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「でにをは」別口入力・三属性の変換による日本語入力 - ペンタクラスタキーボードのコンセプト解説

よろづという新しいクラスを設定する

2017-03-24 | 変換三属性+通常変換のシステム考察

三属性変換は兎角例外が多くてその取扱いが難しいものであります。その弊害が顕著に顕れるものとして属性の割り振りで品詞の整合性がとれないケースがまま見られます。
手近な例で動詞まわりの変換例をあげてみると
(例1)属性イ:捨て石/属性ロ:ステイし
のようなものがありますが,ここでの属性イ(名詞)はすんなりと名詞と呼べるものですが例2の場合はどうでしょう。
(例2)属性イ:疲労/属性ロ:拾う・披露
…この例ではサ変動詞となる「疲労」が属性イに割り振られています。これは一般には"サ変名詞"と呼ばれており名詞は名詞なのですが叙述・様態の形質が強くむしろ属性ロに割り当てたいところですがすんなりとはいきません。
属性ロでは「拾う」「披露」がすでに割り当てられており比較検討した結果消去法的に「疲労」を名詞が属する属性イに割り振ったのです。
より詳しく紐解いていくと「拾う」は完全に動詞ですしとても名詞にできそうもありませんが、「披露」の方はこちらもサ変名詞ですしなかなか判断に迷うところでもあります。
結果としては「披露」を属性ロにとどめておくことになりましたがこれは「披露」の方がもっぱら「-する」の形で使われることが多く名詞として用例はあまりないだろうという感覚を優先させたためです。
他方「疲労」の方は「疲労が蓄積する」「疲労を和らげる」のように名詞(主語・補語)としての用例もよくみられるためより名詞としての性向が強いとの判断で属性イの側にシフトさせたのです。
このように三属性変換ではどの変換候補にもあまねく司る分類の判断基準というものがなく、あくまで同音異義候補間での相対的意味・用例関係で所属属性が決まってくるということが大きな特徴です。

さらに論を進めてまいりましょう。属性ハは接頭語・接尾語を含有する語句を適宜汲みだして変換するように位置づけられていますが以下のような場合はどうでしょうか。
(例3)属性イ:核/属性ハ:核家族
…この例では「核家族」では「核-」からの接頭語派生語句ということで属性ハ(第三の属性)の範疇に入りましたが「核」単体では名詞をあらわす属性イに所属しています。
「核」も接頭語パーツとして属性ハに振り分けようというのもわかるのですが同じ音の「各」が対象を逐条的に捉えることを意味している概念であることや「格」が地位・身分の序列関係性に連関する概念であることあるいは(規則・法則のもとに)組成された物事の本質をなすもの…というどちらも抽象的な概念であるためより具体物的である「核」とは区別した方が適当ではないかという事情があります。
「核」単体の使用例としては「核を使用する」「核となる」「生活感の核が」のように主語・名詞としての使用形態が多いというのがありますが、「各は…」のように単体で使われることはまずありませんし、「格」も「格が違う」「格がある」の使用例でもっぱら使われることから、「核」は単体での機能活性がより高く備わっていると言えるかと思います。
こちらの例においても各語のもつ語彙的なフィールドの違いを勘案してさじ加減の微妙な属性の住み分けをおこなっているわけですが語句のかたまりの切り出し方の違いによって一方は属性イ、他方は属性ハと所属がわかれてしまうのは合理的ではないと指摘されてしまうのも仕方がない事かもしれません。

どちらの例からもうかがえるのは属性の帰属を品詞分類に過度に依拠している点が見られることです。たしかに三属性変換の分類は体言と用言の体系にオーバーラップさせて分類の用をなしているわけですが、接辞まわりの属性を独立的に属性ハとしたのは破格の処置ですし文法的な筋道というよりは接辞まわりの語句はすみ分けた方がよいという経験論から来た便宜によるものなので品詞の事情一辺倒でことが進められるわけではないのです。
出発点としてはまず品詞による体言要素/用言要素の分別はわかりやすく揺るぎのないものですがそこに特殊事情(接辞まわり)への対応の受け皿として属性ハも設定したものですから、ロジックは三つどもえとなりより複眼的になってきています。
これら属性所属の基準について錯綜した脈絡が生じてしまいがちになるのは「疲労」なら「疲労」の所属妥当性を場当たり的に説明して済ませるという表層重視の説明構造・説明原理に行き詰まりがみられるからではないでしょうか。
ペンタクラスタキーボードの三属性変換はどの語句がどの属性に入るかをつまびらかに説明しきってしまおうという試みとして導入したのではなく、属性は単なる箱、変換候補をゆるく分別すれば変換意図に沿った使い分けをシンプルに実現できるだろうとの考えで提案したものであるという発想をないがしろにしたくはありません。

そこでいろいろ考えた結果、もっと包括的に三属性をまとめられる説明原理として[よろづ]というキーワードを投げかけてみようかと思います。
[よろず]は[品詞]よりも意味照会にしばられない抽象的なクラスです。「この語句のよろづはイだ。」のように使います。「イ」だけだと突飛な感じがするので「名詞」「動詞」「形容詞」と品詞がクラス分けされているのに倣い「よろづ」の万をつけて「イ万」「ロ万」「ハ万」などのように使うことを想定しています。
あまりに独特の語を導入されて違和感を覚える方もおられるかもしれませんが、この「よろづ」という言葉のニュアンスには用途の広さが感じられ、議論が散らかりがちな「属性」というクラスの提示よりも出口を示し焦点の収束を導くようなはたらきをもっていると思いますし、またそういう文脈で使われることを意識しています。
「『無知』という語句は接頭語『無』がつくことからハ万に仕分けるとする向きもあるが、様態を示す用が強くよりロ万らしさをもった語句である」のように使った例では「ロ万らしさをもった」という表現にクラスらしさ・妥当性を属性からの説明ではなしえない対岸のアングルから帰着させることが読みとることができ非常に有用です。
もちろん従来通り品詞とのかかわりなどを分析的に論じる場面では「属性」の術語を引き続き使用していきます。
この術語を使うことによりどの程度説明過程を見晴らしよくできるのかは未知数ですが、品詞の側からでなく属性を三分割した根源に立ち返ったクラス分けを用いることで論旨が迷走することのないよう機能すればよいかと思います。

実はもう少し三属性について考察を深めてからこのアイデアを出そうかと思っていたのですが、説明に追われて焦点がぼやけてしまう事態を危惧してコンセプトの練りが成熟していない段階ではありますが今後の航程のアンカー(錨)としてひとまず提示しておくのも一策かと思いますのでどうか面食らわないでついて行ってもらいたいと思います。
これまでのところを総じて有体にいえばクラス帰属を品詞の体系で説明しようとする"縦の線"は思い切って削ぎ落して、その語その語の個別的複眼的な事情を都度勘案するあくまで局所的な"横の線"を活かしていくのが三属性変換に最も向いたスタイルであると改めて認識したということです。
冒頭で三属性変換は例外が多いと述べていましたがよろづという包括的なクラスを用意したことでリーズナブル(システムとしての妥当性)であることよりプラグマティック(実際的・実利的)であることに力点を移し、個々の差異が埋められて軽快さを獲得していければよいかなと思います。


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