☆★★★ ☆★★★ ☆★★★ ☆★★★
わたしにはいまでも主ご自身にいつもお見せしている大きな傷がある。
小学校低学年の時(そのときはまだクリスチャンではなかった)、男の子たちが、小さな猫をつまみあげていじめていた。
わたしは「やめてよ」と言って怒ってその男の子たちに注意した。というより、もう怒鳴りかかっていた。
しかし男の子たちがこわかったことも確かである。
. . . 本文を読む
「娘よ。しっかりしなさい。
あなたの信仰があなたを直したのです」。
(マタイによる福音書 第9章 22節 )
☆★★★ ☆★★★ ☆★★★ ☆★★★
いわゆる「いやし」と「直し」(あるいは「治し」)は違う。
「いやし」とは神の御前で神の御力によって、そしてさらに
その神を全く信じる信仰が与えられた結果、病気がいやされたことを言う。
だ . . . 本文を読む
ところが、良い地に蒔かれるとは、
みことばを聞いて、その人はほんとうに実を結び
あるものは百倍、あるものは60倍、あるものは30倍
もの実を結びます。
(マタイによる福音書 第13章 23節 )
☆★★★ ☆★★★ ☆★★★ ☆★★★
主よ、わたしはいつ、いかなる時でも、どのようなところにいても、
何をしていても、いつでも「良い . . . 本文を読む
しかし聞け。
その御声の荒れ狂うのを。
その御口から出るとどろきを。
(ヨブ記 第37章 2節 )
☆★★★ ☆★★★ ☆★★★ ☆★★★
どこで、何が、どのようになっていても、神は決して沈黙しておられない。
いつでも常にわたしたち生命体ひとりひとりに語りかけてくださっている。
そしそれは決して宗教的なこと神学的なことばかりではない。極 . . . 本文を読む