2009年4月26日 召天者記念礼拝メッセージ
~故南八重子姉妹を偲んで~
■タイトル:『生きていても幸せ。世を去っても幸せ。』
■聖書箇所:ピリピ1:21~23
この聖書の言葉は、パウロというクリスチャンの言葉。
パウロはこう考えていた。
生きるなら、多くの実を結ぶ。
死ぬことがあっても、それはキリストともにいるようになることだ。
22節 いのちが続くとしたら豊かな実を結ぶ。
23節 世を去るならキリストとともにいることになる。
イエス様を信じる人は、みな同じ。
生きるなら、多くの実を結ぶ。
死ぬことがあっても、それはキリストともにいるようになることだ。
1.生きるなら多くの実を結ぶ。
イエス様を信じてクリスチャンになる。その人は神様の子供とされる。
すばらしい実を結ぶ。周りの人に幸せを与える。祝福を運ぶ。(完璧な人間になるわけではないけれど。)
八重子おばあちゃんもそう。命のある間、多くの実を結んだ。
生かされているのは、偶然ではない。神様のご計画がある。だから、生かされている。
神さまのご計画があるから、それに沿って生きていくなら、神様のいのちの力によって実を結ぶ!!
2.死ぬことがあっても、それはキリストともにいるようになることだ。
イエス様を信じてクリスチャンになると、その人は死ぬことも恐れなくなる。
「死」は悲しいもの。別れ。生きている間、一つであった体と魂が離れ離れ。一緒に過ごしてきた家族、友人との別れ。
しかし、それで終わりではない。
イエス様を信じた人は、イエス様のもとへ行く!!
八重子おばあちゃん、2008年1月亡くなられた。
さびしい。
でも、それで終わりではない。
今は?
イエス様のもとにおられる!
イエス様を信じた者は希望がある。
生きているなら、神様のご計画によって多くの実を結ぶ。
世を去るなら、イエス様のもとにいることになる。
そして、先に天に召された人たちと再会することもできる。
イエス様を信じましょう。
イエス様を信じて、天国を目指して歩んできましょう。
~故南八重子姉妹を偲んで~
■タイトル:『生きていても幸せ。世を去っても幸せ。』
■聖書箇所:ピリピ1:21~23
この聖書の言葉は、パウロというクリスチャンの言葉。
パウロはこう考えていた。
生きるなら、多くの実を結ぶ。
死ぬことがあっても、それはキリストともにいるようになることだ。
22節 いのちが続くとしたら豊かな実を結ぶ。
23節 世を去るならキリストとともにいることになる。
イエス様を信じる人は、みな同じ。
生きるなら、多くの実を結ぶ。
死ぬことがあっても、それはキリストともにいるようになることだ。
1.生きるなら多くの実を結ぶ。
イエス様を信じてクリスチャンになる。その人は神様の子供とされる。
すばらしい実を結ぶ。周りの人に幸せを与える。祝福を運ぶ。(完璧な人間になるわけではないけれど。)
八重子おばあちゃんもそう。命のある間、多くの実を結んだ。
生かされているのは、偶然ではない。神様のご計画がある。だから、生かされている。
神さまのご計画があるから、それに沿って生きていくなら、神様のいのちの力によって実を結ぶ!!
2.死ぬことがあっても、それはキリストともにいるようになることだ。
イエス様を信じてクリスチャンになると、その人は死ぬことも恐れなくなる。
「死」は悲しいもの。別れ。生きている間、一つであった体と魂が離れ離れ。一緒に過ごしてきた家族、友人との別れ。
しかし、それで終わりではない。
イエス様を信じた人は、イエス様のもとへ行く!!
八重子おばあちゃん、2008年1月亡くなられた。
さびしい。
でも、それで終わりではない。
今は?
イエス様のもとにおられる!
イエス様を信じた者は希望がある。
生きているなら、神様のご計画によって多くの実を結ぶ。
世を去るなら、イエス様のもとにいることになる。
そして、先に天に召された人たちと再会することもできる。
イエス様を信じましょう。
イエス様を信じて、天国を目指して歩んできましょう。