『パウロの勧めに学ぶ-“高く上げられたイエスを通して実現すること”』(ピリピ書講解説教第24回)ピリピ2:5~11 2021年11月28日小山コミュニティチャペル礼拝
2021年11月28日礼拝メッセージ 要旨
■『パウロの勧めに学ぶ-“高く上げられたキリストを通して実現すること”』(ピリピ書講解説教第24回)
■聖書箇所:ピリピ2:5~11
■中心聖句:ピリピ2:9~11 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
・人にとって必要なもの、なんでしょう?
・いろいろあるでしょう。健康のためなら、栄養、睡眠、・・・。
・人との関わり。願いや目標。趣味なども。
・では、聖書は、人が必要としているものについてどう教えているか。
◇聖書箇所をお読みください。
・ピリピ1:27~、パウロはピリピ教会に宛てて勧めを与えている。信仰生活のあり方が記されている。福音にふさわしく生きよ、等。
・2章になると一致の大切さが勧められている。一致のための手がかりは、へりくだり・謙遜!その究極の模範、イエスであることが、キリスト賛歌を通して示されている。
・6~11節、パウロ以前の初代教会で歌われていた賛美歌、と考えられている。(「キリスト賛歌」)
・先週は、高く上げられたイエス・キリスト、について学んだ。
・今日は9~11節を中心に。テーマは、「高く上げられたキリストを通して実現すること」!
・この箇所が教える人の必要とは?
・10節 ・・・すべてが膝をかがめ、・・・。
・礼拝の姿を表している。
・ここから学ぶことができるのは、
1.人間にとって根本的に必要なことの一つは、神と人間、両者にとってふさわしい「神への礼拝」です!
・聖書はこう教えています。
・「人間の根本的な必要その1」は、「神との関係」が回復されること!「救い」!
・「人間の根本的な必要その2」は、あるべき神と人間との関係である「神への礼拝」!
・人間は神を礼拝し、神は礼拝を受けられる。
・イザヤ43:7 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。
・神への礼拝 「退屈な儀式」のたぐいではない!
・礼拝=日曜礼拝そのもの、ではない!一つの表現ではあるが。
・礼拝、とは、人生のすべてにおいて神を喜び、神の恵みを喜ぶこと!
・参考 第一コリント10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。
・うるわしい、神への礼拝!
・ダビデは神への礼拝に生きた人だった!
・神様への礼拝、その中を生きていきたいですね。
・では、そのためにはどうしたら?
・イエス様は高く上げられた。(キリストの高挙)
・イエスの名において、以下のことが実現する。
(あ)すべての膝は、かがむ(礼拝の姿勢)。すべての存在するものが。
(い)すべての舌は、告白する。「イエス・キリストは主です」と。
・大目標である、「父なる神の栄光のために」!
・キリストが高く上げられ、すべてにまさる名を与えられた、その理由は何か?
・そのイエスの名によって、神への礼拝が実現するため。
2.イエス様が高く上げられ、すべてにまさる名を与えられたことを通して、そのイエス様の名によって神様を礼拝すること可能になったのです!
・エペソ3:12 私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます。
・私たちはイエス様の御名によって、父なる神様に近づき、礼拝をささげていくことができます!
3.ひたすらイエス様の御名に拠り頼み、イエス様の御名によって父なる神様に近づいていこう、と心に決めましょう!
・イエス様の御名に拠り頼みましょう!
○イエス様の御名を頼りとする、ということは、ほかのものに頼ることをやめる、ということ!
・感情・フィーリングによらず。
・努力によらず。
・熱心によらず。
・ただ、イエス様の御名を通して。イエス様を通して。その礼拝は、父なる神様に届いている!!!
○イエス様によって礼拝するなら、父なる神様に届いている、と堅く信じつつ礼拝していきましょう!
■宣言:イエス様、あなたは、十字架のみわざを成し遂げ、父なる神様によって高く上げられ、すべてにまさる名を受けられました。それは、私たちがあなたの御名によって父なる神様に近づき、礼拝をささげる者となるためでした!あなたの御名により神様に礼拝をおささげします!
『パウロの勧めに学ぶ-“高く上げられたイエス”』(ピリピ書講解説教第23回)ピリピ2:5~11 2021年11月21日小山コミュニティチャペル礼拝
2021年11月21日礼拝メッセージ 要旨
■タイトル:『パウロの勧めに学ぶ-“高く上げられたイエス”』(ピリピ書講解説教第23回)
■聖書箇所:ピリピ2:5~11
■中心聖句:ピリピ2:9~11 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
・あるところに、姉と弟の二人兄弟がいました。
・弟は難しい病気をかかえていました。記憶が飛んでしまう難病。姉は、必死に弟を支える。
・父親に育てられていたが、その父が死んでしまう。離婚していた母の元へ引き取られることに。
・いろいろな困難を乗り越え、薬学部へ進む。
・母の会社で懸命に働き、ついには社長にまで上り詰める。
・そして、薬を開発する事業を。
・あるとき、弟は失踪してしまうが、後に、再会。
・姉は弟に話す。「ゆう(弟の名前)、ゆうの病気を治すために社長になったんだよ。」
・ドラマ『最愛』より。
・学歴、キャリア、収入、そういうものを追いもとめているように見えても、思いやり、という動機が、という場合もある!
・背後にある動機、意義、大切ですね。
・イエス様は?
・聖書箇所をお読みください。
・ピリピ1:27~、パウロはピリピ教会に宛てて勧めを与えている。教会のあり方が記されている。
・2章になると一致の大切さが勧められている。一致のための手がかりは、へりくだり・謙遜!その究極の模範、イエスであることが、キリスト賛歌を通して示されている。
・6~11節、パウロ以前の初代教会で歌われていた賛美歌、と考えられている。(「キリスト賛歌」)
・先週は、イエスは十字架にまで従ってくださった、ということ学んだ。
・今日のテーマは、高く上げられたイエス・キリスト!
・2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
・「神は、この方を高く上げて、」=高く上げられたイエス。どういう意義があるのでしょうか?
・第一には・・・
1.「イエスが高く上げられた」とは、イエス様が父なる神様によって栄光を受けられた、ということです。【称賛】
・イエス様は父なる神様のご計画に従われました。
・死ぬことさえも受け入れました。
・十字架で死ぬことさえ!
・父なる神様は、従われたイエス様を称賛しておられるのです!
・「我が子よ、よくやってくれた!」、「よくぞ従ってくれた!」
・父なる神様は、子なるイエス様を高く上げられたのです。
・高く上げられる、とは歴史的にはどのように実現されたのでしょうか。
・使徒2:32~33 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
(あ)イエス様は三日目によみがえりました。父なる神がよみがえらせられた!
(い)※父なる神様の右の座に上げられました。(これは目に見えることがらではないが)
(う)約束の聖霊が注がれました。(目にし、耳にしている・・・!)
・イエス様は高く上げられたお方なのです!父なる神によって!
・イエス様は称賛されたのです!父なる神によって!
・脇道にそれますが・・・
・ここにあるのはうるわしい三位一体の神様の内的な交わり!
・子なるキリストは父なる神に従う。父なる神は子なるキリストに高く上げる。
・子なるキリストは礼拝される。そして、父なる神の栄光が現される!
・聖霊なる神様とともに三位一体を構成している。
・キリスト教会においても、励まし合う交わりをしていきたいですね!
・第2の意義は・・・
2.「イエスが高く上げられた」とは、イエス様の十字架のみわざは“確かに完了した”、という父なる神様による承認です。【承認】
・8節 (イエスは)自ら低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
・そして、9節 「それゆえ神は、この方を高く上げて、」
・父なる神は、こう宣言された!「イエスの十字架のみわざ(人類の罪を背負うという)は成しげられた!完了した!」
・イエス様は十字架の上で言われた。「完了した」(ヨハネ19:30)
・十字架の身代わりは完了した!確かだぞ!間違いないぞ!
・柔道の試合で、スカッとしますね!「技あり!」とか、「一本!」が決まったとき。
・父なる神様は、イエス様の十字架のみわざについて宣言されたのです!「一本!!」(こんな言い方が許されるならですが・・・)
・救いは用意されたのです!
・あとは、信じて、受け取るだけ!
・第3の意義は・・・
3.「イエスが高く上げられた」とは、イエス様が、父なる神様によって“救い主”として、委任を受けたということです。【委任】
・使徒5:31 神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。 ・ペテロによる説教。イスラエル人に向けて(イスラエルを…)。対象はすべての人!
・高く上げられるとは、称賛であり、承認ですが、それとともに、委任でもあります!
・イエス様は、上げられました。栄光を受けられた!すべてのものがイエス様を礼拝すべきです!
・それで終わりではない。
・イエス様が高く上げられた、とは、使命を任された、ということでもある。
・「導き手」として、「救い主」として。
・イエス様は高く上げられた方。そのみわざは承認された。
・人はどう反応するでしょう?
・「すばらしいことですね。でも、私には無関係なのでは?」
・いいえ!イエス様は救い主として高く上げられた!すべての人を救う救い主として!あなたを救う救い主として!
・イエス様が高く上げられたのは、あなたを、私を、救い、神のもとへ導くためでした。
・あなたを、私を、救うため、イエス様は、神の特権を捨てられ、人となり、十字架で死なれました。よみがえり、父なる神の右の座に着かれ、高く上げられました。あなたを救うため!あなたを神のもとへ導くため!
・救いを受け取りましょう!
■宣言:イエス様、あなたは十字架でいのちを捨ててくださいました。それゆえ、父なる神様により高く上げられ、栄光を受けられました。それは、十字架のみわざが承認されたということであり、あなたが「救い主」として委任をお受けになられたということです。イエス様、信じます。信頼します。従います。
『パウロの勧めに学ぶ-“十字架の死に向かわれたイエス”』(ピリピ書講解説教第22回)ピリピ2:5~11 2021年11月7日小山コミュニティチャペル礼拝
2021年11月14日礼拝メッセージ 要旨
■『パウロの勧めに学ぶ-“十字架での死に向かわれたイエス”』(ピリピ書講解説教第22回)
■聖書箇所:ピリピ2:5~11
■中心聖句:ピリピ2:6~8 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
・子どもたちのプログラムでこんなクイズをしたことがあります。
・「あなたのために、悪い人から守ってくれるのは?」、「おまわりさん!」。
・「あなたのためにご飯を作ってくれる人は?」、「お母さん、お父さん」。
・「あなたのために痛い思いをしてくれたのは?」、「お母さん!」。
・「あなたのために命を捨ててくれたのは?」、????
・こう言ってくれた子どもが! 「イエス様!」
◇聖書箇所をお読みください。
・ピリピ1:27~、パウロはピリピ教会に宛てて勧めを与えている。教会のあり方が記されている。
・2章になると一致の大切さが勧められている。一致のための手がかりは、へりくだり・謙遜!その究極の模範、イエスであることが、キリスト賛歌を通して示されている。
・6~11節、パウロ以前の初代教会で歌われていた賛美歌ではないか、と考えられている。(「キリスト賛歌」)
・先週は、イエスは神である特権を捨て、人となられたということ学んだ。
・今日のテーマは、イエス・キリストの十字架。
・8節 (キリストは…)自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
1.イエス様の十字架の死は、私たちの罪の身代わりでした。
・イエス様は、人類の罪を負うため十字架で死なれました。
・この箇所には直接に言われてはいない。
・イエスの十字架、イエス様の死、といったら、「罪の身代わり」、と結びついたものでした。
・聖書箇所
・第一ペテロ2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
・※第一コリント15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、…
・「身代わり」とはどういうことでしょう。
・一つの事例を通して
・『クワイ川の奇跡』という著書の中で、アーネスト・ゴードンは、第2次世界大戦中にミャンマー(当時ビルマ)鉄道で、(日本軍によって)強制労働をさせられていた(イギリスの)捕虜の一団の実話を記しています。
・毎日、強制労働が終わると、一団の使っていた道具はすべて軍によって回収されました。
・あるとき、日本軍の監督、「シャベルが1本足りない」。「誰がそれを盗んだのか突き止めろ」と強要された。
・監督は、激しくわめきちらし、怒鳴り立てているうちに堪忍袋の緒が切れてしまい、ついにこう命令した。「犯人は前に出ろ。」
・けれども、だれも動きませんでした。
・「皆殺しだ!」監督はそう叫ぶと、捕虜たちに銃を向けました。
・その時、一人の男が前へ踏み出しました。
・監督は無言のまま立っている男を射殺したのでした。
・一団がキャンプへ戻ると道具が再び数えられました。シャベルの数はあっていたのです。
・前に出た男は、ほかの捕虜たちの命を救うために、みずから犠牲になったのでした。
・イエス様は罪のないお方であったのに、私たちの罪の身代わりに十字架で命を捨ててくださったのです!
・6~7節 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
2.イエス様が、神である特権を捨てて人となられたのは、十字架で死なれるためでした。
・イエスは神であったが、そのお方が人になられた。先週、学んだ。
・その目的は?十字架で死ぬためだった。
・7節 しもべの姿を取り ・「姿」、「モルフェー」、本質を表す言葉。
・しもべの本質! ・仕える者になってくださった!
・罪深い人間たちのために、しもべとなり、仕えてくださり、十字架でいのちを捨ててくださった!
・罪の身代わりになるためには2つの条件がいる!
・(あ)人でなければ。(い)罪のない者でなければ。
・それを満たすことができる人はいるのか?いない!人は皆、罪人!
・神であるお方が人となってくださるしか方法はない!
・それをしてくださったのがイエス様!
・8節 (キリストは…)自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
3.イエス様は、父なる神様に従い、父なる神様のみこころ(人類の救い)の実現のために、十字架で死なれました。
・イエスの十字架は、父なる神のご計画。
・十字架の死は、偶然の出来事ではない。
・神のみこころ、ご計画だった。
・神は、罪に陥ってしまった人間を、あわれみ、愛し、そして、救いを計画してくださった。
・子なる神であるイエス様は、神である特権を捨てて、人間になり、そして、十字架の死にまでも従ってくださった!
適用
・イエス様の十字架の意味を知っていただきたい!
・そして、私たちは、イエスの身代わりの十字架の死の意味を理解し、その恩恵にあずかるべき、ではないでしょうか!
・困難の中にあるクリスチャンへ。イエス様の死はあなたを愛するゆえ。※エペソ5:2 …。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、香ばしい香りを献げてくださいました。
■宣言:イエス様、あなたは神である特権をお捨てになり、人となってくださいました。それは、十字架の上で、私たちの罪を身代わりに負ってくださるためでした。私は、あなたの十字架の意味を受け止め、その恩恵にあずかり、救いをいただきます。どうぞ、導き続けてください。
『パウロの勧めに学ぶ-“へりくだられた神の子イエス”』(ピリピ書講解説教第21回)ピリピ2:5~11 2021年11月7日小山コミュニティチャペル礼拝
2021年11月7日礼拝メッセージ 要旨
■タイトル:『パウロの勧めに学ぶ-へりくだられた神の子イエス』(ピリピ書講解説教第21回)
■聖書箇所:ピリピ2:5~11
■中心聖句:ピリピ2:6~8 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
・韓国宮廷ドラマ「イ・サン」の一場面。主人公は韓国の昔の王様イ・サン。
・イ・サン王は時々、自分の身分を隠し、一般民衆の姿になり、町に出かけた。そして、側近中の側近とともに人々の様子を見に行った。王宮にいては民衆の生活はわからなかったので。
・そこで、とても有能な人物と出会う。そして、議論になる。
・「もっとこうしたら国が良くなる。王様はわかっていない!」そんな話に。
・側近の者は「こちらはイ・サン王である!」と言おうとするが王に止められる。
・イ・サン王はその人の話をよく聞いてあげる。「また、そなたの話をじっくりと聞かせてもらおう」と分かれる。
・その後、その有能な人物、王宮の役人試験に合格、王宮で働くことに。
・そして、王様に謁見する。
・王様が声をかける。「約束通り、そなたの話をまた、聞かせてもらおう」、「え!王様にお会いするのは初めてでございます!」
・顔を上げると、なんと、あの方!あの方が王様だったとは!
・その人が誰なのか、どういう人物なのか、わからないと大変なことになるときがある!
・イエス様についても!
◇聖書箇所をお読みください。
・ピリピ1:27~、パウロはピリピ教会に宛てて勧めを与えている。教会のあり方が記されている。
・2章になると一致の大切さが勧められている。一致のための手がかりは、へりくだり・謙遜!その究極の模範、イエスであることが、キリスト賛歌を通して示されている。
・6~11節、通常の表記のしかたと区別してある。
・というのは、この箇所は、パウロ以前の初代教会で歌われていた賛美歌ではないか、と考えられている。(「キリスト賛歌」)
・先週はキリスト賛歌全体から、模範として、救い主として、主・神としてイエスを見上げましょう、と学んだ。
・意義深い箇所ですので、何回かに渡り、少しずつ学んでいきたい。
・今日のテーマは、イエス・キリストの本質、お心、みわざ。
・:6~7 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。
1.【イエス・キリストの本質】 イエス・キリストは、神であられます。
・「キリストは、神の御姿であられるのに」
・「御姿」
・口語訳 「キリストは、神のかたちであられたが、」 ・新共同 「キリストは、神の身分でありながら、」
・〈ギ〉モルフェー
・外面的な姿や形ではない。本質。(久野p164)
・本質であり、本質の表れ。 (デニス・ジョンソン)
・キリストは神であられた!
・参考 コロサイ1:15 御子は、見えない神のかたち(※像)であり、すべての造られたものより先に生まれた方です。
・留意点 最近の言葉、「神ってる」 なんでもすごいものは神的、というニュアンス。
・そのレベルでイエスは神的というのとは違う。
・旧約聖書の教えを土台とした神についての概念による。唯一の、万物の造り主・支配者、聖なるお方、それが神。
・イエスは、その神だ、というのだ!驚き!
・キリスト賛歌は初代教会で歌われていたと考えられる。それをパウロは引用した。聖霊の導きの中で。
・キリスト教会は、イエスは神であることを土台として成長していった、ということができる!
・イエスは神であられる!
・:6~7 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。
2.【イエス・キリストのお心】 イエス・キリストは、「神である特権を捨てることはできない」、とはお考えになりませんでした。
・「神としてのあり方を捨て」
・神であることをおやめになる、ということではない。神である特権を捨てること。
・実例 先週、アフリカの部族のかしらの話をした。
・「神としてのあり方を捨てられないとは考えず」
・※日本語表現法としては不適。否定の連続!原語からの直訳なので!
・思い切った意訳をすればどうなるか?
・イエス・キリストは、神である特権を捨てようとお考えになった!
・イエス様のお心!「捨てよう!」、「神である特権を捨てよう!」
・なぜ?最後の適用でもう一度取り上げるが、私たちを救うため!罪人である私たちに救いをもたらすため!
・:6~7 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。
3.【イエス・キリストのみわざ】 イエス・キリストは、神であられるお方であるのに、人間となられました。
・「人間と同じようになられました。」=人間となった。 神学用語では「受肉」という。
・2番目のポイントは、イエス・キリストのお心。それだけでもありがたい。
・3つめのポイントは、歴史的事実!
・イエスは神であった。それだけでも信じがたい。さらには、神が人になった、とは!
・パッカー「真に人を驚かせるキリスト教の主張は、ナザレのイエスは、神が人となられた方である、ということです。」(『神について』p80)
・同じく「一度、受肉は事実であると把握するなら、ほかのこれらの困難(奇跡、復活、贖罪、など)は解消してしまいます。」(p82)
・何のためですか?罪人である私たちを救うためです!身代わりに十字架で罪を負ってくださり、救いの道を用意するためでした!(参考 ヘブル2:17 「…イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。」)
・私たちを愛して!(参考 エペソ5:2 「また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました。」)
〈適用〉
・イエス様は神であられるのに、その特権を捨てようとお考えになり、そして、人となってくださった、という聖書が教える事実を、思い巡らしましょう!(聖霊なる神様が働いてくださり、その人のものとならせてくださるため)
・この受肉の事実を、味わい続けましょう!(信仰生活の糧として、日常生活の課題を乗り越えていくため)
・この受肉の事実のゆえに、神様をほめたたえましょう!礼拝しましょう!
■宣言:イエス様、あなたは神であられるのに、その特権を放棄され、人となってくださいました。それは、私たちに救いを与えるためでした。あなたが人となってくださったことを思い巡らし、味わい続け、礼拝していきます!
2021年10月31日礼拝メッセージ 要旨
■『パウロの勧めに学ぶ-“見上げるべき方イエス”』(ピリピ書講解説教第20回)
■聖書箇所:ピリピ2:5~11
■中心聖句:ピリピ2:6~8 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
・聖書箇所をお読みください。
・ピリピ1:27~、パウロはピリピ教会に宛てて勧めを与えている。教会のあり方が記されている。
・27節~、福音にふさわしく生きよ。2章になると一致の大切さが勧められている。今日の箇所は、一致のための手がかり、へりくだり・謙遜の究極の模範が記されている。それは、イエス・キリスト!
・6~11節、通常の表記のしかたと区別してある。
・というのは、この箇所は、パウロ以前の初代教会で歌われていた賛美歌ではないか、と考えられている。(「キリスト賛歌」)
・:5 キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
1.イエス・キリストを、生き方の【模範】として見上げましょう。
・:6 キリストは、神の似姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。
・イエスは神であられた。しかし、神であることの特権を預けられ、人となってくださった。(神であることをやめたのではない)
・へりくだり・謙遜の模範としての姿!
・ブライアン・チャペル師がアフリカの宣教師から聞いた話。
・アフリカのある地域でのこと、その地域のかしらは、村で一番強い者だった。彼は、かしらとして、大きな冠と、かしらであることを示す上着を身に付けていた。
・ある時、一人の男が、水を汲もうとして、深い井戸の中に落ちてしまい、足を骨折してしまった。井戸の底でどうにもできずに横たわっていた。
・井戸の底にまで行き着くには、深い井戸の底まで続いている隙間を用いて、手足を使って降りていかなければならないのだった。そして、同じようにして、登って戻るのだ。
・そのようにしながら、どうにもできないでいる男を引き上げることは誰にもできないので、かしらは呼び寄せられた。
その男の窮状を見ると、かしらは、大きな冠と立派な上着を傍らに置くと、井戸の底にまで手足を使い降りて行き、傷ついた男を担ぎ上げると、安全な所へ運び上げた。かしらは誰もできないことをやり遂げたのだ。
・これこそ、イエスが私たちのためにしてくださったことなのである。私たちを救うために、イエスは、天の栄光を傍らに置いてくださった。かしらが冠を傍らに置いたように。
・かしらは、冠を傍らに置いた時、かしらであることをやめたのか。そんなことはない。私たちを救うために来てくださった時、イエスは神であることをやめたのか。もちろん、そんなことはない。
(以上ブライアン・チャペル師)
・自分の立場、特権、を捨てて、人に仕える姿、人の心を打つ。
・イエス様は、私たちの模範です!模範としてイエス様を見上げていきましょう!
・キリスト賛歌は、イエスの死、そして、十字架での死を描いている。
・:6、8 キリストは、…、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
・模範を越えている!
・ここから何を受け止めるべきか?
2.イエス・キリストを、罪を負って十字架にかかってくださった【救い主】として見上げましょう。
・パウロは、謙遜の模範としてキリスト賛歌を引用した。そこからわきにそれて?広がって?救い主であるイエス様に話が移っていっている。
・
・イエスの十字架での死、これは、私たちの罪の身代わりである、と聖書は教えています。
・第一ペテロ2:24 キリストは自ら、十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
・第一コリント15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、…。
・イエス様の十字架、それは、イエス様の生涯の中心、福音の中心、聖書の中心、キリスト教の中心、です!
・イエス様を救い主として見上げましょう!
・イエス様は、あなたの罪を背負って十字架にかかり、いのちを捨ててくださった!
・イエス様を模範として見上げましょう。そして、救い主として見上げましょう。もう一つの点があります。
・:10、11 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
3.イエス・キリストを、あがめられるべき【主(しゅ)・神であるお方】として見上げましょう。
・聖書では、「主」という漢字を「しゅ」と読んでいる。(「ぬし」と読まれることの方が多い)
・「しゅ」=辞書では、主君、統治者、キリスト教において父なる神のこと、あるいは、キリストのこと。
・※「ぬし」=国や家など、ある社会、地域、集団などを治める首長。また、一般にある事柄を中心になってつかさどる人。君主。主人。あるじ。
・「イエス・キリストは主です」の意義は?
・「イエスは、神です」、という信仰告白!
・「膝をかがめ」=礼拝の姿
・10~11節は、やがて実現する「全宇宙的規模におけるキリストの支配の確立、全存在のキリストへの服従と礼拝」(関田寛雄・せきたひろお)
・神が全世界を創造された。人間も。人は罪を犯し、神から離れてしまった。ひとり子である神が、人となられ、救い主としてこの地に。罪なき歩み、十字架、復活。神は、救いの道を用意してくださった。信じるなら救いをいただける。そして、やがて、すべてを完成される時が。それが、この礼拝!
・将来のこと、というだけではない。始まっている!神への礼拝において!今日も!
■宣言:イエス様、私たちは謙遜な生き方の模範としてあなたを見上げていきます。そのためにも、まず、救い主であるあなたを見上げ、救いをいただきます。そして、主であり神であるあなたを礼拝し、従っていきます。