papalion - 航海日誌

東京で活動するライブバンド papalion(パパライオン)のブログです。

お遍路を自転車で・・・48(5日目4)

2008年02月08日 | お遍路を自転車で・・・
お遍路一覧(廻った順)ページはこちらから >>> ①徳島~高知編 ②高知~愛媛編

2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話の続き。

お遍路を始めて5日目、写真は日和佐でお世話になった釣具屋浜口。

道の駅「日和佐」に着いて、観光案内所を探した。今日宿泊するキャンプ場の予約を入れるためだ。予定していたキャンプ場の第一候補は、南に20kmほど行った所にある「まぜのおかキャンプ場」。まだ15時半くらいだったので、無理すれば行ける距離だ。第二候補はここから少し北に行った所にある「恵比寿浜キャンプ場」。観光案内所の人に聞いて、電話番号を教えてもらおうと思っていた。
観光案内所の人に探してもらうと、まぜのおかキャンプ場は電話が通じないらしく、その日お客さんが誰もいなくて管理人がいないから、ダメだとのこと。恵比寿浜キャンプ場はもともと海水浴場の施設があるだけの場所で、管理所も無いし、今の時期は使えないかもしれないとの事。
「もしあれなら、道の駅の駐車場脇でテントを張ってもいいですよ。そういうお遍路さんいるから・・・」と言われたが、野宿は最後の手段と考えていたので、恵比寿浜キャンプ場を目指す事にした。
日和佐の町を出て海岸沿いに走った。すぐ着くだろうと思っていたが、意外に距離もありアップダウンも激しかった、それでも30分程度でそれらしき場所に着いた。しかし、スクーターで現れた地元の人に、ここは空き地であっちがそうじゃ、と言われ、指差す方へ向かった。

恵比寿浜と恵比寿浜キャンプ場

恵比寿浜キャンプ場はさっきの空き地と変らず、ただの原っぱだった。原っぱの奥の方にバイクにまたがって、立ち往生している人がいる。近づいて話し掛けてみた。
地図のキャンプ場マークを目指してここまで来たけど、ここでキャンプをするかどうか考えていたところだ、とのこと。結局、そこでキャンプする事にした。バイクの人も。

夕暮れも近かったので、早速二人はキャンプの準備をはじめる、偶然にも同じメーカーの同じタイプのテントだった。バイクの彼は神奈川の人でKさん。30代前半くらいでカヤックのインストラクター。九州の友人の家に行くバイク旅の途中で、フェリーで四国まで来て、たっぷり遊んで、そのうち九州に向かうそうだ。昨日は、徳島の山間部のキャンプ場でキャンプして、山の次は海だろう!というノリでここまで来たそう。今日は徳島にある有名なオフロード道を走って最高だったとのこと。
バイクの後ろには大きなラックを備えていて、中にはぎっしりキャンプ道具を積んでいた。オフロードバイカーでありキャンパーでありカヤックのインストラクター。完璧・アウトドアマン!

テントを張り終わり荷物をまとめて、晩飯を買いにキャンプ場前の釣具屋に行った。この辺りにお店はその釣具屋しかなく、もう既に日が落ちており、これから日和佐の町へ戻る気力も無かったから。Kさんは自前食料があるようでテントの前でお湯を沸かしている。
釣具屋に行くと、食べるものはポテトチップスぐらいしか置いてなく、諦めようかと思ったら、レジに出たおばあちゃんが、これ家にあったものだけどと、カップラーメンを持ってきて売ってくれた。ビールも何本か買って戻った。
キャンプ場に戻ると軽トラックが停まっていた。キャンプ場の管理の地元の人で、夕方の巡回監視で来た様子。かろうじて見える程度の照明にただの原っぱなんだけど、利用料として150円取られた。
食事をとった後、シャワー(海水浴客用で水しか出ない)を浴びた。水シャワーはこの時期さすがに寒い。その後、すっかりくつろいだ服に着替えていたKさんと一緒にビールを飲んだ。
そしてKさんと色々と話し込んでいたら、さっきの釣具屋のおばあちゃんが、背骨を曲げてひょこひょこ暗闇から現れた。何かな?と思っていたら、干し芋のお菓子と食べかけのえびせんべいを持って来てくれた。「若い人がひもじい思いをするのを見ていられないから、食べてくれ」とのことで、ありがたく受け取った。もう本当に、田舎の人はうれしい事をしてくれる。

Kさんとビール片手に長い時間話した。バイクの話やらキャンプ、インストラクターの話、お遍路の話とネタは尽きなかったが、だんだん夜もふけて、身も震えるほど寒くなってきた。時計を見ると既に11時近く。明日も早いのでお開きにした。
Kさんはこれから寝る前に携帯ブログに書き込むとのこと。

お遍路中、毎日思う事ではあったけど、今日は本当に長い一日だったな、と思い寝袋に入った。

続きは>>お遍路を自転車で・・・49で。
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お遍路を自転車で・・・47(5日目3)

2008年02月08日 | お遍路を自転車で・・・
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2006年の秋、自転車でお遍路四国八十八ヶ寺を廻った話、>>お遍路・・13の続き。


お遍路を始めて5日目、写真は22番平等寺のおしゃれーな水屋。

今更だがこのブログで、自転車でお遍路を廻る面白さが伝わればいいな、と思ってる。
21番太龍寺を出て、坂道を下った後、22番平等寺へ向かった。
正午近く22番平等寺に辿り着いた。参拝し終わった後、鐘楼の立派な鐘を叩いた。気持ちいい。実は、鐘を打つ行為は参拝前に行わないといけない。鐘を打つ行為は死者を呼び寄せるため、参拝前に鐘を打ち、その死者を供養するという理屈だ。だから参拝後に鐘を打つと、死者を呼び寄せたままなんの供養もせず一緒に引き連れてお寺を出ることになり、非常に縁起が悪いとされる。そんな事も知らず、鐘打ちOKのお寺では、ガンガン鐘を打っていた。

そのずいぶん後の事になるが、お遍路終盤の愛媛42番仏木寺で、参拝後に何にも気にせず鐘を打った時、観光バスお遍路の一団がいっせいにこちらを見た。
なんだろう?とは思ったけど別に気にせずにいた。その後、納経所でご朱印を貰ってる時に、バスお遍路一団の若い先達さんが近寄ってきて、非常に厳しい顔で「先ほど鐘を叩いていましたよね。参拝後に鐘を叩くと・・・<中略>・・・叩かない方がいいですよ。」と縁起が悪いことを教えてくれた。
「そんなに恐ろしい顔しなくてもいいでしょ」って先達さんの雰囲気と、今までずーっとお遍路やっててこんな終盤になってその事を初めて知った事とが、非常にショックで残念だった。その後、一緒に走ってたTさん親子のお父さんに相談したほどで、Tさんは「宗教的な事にうるさい人もいるからねぇ・・」と苦笑いだったけど。(Tさんについては>>お遍路を自転車で・・・22で。)
それとは別に、近隣住民の迷惑や、鐘楼の老朽化等の理由で、鐘打ちを禁止しているお寺もある。

22番平等寺を出た後、お昼をとるつもりで飲食店をふらふらと田舎道を走り始めた。
走れども走れども田んぼばっかりでお店は無く、国道55号に出るまでも多少距離があったので、バス停のベンチで非常食のカロリーメイトを食べた。うーんさすがカロリーメイト。少ない量で空腹感を抑えられる。
また走り始め、あれっ?気候が変ったのかなと思った。空の色が少し水色がかっているし、空気の匂いも違う。なぜかはわからないけど、そう思った。そして、交通量も全く無い、この道ほんとに県道か?と疑いたくなるようなアスファルト舗装も行き届いていない荒れた道を乗り越え、先を急いだ。途中で道を間違えたんじゃないかな?と疑い始めた頃に、周りの林が開けて大きな白いコンクリートが見えてきた。車の走っている陸橋が上にあった、国道だ。
国道55号に入って、幹線道路をどんどんどんどん南下する。日光を遮る山がない場所では日差しも強くなった。海が近いせいか、10月なのにかなり暑い。先ほど気候が変ったと感じたのは、南国の気候に近づいたせいだろう。なんだかうれしくなってきた。
23番薬王寺は日和佐にある。15時くらいには着くだろうと走っていた。何回かトンネルを越えているうちに周りが都市近郊の風景になり、日和佐に着いた。そして少し走ると23番薬王寺に到着した。

23番薬王寺は山沿いに造られた立派なお寺で、日和佐の町を支えるように町を見下ろす場所に建っている。周りにはホテルや宴会所、飲食店、お土産屋さんもあり、日和佐の重要な観光資源なんだろう。
参拝を済ませてから、近くにある道の駅「日和佐」を目指した。

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