ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

主よ あなたの御手の内に住まわせてください(旧約聖書)

2013年09月11日 00時11分00秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   主よ だれがあなたの幕屋に宿るのですか。      (詩篇 第15編 1節 )    ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★  主よ、あなたの御手の内に生かしてくださいますことを魂の奥底から感謝いたします。  主よ、あなたの御手はなんという広大なむしろ無限大と言った方がふさわしい。  全宇宙が小さくおさまってしまいます。  主よ、とこしえにあなたの御手の内に生かし . . . 本文を読む

生ける神の神殿― (新約聖書)

2013年09月09日 00時04分23秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。    私たちは生ける神の宮なのです。     (コリント人への第2の手紙第6章15節 )    ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★  バプテスマを受け、聖霊をいただいたわたしたちは、こんな者でも主ご自身が「あなたは生ける神の神殿」と宣言してくださるのである。  もはやわたしたちは互いに「生ける神の神殿」として尊び、愛 . . . 本文を読む

言の葉(少女ジーザス):少女ジーザスの天文学

2013年09月07日 00時01分15秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★  わたしは主ご自身という恒星のまわりを公転するそれもとこしえに公転する惑星である。  この惑星に限って言えば、「自転」ということは絶対にない。  「自転」ということが強いてあるとすれば、それは主ご自身が「どうかね? こうすれば?」と与えてくださる「自由意志」がそれである。  わたしはとこしえに主ご自身、父と子と聖霊なる主ご自身の周 . . . 本文を読む

主の御霊のあるところには自由がある(新約聖書)

2013年09月05日 00時01分10秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   主は御霊です。    そして、主の御霊のあるところには自由があります。    私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、    鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、    主と同じかたちに姿を変えられて行きます。    これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。      (コリント人への第2の手紙 第3章17節・18節 )    ☆★☆★   ☆★☆★    . . . 本文を読む

無限大の主の御体に(ポエム)

2013年09月04日 00時10分37秒 | 詩;少女ジーザスのうた
   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★    光あれの御声で    全宇宙は    始まった    そして全宇宙は    とこしえに    ふくらみつづける    無限大の主の御体に    近づくために    全宇宙の心と魂とからだは    主のもの    ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★        【無限大の主の御体に(ポエム)】13 . . . 本文を読む

言の葉(近藤勝彦):神の義をいただこう、主イエス・キリストの御名によって

2013年09月03日 00時04分52秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   「神による義」は、キリストにより、キリストを信じ、    キリストに結ばれることを通して、与えられるのです。    キリストの犠牲の中に神の義があるのです。    キリストの犠牲によって罪の者が赦され、神との和解、    神との平和の中ににいれられる、そこに神の義が現れています。     (「しかし、勇気を出しなさい」近藤勝彦著 教文館 )    ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★ . . . 本文を読む

神と遊ぶ、とこしえに(ポエム)

2013年09月02日 00時05分26秒 | 詩;少女ジーザスのうた
   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★     夫とわたし     いっしょに料理をする     神と遊ぶ     わたしと猫のはなが     いっしょに     お話する     神と遊ぶ     ああ 主にある小さな3人の家族     とこしえに     祈る     神と遊ぶ    ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★        【 . . . 本文を読む

しかし、勇気を出しなさい(新約聖書)

2013年09月01日 00時05分46秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   あなたがたには世で苦難がある。    しかし、勇気を出しなさい。    わたしはすでに世に勝っている。     (ヨハネによる福音書第16章33節 )    ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★    ☆★☆★  わたしはひとりのクリスチャンとして上記引用の聖句に主よりのふかい慰めと勇気を与えらえている。  主の十字架と復活の出来事はまさにこのわたしのためであったという確信が . . . 本文を読む