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■『神様とともに歩む者は乏しいことがない!』2012年2月19日東京台湾教会礼拝メッセージ 

2012年02月22日 | ♪ 聖書からの話―礼拝メッセージなど―
2012年2月19日 東京台湾教会 礼拝メッセージ

■タイトル:『神様とともに歩む者は乏しいことがない!』  

■聖書箇所: 詩篇23:1~6

■中心聖句: 詩篇23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

<序> 
・詩篇23篇。「詩篇の真珠」と呼ぶ人もいる。
・旧約聖書の時代から、また、新約聖書の時代、そして、現在に至るまで愛されてきた。
・味わえば味わうほどに、多くの恵みを発見する。

・今日は、1節、特にその後半を中心に学んでいきましょう。

1節 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

・神様は、神を信じる者にとって、羊飼いのようなお方。
・イエス・キリストを信じ、神の子どもとされた人は、羊が良い羊飼いに導かれるように、神様に導いていただくことができる。そして、「私には、何も足りないものはありません」と、感謝しながら歩んでいける。


・「私には、何も足りないものはありません」ということは、2012年、今を生きる私たちにとってそれはどういう意味があるのでしょうか。

・今日は3つのことを取り上げていきたい。

<本論> ・1節 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
・これは第一に次の意味があります。

1.神様は、私たちの必要を満たしてくださる。だから、私たちは乏しいことがありません。

・作者のダビデの人生を考えてみましょう。
・彼はイスラエル王国の2代目の王として、今でも尊敬されている人物です。けれども、多くの試練を乗り越えて、その地位につきました。
・突然の登場。ゴリアテとの一騎打ち。(第一サムエル記17章)一躍有名に。
・けれども、当時のイスラエルの王、サウル王にねたまれます。そして、命をねらわれることになってしまいます。
・彼は逃亡生活を送ることになります。
・「足りないものは何もない」とはとても言えるような状態ではなかったでしょう。
・むしろ、足りないことばかりだったと思います。食事さえ充分にとることができない時もあったのではないでしょうか。
・けれども、ダビデは神様に向かってこう告白しています。

・1節 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

・なぜ、そう告白することができたのでしょうか。
・神様は、確かに、ダビデに必要なものを与えてくださったからではないでしょうか。
・足りないものはたくさんあった。けれども、ぎりぎりのところで、神様は必要を満たしてくださった。
・もう、食べるものがない、そんなときに、不思議に食糧が与えられ、乗り切ることができた。
・そんな状況だったのではないでしょうか。


・神様は、今も、神を信じる、神の民のために、必要なものを与えてくださいます。
・食べるもの、飲むもの、それらはもちろんです。
・ときには必要な「知恵」を与えてくださることもあるでしょう。 また、「人との出会い」を与えてくださることもあります。また、必要な「助け」が与えられることもあるでしょう。

・イエス様も、そのことを約束してくださっています。

・マタイ6:31~34 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それが御名あなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

・神様は私たちの必要を知っておられる。そして、その必要を満たしてくださいます。ですから、私たちはこう告白できるのです。主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。


・第二番目の意味を考えてみましょう。


2.神様は、あらゆる霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。だから、乏しいことはない。


・エペソ1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって、私たちを祝福してくださいました。
・ダビデにとっては、それははっきりとしたものではなかったでしょう。
・けれども、新約の時代を生きる神の民にはそれがはっきりと教えられています。
・「乏しいことがない。」それは、あらゆる霊的祝福をいただいている、ということにおいて、なのです。
・エペソ1:3の内容を紹介するかのように、エペソ書1章には霊的祝福が取り上げられています。
・(あ)(4節)「御前で聖く、傷のない者に」 きよい神の御前で傷のない者にされている。イエス様の義によって。
・(い)(5節)「ご自分の子にしようと、」 神様の子どもとされる特権をいただいている。神様との親しい関係が与えられているのです。
・(う)(7節)「罪の赦しを受けています」 4節の「聖く、傷のない者に」の消極面。イエス・キリストを信じるものはすべての罪を赦していただくことができる。
・(え)(11節)「御国を受け継ぐ者ともなりました」 私たちは、すばらしいものを相続できる。神の御国を受け継ぐ。
・新約聖書の中には、いろいろな面から、神の子どもたちに与えられている霊的祝福が取り上げられています。

・ある人がプレゼントの箱をもらいました。とても、大きな箱です。うれしいですね。リボンをほどいて、包みをはずします。中を見ると、また、プレゼントの箱が入っています。それも、いくつもです!!
・一つ開けてみました。すばらしい贈り物が入っています。ほしかった「  」です!!
・次を開けてみます。こちらもすばらしい!「   」です!
・また次を。今度のものは、すぐに使うことはなさそうです。「かさ」です。でも、次の日には助かりました。大雨でそのかさが活躍してくれました。
・次は小さな箱です。なにかなあ、と思いながら、ともかく開けてみました。旅行券でした。フリーパス。すばらしいホテルというか住まいに長期で泊まることができる! すぐに行けるわけではないけれども、楽しみです!!
・まだ、まだ、プレゼントの箱はあります。何がでてくるでしょうか。楽しみですね。

・「そんなプレゼントをもらえたらいいなあ」、と思っておられますか。
・実は、これは、私たちクリスチャンのことです!
・クリスチャンは、神様から与えられた霊的祝福のプレゼントを発見しながら歩んでいくのです。
・イエス様を信じてクリスチャンになります。それは神様から大きなプレゼントをもらったようなことなのです!
・ある時にはすぐに味わうでしょう。また、あるときは、後になって、そのすばらしさを体験するでしょう。また、あるものは、楽しみに、楽しみに、待ち続けるものでもあります。
・でも、ともかく、神様は、霊的祝福で私たちを祝福してくださいました!!「すでに」です!
・ですから、私たちはこう告白できるのです!!「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」

・もう一つの点を取り上げましょう。
・私たち人間は不思議なものです。わかっていても、物足りない、そういうことがあります。
・必要は与えられた。これからも、与えられる。良かった。良かった。でも、ちょっと、もの足りないなあ。
・永遠の霊的祝福、赦し、神の子どもとしての特権、いやし、満たし、いろいろと確認します。すばらしいなあ。クリスチャンになって良かったなあ。そして、神様に感謝します。でも、ちょっともの足りないなあ。そう感じたりするのです。
・感謝を忘れていまいやすい。そういう原因もあるでしょう。感謝し続けるものとさせていただきましょう。
・でも、心にとめるべき大切なことがあります。こちらを強調したい。
・私たちが根本的に、根源的に必要としているものは何か、ということです。
・それは、神様ご自身です!
・私たちは、神様ご自身によって、でなければ最終的には満たされないのです!
・そして、神様は、その部分をも満たしてくださいます!
・ですから、三つ目のことはこういうことができます。


3.神様は、神様ご自身で、私たちを満たしてくださる。だから、私たちは乏しいことがない!

・この詩篇23篇の中でもそのことが取り上げられています。
・詩篇23篇4節 あなたがわたしとともにおられますから。
・新約聖書のことばでは次の言葉がそれを表しているでしょう。
・ローマ5:11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。
・神様がいっしょにいてくださること。ただそれだけ。けれども、それが一番あなたの心を満たすのです。
・神様の恵みに感謝して神様を喜ぶ。神様を喜ぶ。賛美として現れる時もあるでしょう。また、ひとり、神様を礼拝する、そのような現れの時もあるでしょう。どういう形であるかは大切ではありません。
・神様がいてくださる。「神様、ありがとう」、「神様、あなたを喜んでいます」 
・そのような祝福を神様は与えたいのです。

<まとめ>・主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。このみことばを告白しながら歩んでいきましょう。
・必要があるなら、神様に祈りましょう。求めましょう。神様はあなたの必要を満たしてくださいます。
・霊的祝福がすでに与えられていることを確認しましょう。感謝しましょう。
・神様ご自身に満たしていただきましょう。神様との交わりを大切に。