キリストにおいて客観的真理として神が自己を啓示
されたことを信じる共同体が、今まだ創造それ自身の
内部に住む数え切れないほどの人間以外の被造物に
たいしては、ほんのちょっと考えただけで、世界を
肯定的に受け取る教義を発展させてこなかったことは、
残念、いや、悔い改めるべき問題だとということを。
神が創造されたものを道徳的に無視するような考えを
基本にして出発した神学について、我々は何を語るべきか。
(「神は何のために動物を造ったか」動物の権利の神学
A・リンゼイ著 宇都宮秀和訳 教文館)
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ある神学者(上記引用のA・リンゼイ氏とは別の)が書いていたが、
「教会」で「動物を助けるボランティア」をやっている「教会」は
地球上にただの一つもないということだ。
我々はキリストの御名において「人間は助ける」、しかし同じキリストの
御名において彼の御手による人間以外の生命体をなぜ「助けないのか」。
「見る福音」とまで言われ地球上のあらゆる人々が偉人の扱いをした
マザー・テレサは「人間の赤ちゃんは助ける」しかし「子猫や子犬は助けない」
これは我々が避けて通っては絶対にいけない問題ではないだろうか。
わたしは以上の問題をとてもじゃなけれど避けたりごまかしたりできないので
少女ジーザスの神学は「生命体(もちろん人間も含む)の神学」と呼ばせていただく。
主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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