しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

幸せという鎖

2013-01-11 22:11:39 | 日記
面接の練習の1回目が終わり、
とうとう今日、公立の入学願書と受検料振込書、面接シートを配布。
受け取る生徒たちが、
「手が震える~!!!」と口々に言いつつ、恭しく受け取る。
これで緊張してたら、本番どうなるやら。


でも面接練習で見た生徒たちは今までみたことのないくらい、
自分に真剣に向き合った結果、紡ぎだした言葉を話していた。
結構すごい。
中学生活で得たこと、将来の夢、
それに向かってどうやって頑張っていくのか。

自分が中学生の時、ここまで考えていたのだろうか。
考えていなかったから、20代の頃フラフラしてしまったのだろうか。
神奈川県立の入試に、面接が必ず行われることになったのは、
とてもいいことのような気もする。
どうやって評価するんだろうというところはやっぱりものすごく不思議なんだけど・・。

生徒たちとの毎日は賑やかで疲れるけど面白い。
思い出すといろいろふふ、と笑える。

その一方で、プライベートが完全になおざりにされている。
実家に帰っても親戚にそのことは言われるし、(親は何も言わない。さすが親。私を知ってる。)
職場でも同僚はいろいろ『助言』してくれる。
そのことでちょっとふさぎ込んだりもした。
私が間違っているのかなあ。。。
と同時に、何で人のことまでそんなに気になるんだろう、と少し疑問に思った。
みんな、とんでもない噂話とか好きだし。
知ってる同僚の、それはないよねっていう噂が舞っている。

私のプライベートだって、正直誰にも関係なくない?
私の幸せは、あなたが決めるんじゃないんだけども。。。


もし、この世から両親がいなくなって、妹の心配もなくなったら、
隣人を気にしまくる日本に全然未練がないなあと、今朝ふと思った。
気候・風土は好きだけど。


中・高校生のときに好きだったイギリスやアメリカの推理小説、
何が好きだったかって、もちろんストーリーや論理の緻密さも好きだけど、
何より「あなたはあなた、私は私」という確固としたものが登場人物の中にあることを感じたからだ。
小説の中では、人々は独立した存在だ。
それは、人の言うことに感化されやすかった(今も多少そうかも)私が憧れていたもの。
人は、自分にないものに憧れるんだよなあ・・・・。


ここ数日、お正月ののんびりから一転して朝は早いし夜は遅いしで、
水曜あたりは体調が絶不調だったし、
今日も朝はあまりのギリギリ滑り込みセーフっぷりに、隣の席の同僚が苦笑。

おととい、人の声すら聞きたくないくらい疲れきっていて、
iPhoneラジオで川の流れる音だけを延々と流す放送を一晩中付けっぱなしにしていたら、
ぐっすりと眠れた。
人間とはある一定の距離を保っていたいのに、
自然とは一体になりたいなんて贅沢だと自分で思った。


結局、いろいろ考えても答えも出ない。
「今」が幸せならば、「今」が有限だけど続いていく未来もずっと幸せなはずだよ、と理屈っぽく思った。
それだけしかわからない。

いつも行くスーパーで偶然見つけた小豆茶。
甘いのを覚悟で淹れてみたら、甘くなくて香ばしくて身体が喜ぶ優しい味だった。
昨日の真夜中に、とても幸せになった。ゆっくり飲んだ。
こういう些細な幸せを積み重ねるだけでも、幸せなことだと思うけど。
それではいけないのだろうか。
まあ、お茶をゆっくり飲み過ぎて眠れなくなったせいで
今朝はなかなか起きられずに滑り込みセーフだったわけだけども。



人の思惑は泥のようで、ねっとりして嫌だ。
そこからいつも私も自由でいたい。
生徒たちが、今にも羽ばたかんと未来を夢見る姿を目のあたりにして、
眩しいような、羨ましいような、そして懐かしいようなもどかしい気持ちになった。


いや、「幸せ」とか、もう、どうでもいいじゃん。
私も一緒に羽ばたいて行けるといいのになと、ただ思う。