ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(雨宮慧):光なる主イエス・キリスト。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2022年02月11日 00時02分11秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    しかし、光は外から来るのであって、人間が作り出せはしません。
    「光あれ」と命じることのできる方だけが光を与えることができます。
    パウロは「闇から光が輝き出よ」と命じられた神が、私たちの心に
    「光」を与え、イエス・キリストのみ顔に輝く神の栄光を悟ることが
    できるようにしたと述べ、ヨハネの第一の手紙も、イエスの到来に
    よって闇が去り、まことの「光」がすでに輝いている、と宣言します。

     (主日福音のキーワード「小石のひびき」雨宮慧著 女子パウロ会 )

   
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 上記に引用されている雨宮神父の言葉で「光」と言っているのは、主イエス・キリストご自身のことだ。「人間となった子なる神」のことだ。この方が十字架にかかってくださったことによりわたしたち人間の「闇」(いわば悪)をすべて背負ってくださり、全宇宙のすべての生きとし生ける者たちの罪を帳消しにしてくださったのである。
 わたしたちの闇から光が輝きだしたのだ。
 どのような大きな罪を犯し隠れていても「光なる主イエス・キリスト」はそのような者に光を与えるために(復活のいのちを与え生かすために)照らしたもう。
 だから主にとっては闇など無いのも同じなのだ。だからこそフツーのクリスチャンは「光と闇」の二元論者ではない。
 わたしたちにとっては主の主王の王主イエス・キリストしかない。光なる主しかない。


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