うん、やっぱり『相棒』はいい!!
テレビがないので、神戸くん登場からちょっと経ってからのは見てなくて、
最近みてる始末。
でも、「今日は帰ったらご飯食べながらseason10の第◯話を見る!」
とか考えてるのは楽しい。もうこうなると趣味の域。
毎週水曜夜だけ、テレビが欲しい。
今朝起きたら左目が真っ赤。
今年はなんだか体調が優れない日が多いので困る。
けどせっかくの土曜日!! 3連休!!
昨年末の1ヶ月は全く行けなかったステンド制作へ。
OLやってる気の合う人も偶然来ていて、
制作の合間に様々おしゃべりしつつ制作。
彼女は、祖母にプレゼントする小パネルを制作していた。
ブルズアイというガラスで、美しい色を何色か水に垂らしたような模様。
その中の鮮やかな青が特に美しかった。それで蝶を作るみたい。
彼女はいつも、蝶のデザインなのだ。
私も大抵、鳥が出てくる。好きなものを好きなように作っている。
やっとカッパー巻き巻きが完了して、ハンダ付けへ突入。
おいしい梅昆布茶を先生が淹れてくださって、ほっこりする。
やっぱり、ここに来ると楽しい。ここでは私は「教師」じゃない。
1週間に一度、ほんとに自由を感じられる時間だ。
今日の夜見た『相棒』のseason10の第15話「アンテナ」は本当に感動した。
今の私に、響く内容だった。
なんだか、引き寄せの法則っていうのは本当にあるんだなって思った。
悩んでた私が求めている答えが、この物語の中にあったような気がした。
連続通り魔事件の犯人と疑われている、
9年間も自室に引き蘢っている青年に向かって右京さんが言った言葉。
*このセリフを書きおこしてくださっている方がいました。
Twitterで紹介しています。感謝!
































『親や教師が、たとえあなたのことを思って放った言葉でも、
そこに少しでも親や教師自身のための気持ちが入っていると、
あなたは高感度でそれを受信してしまう。
つまり、あなたが人と話をすること自体、
あなたが傷ついてしまうこととイコールになってしまう。
人は100%誰かのためにだけ話をすることはできません。
必ず主観というものが入りますからね。
たとえそれが親でも。
そして、あなた自身もそうなんですよ。
ですから相手の言葉に主観が入っていても、
あなたを裏切ったことにはならないのですよ。』
































この話の題『アンテナ』は、明らかにこのセリフから来ている。
うん。わかる、すごくわかる。
私も、精神的引きこもりの傾向が昔から大いにあるから、
人に会いたくなくなるときが周期的にやってくる。
そのときは、どうして会いたくないのか、理由が自分でわからない。
何故、疲れてしまうのかわからない。
でも今回、この話をみて、
自分が相手に、ものすごくピュアな善意だけを求めてしまっていたのでは?とわかった。
右京さんのセリフのように、誰しも主観が必ず言葉に中に入り交じる。
たとえ、相手は自分を心配したり大切に思ったりしてくれていたとしても、
私はそれに一滴の『自己のため』の要素を見つけてしまうともうダメだったのだ。
そういう時って、右京さんの言うような『アンテナの感度』が高いとき。。。か。
中学や高校のとき、誰しも大人に対してこういう時期は普通にあると思う。
子どもって、大人に対して無償の愛情を求めるから。
今、生徒をみていても、そういうのを感じる。
ああ、今、この人たちは私の言葉に納得してないなって感じるときがある。
大人になれば、自然と、こういうのはなくなるハズ・・・なんだ。
それは右京さんも最後の方で言っているように、
自分自身でさえも、100%相手のことだけを思って言葉を発するというのは、
ものすごく難しいことであるというのがわかってくるからだ。
結論としては、自分は子どもなんだなと思った・・・。
で、最後のシーンで、
右京さんと神戸さんの会話。(たしかこんなのだった)
神戸「あの子は立ち直ると思いますか?」
右京「立ち直りますよ!」
神戸「どうして?」
右京「だって・・・彼は愛されていますから!」
この右京さんのセリフと、このセリフの一つ前のシーン、
引きこもりの青年が、勇気を出して昼間に外に出て髪を切りに行こうとした時。
犯人逮捕に協力したのね!と近所の人に声をかけられ、
慣れないことにおどおどと礼をしながら通り過ぎた後、
青年が歩きながら思わず顔をくしゃくしゃにして泣いているシーンで、
私、泣いてしまった。
1時間ドラマ(正確には45分?)でここまで感無量になっちゃうなんて~~~!!
相棒、本当にすごいわ! 迷える私にも答えらしきものをくれた。
ただ、私がワガママなだけでした。
結局、「相棒」はいいです。おすすめです!
(そこか・・・・・。)
テレビがないので、神戸くん登場からちょっと経ってからのは見てなくて、
最近みてる始末。
でも、「今日は帰ったらご飯食べながらseason10の第◯話を見る!」
とか考えてるのは楽しい。もうこうなると趣味の域。
毎週水曜夜だけ、テレビが欲しい。
今朝起きたら左目が真っ赤。
今年はなんだか体調が優れない日が多いので困る。
けどせっかくの土曜日!! 3連休!!
昨年末の1ヶ月は全く行けなかったステンド制作へ。
OLやってる気の合う人も偶然来ていて、
制作の合間に様々おしゃべりしつつ制作。
彼女は、祖母にプレゼントする小パネルを制作していた。
ブルズアイというガラスで、美しい色を何色か水に垂らしたような模様。
その中の鮮やかな青が特に美しかった。それで蝶を作るみたい。
彼女はいつも、蝶のデザインなのだ。
私も大抵、鳥が出てくる。好きなものを好きなように作っている。
やっとカッパー巻き巻きが完了して、ハンダ付けへ突入。
おいしい梅昆布茶を先生が淹れてくださって、ほっこりする。
やっぱり、ここに来ると楽しい。ここでは私は「教師」じゃない。
1週間に一度、ほんとに自由を感じられる時間だ。
今日の夜見た『相棒』のseason10の第15話「アンテナ」は本当に感動した。
今の私に、響く内容だった。
なんだか、引き寄せの法則っていうのは本当にあるんだなって思った。
悩んでた私が求めている答えが、この物語の中にあったような気がした。
連続通り魔事件の犯人と疑われている、
9年間も自室に引き蘢っている青年に向かって右京さんが言った言葉。
*このセリフを書きおこしてくださっている方がいました。
Twitterで紹介しています。感謝!
































『親や教師が、たとえあなたのことを思って放った言葉でも、
そこに少しでも親や教師自身のための気持ちが入っていると、
あなたは高感度でそれを受信してしまう。
つまり、あなたが人と話をすること自体、
あなたが傷ついてしまうこととイコールになってしまう。
人は100%誰かのためにだけ話をすることはできません。
必ず主観というものが入りますからね。
たとえそれが親でも。
そして、あなた自身もそうなんですよ。
ですから相手の言葉に主観が入っていても、
あなたを裏切ったことにはならないのですよ。』
































この話の題『アンテナ』は、明らかにこのセリフから来ている。
うん。わかる、すごくわかる。
私も、精神的引きこもりの傾向が昔から大いにあるから、
人に会いたくなくなるときが周期的にやってくる。
そのときは、どうして会いたくないのか、理由が自分でわからない。
何故、疲れてしまうのかわからない。
でも今回、この話をみて、
自分が相手に、ものすごくピュアな善意だけを求めてしまっていたのでは?とわかった。
右京さんのセリフのように、誰しも主観が必ず言葉に中に入り交じる。
たとえ、相手は自分を心配したり大切に思ったりしてくれていたとしても、
私はそれに一滴の『自己のため』の要素を見つけてしまうともうダメだったのだ。
そういう時って、右京さんの言うような『アンテナの感度』が高いとき。。。か。
中学や高校のとき、誰しも大人に対してこういう時期は普通にあると思う。
子どもって、大人に対して無償の愛情を求めるから。
今、生徒をみていても、そういうのを感じる。
ああ、今、この人たちは私の言葉に納得してないなって感じるときがある。
大人になれば、自然と、こういうのはなくなるハズ・・・なんだ。
それは右京さんも最後の方で言っているように、
自分自身でさえも、100%相手のことだけを思って言葉を発するというのは、
ものすごく難しいことであるというのがわかってくるからだ。
結論としては、自分は子どもなんだなと思った・・・。
で、最後のシーンで、
右京さんと神戸さんの会話。(たしかこんなのだった)
神戸「あの子は立ち直ると思いますか?」
右京「立ち直りますよ!」
神戸「どうして?」
右京「だって・・・彼は愛されていますから!」
この右京さんのセリフと、このセリフの一つ前のシーン、
引きこもりの青年が、勇気を出して昼間に外に出て髪を切りに行こうとした時。
犯人逮捕に協力したのね!と近所の人に声をかけられ、
慣れないことにおどおどと礼をしながら通り過ぎた後、
青年が歩きながら思わず顔をくしゃくしゃにして泣いているシーンで、
私、泣いてしまった。
1時間ドラマ(正確には45分?)でここまで感無量になっちゃうなんて~~~!!
相棒、本当にすごいわ! 迷える私にも答えらしきものをくれた。
ただ、私がワガママなだけでした。
結局、「相棒」はいいです。おすすめです!
(そこか・・・・・。)