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名著と言われるキルケゴールの「不安の概念」をお読みになったことがある方は多いと思う。
わたしは「読書家」などと言われているわりにはこの名著を読んでいない。買い求めたのにである。ついぞ読む機会を逃してしまった。深く悔いている。
少女ジーザス的に言わせてもらうと「不安」とは「お祈りのない状態」である。
これはたいてい「自覚」がないものだから少女ジーザスにとってはまことにタチの悪い状態なのだ。
なぜ「お祈りのない状態」になってしまうのだろう。それは「高慢になった」などという甘いものではなく、自分がまことにヘンチクリンなカミ(神)になってしまっている状態である。それでは「不安」など感じないのも当然だ。「不安」など「自覚」されないのも当然だ。アラヒトガミもいいところである。このカミを信仰しているヒトたちには悪いが……。
「不安」を「自覚させていただいて」はじめて「お祈り」がいただける。そして「不安」のたいていのものは解決されるのを体験なさった方も多いと思う。
しかし「お祈り」は決して決して「現実逃避」ではない。まさに「真の現実」である。主の御前にまっぱだかにならなければ「真のお祈り」とは言えないのだから。
だから何度も書かせていただいているが、心底、魂の奥底から「神さま、助けて! 」という叫びこそ最も単純な最も人間らしい祈りの姿だと言える。だから「不安」に陥ってヘンチクリンな状態にならないように今日もわたし少女ジーザスは祈る。永遠に!全宇宙の主の主王の王主イエス・キリストに向かって。アーメン。
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わたしは「読書家」などと言われているわりにはこの名著を読んでいない。買い求めたのにである。ついぞ読む機会を逃してしまった。深く悔いている。
少女ジーザス的に言わせてもらうと「不安」とは「お祈りのない状態」である。
これはたいてい「自覚」がないものだから少女ジーザスにとってはまことにタチの悪い状態なのだ。
なぜ「お祈りのない状態」になってしまうのだろう。それは「高慢になった」などという甘いものではなく、自分がまことにヘンチクリンなカミ(神)になってしまっている状態である。それでは「不安」など感じないのも当然だ。「不安」など「自覚」されないのも当然だ。アラヒトガミもいいところである。このカミを信仰しているヒトたちには悪いが……。
「不安」を「自覚させていただいて」はじめて「お祈り」がいただける。そして「不安」のたいていのものは解決されるのを体験なさった方も多いと思う。
しかし「お祈り」は決して決して「現実逃避」ではない。まさに「真の現実」である。主の御前にまっぱだかにならなければ「真のお祈り」とは言えないのだから。
だから何度も書かせていただいているが、心底、魂の奥底から「神さま、助けて! 」という叫びこそ最も単純な最も人間らしい祈りの姿だと言える。だから「不安」に陥ってヘンチクリンな状態にならないように今日もわたし少女ジーザスは祈る。永遠に!全宇宙の主の主王の王主イエス・キリストに向かって。アーメン。
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