
このブログの記事を書かせていただくことを決意した時、わたしは以下のように神に祈った。
「主よ、わたしに誰よりも鋭い良心をください。
主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン」。
このお祈りを主はとてもよろこんでくださったのだろう。
わたしはそれまで考えたことのないことまで主の御前で考えさせていただくようになった。
そしてわたしを悩ましていた精神の病もとても良くしていただいた。
心身ともにさいなまされていた悪癖もきれいさっぱり取り除いていただいた。
ここでわたしが思うことは、主はしばしば「悪」をそのまま放っておく。しかしこれは主の「愛」であるということだ。
「悪」は主の御前で自分の良心の痛みを起こさずにはおかない。
だから主はその人が主の御前で自分の「悪」を痛いと思うまで放っておかれ、そして「良く回心したよ」と両手をあげて御許迎えてくださるのである。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
↓:悪と愛
にほんブログ村
aihasubetewokutikusisubetewotutumikomuaihaakuwohorobosiwatasitaiwoseinarumononisitekudasarunodearu.