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フォース フレンズ ギガが減る…何の比喩?

2019-12-30 | にほんごトピック

「フォースと共にあらんことを」の名フレーズも際立つ映画スターウォーズシリーズも遂に完結を迎えることになりましたが、この「フォース」という言葉の使い方が実に面白い。
フォースは額面通りに受け取るならば意味は「力」とか「強さ」でありますが、ここからエッセンスを利かせてジェダイや主要なキャラクターが発現する超能力として新たに意味づけされた固有の語としてもまた確立され、フィクションならではの面白い造語ですね。
このような一般語から固有語に昇華した言葉の例をいろいろ探してみたのですが、アニメ「けものフレンズ」で使われた「フレンズ」という言葉も本来の「友達」という一般概念から特殊化されて
擬人化されたアニマルガール、または「君って○○の得意なフレンズなんだね!」みたいに「その類の人」という固有の背景を持った語に主軸化しています。
あとは適用範囲に入るかどうかちょっと自信がないのですが皆川亮二のマンガ作品「ARMS」における金属生命体「ARMS」や「僕のヒーローアカデミア」に出てくる「ヴィラン連合」(ヴィランは文字通り"悪役"の意味)などもその類のものかもしれません。
これらは何らかの比喩には間違いはないのですがカテゴライズがよくわからないので仮に『偉力喩』とでも名付けておきます。

「永田町に激震が走る」こちらも有名な比喩ですが永田町自体が揺れているのではなく永田町=国会が紛糾しているさまを表現したレトリックであり単に地名をあらわしているのではない、隣接性と背景代表性の引き受けの構造をもつ「換喩」(メトニミー)と呼ばれる手法です。
にぎやかしの偽客「サクラを雇う」こちらのほうは桜がパッと咲いてサッと散ることに掛けたものということなので転義と類似性を纏った隠喩(メタファー)の一種ではないでしょうか。江戸時代ごろから使われていた慣用表現ですね。
これらは先程のフォースやフレンズと性質の似た観点ではあるかと思いますが、隣接や類似ともまた違った、ありふれた語に対してより上位の背景強化を担わせている点で偉力喩には特筆すべきものがあるかと思います。

面白い比喩はまだまだ…こんなのもあります。
「立派なギャランドゥをお持ちで」これは男性の下腹部の体毛をワイルドセクシーに言い表した言葉ですが比喩的に面白い点はと言えばもともとギャランドゥは曲名だったことを考えると換喩にしてはカテゴリの跳躍のインパクトがより強い…この一言に尽きるかと思います。
こちらも先述の例に倣って呼称するとすれば『見立て喩』とでも言いますか、湧き出るイメージ喚起力も巧みなこの表現はタイトル作詞こそもんたよしのり氏であるものの、体毛の濃いさまをあらわす表現として定着させていったのはオールナイトニッポンでの松任谷由実(ユーミン)が起源となっているのは有名な話であります。

これと似たようなものでお笑い番組「日曜芸人」からの一コマで「俺元日にディシジョンしてきた」(オードリー若林)という確信犯的に曲解した『誤読喩』というのもあります。(ちょい下ネタですいません)
もちろんディシジョンは「決定・決断」の意のビジネス用語ですがこれを門外漢のお笑い芸人が訳知り顔でニヤつきながら誤読する…という趣向です。比喩は言葉巧みなお笑い芸人の手にかかると予想外の使われ方まで飛び出してくるものですからその可能性に逆に感心してしまいます。

下ネタついでにもう一つ例を出すと「俺の股間のロドリゲス…」というのもよくある下世話な卑語かと思いきやこれは独立して『股間喩』というカテゴリを新たに作っても良いほど特殊な構造をもった比喩といってもいいかもしれません。
そのココロはズバリ「身体性の二重構造を利用した比喩」という着眼点です。股間は単に一部分なのかあるいは身体の主体そしてその源泉でもあるのか、隣接と一体の狭間にある不思議な存在としての効果。この構造は股間だけが持つユニークな二重性であります。
股間のマグナムとか股間のやじろべえとかだけではなくなんなら「俺の股間のデオキシリボ核酸が黙っちゃいないぜ」みたいなことももちろん可能でありながらそこに収まる言葉は何でも良いというのではなくやはり股間の比喩に足るなんらかのシンボル性を帯びたものだけが選ばれます。
換言すればそこに入る言葉には「何らかの人格性が宿る」という稀有な言語現象が潜んでいると思うのです。悪乗りしているつもりはなく至って真面目に力説したい比喩表現であります。

さて話は変わって昨今のIT通信社会が花開く時代において度々聞くようになってきた奇妙なフレーズ、「ギガが減る」…こちらについても違和感の元は何なのか異論各論あるかもしれませんが
当ブログなりに言葉の機能と語彙の地平からのまなざしで腑に落ちる顛末を読み解いていこうかと思います。
よく言われるのはギガは計量単位ではなくて、「単位の接頭語」なのでそこが変なのでは?という指摘です。
しかし私たちは「3キロ太った」みたいに「単位の接頭語=キロ」を当たり前のように使っています。なのでこれを覆す根本説明にはたどり着けそうもありません。まだ定着途上なので時間が経てば不自然さを感じなくなる、という言い訳も可能だからです。
もっとも「匹が揃う」「専を紐解く」「だらけが激しい」「ぶりが長い」「越しが近い」みたいな表現はちょっとあやしいですし、
「か細い」を念頭に置いて「か」が僅かすぎるよ
「御仏」を念頭に置いて「み」が尊すぎるよ…みたいなものはマザーグースの言葉遊びでもあるまいしあまり常用すると面喰ってしまうようなパラノイア的な色彩がにじみ出てきてしまいます。
要するに本来「そこに着目して文法展開する類の語ではない」成分をわざわざ言っている違和感があるのでしょう。
当記事ではここまで比喩をテーマに話を進めてきたのですが、ひょっとするとこれは比喩ではなく「短縮表現」を使った物言いであることに気づきました。おそらく、でありますが。
一昔前まではギガというのはゲームソフトのメディア容量(メガ時代からの延長)やHDDストレージ容量・メモリの容量であるとかのことを言い習わしてきた表現で、そのプロセスは増設・増量とという右肩上がりの積み上げともに歩んできていました。
そこへきてスマホが爆発的に普及して目下の悩みがモバイルの従量課金にとって代わるようになると「ギガ」を指す文脈が「増えるもの」から「減るもの」へと突然様変わりしてしまったギャップが生まれてきているまさに途上にあるところに私たちは立っているのです。
今ではauのデジラアプリのように残データ容量:残り何ギガかを確認できるアプリを活用していますし、コンビニでは(減った)データ容量をチャージできるデータカードが購入できるようになっています。
そこのところをひとくちに説明しようとするときに便利な言葉として我々はその背景をいちいち説明するのを端折って「ギガが減る」で済ませているのです。
これは「残量が減少していくところの通信料の…何ギガバイトのギガという接頭語の…いろいろ説明するのは面倒だからざっくりとそのギガを解釈してもらうとして…」のギガであり、もちろんこの文面の文字数をカウント的に縮約する意味での数的短縮でもありますが
文字数だけでなく先程話したギャップの共通認識を言外で背景理解しているとの前提を織り込んだ文脈的縮約も兼ねている…私たちが代数や方程式で何かわからないものをXとおいてとりあえず話を進める…例えるならそんなシンボル操作が含まれているハイコンテキストな到達点として「ギガが減る」についに行きついたのだと言えるでしょう。

ここまで無駄にあれこれ書き連ねてしまったのですが、要するにアレです、日本国憲法12条にでてくる「公共の福祉」というのと根は同じです。
憲法は人々の人権を守りますが、権利は好き勝手に行使しても良いのではなく他人の権利を侵害しない範囲でね…、また社会全体のためにこれを利用する責任を負うのですよ。ということを効率的に説明するために「公共の福祉」という言葉を援用している好例ですね。
つまり「ギガが減る」も「公共の福祉」というのもつまるところは「言語的代数」の導入ということで結論づけたいかと思います。

今回の記事は比喩と代数についていろいろ考察してみました。皆様の年始の暇つぶしにでも読んでいただければ幸いです。良い新年をお過ごしください。


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