父が2日前から東京に仕事で来てたらしく、
昨日になって「明日帰るけど、今東京。」と電話してきた。
「別に来なくてもいいから。」と言うけれど、
それならどうして電話してきたんだろう・・・。
父なりに、忙しい私に気をつかっているらしかった。
午後は職員会議に出といた方がいいだろうと思っていたし、
何より父とは話が弾まないだろうなと思ったし、
電話がかかってきたとき私は寝起きでぼんやりしていたので、
何の約束もしないまま電話を切った。
ギャラリーを出た後、父のことを思い出して、
お昼ご飯くらい一緒に食べよう、と思い直した。
離れて暮らしているから、あと何度会えるかわからない。
父に電話する前に学校に電話して、
「一日休みますー。職員会議休んだらまずいですか?
父が東京に来てて、会いに行こうと思うんですよ。」
と管理職に聞いてみたら、
「うーん、僕からじゃ何とも言えないけど・・。」と言われた。
まあそうだろう・・。
「じゃ、先生は何にも聞かなかったってことで。とりあえず休みます!」
ということで、ほぼ強制的に、有無を言わさず休みにした。
父は新宿にいた。渋谷に父が出張の際によく行くおいしいおそば屋さんがあるとのことで、
渋谷のハチ公前で待ち合わせ。我ながら田舎者だなー。
ハチ公前に着くも、父が見つからない。
あれー?と思っていたら、父の方が私を先にみつけて声をかけた。
目の前にいたのに、わからなかった。
髪の毛が白い。こんなに白かったっけ??
もうちょっと横幅もあったと思ったけど、痩せたかな。
思っていた印象と違っていたから、見つけられなかったのだ。
おそばやさんでおそば。天ぷら付きのおそば。
父が美味しいというものは大抵本当に美味しいのは昔からだ。
いろんなものにうるさい人で、味にもうるさい。
「天ぷらがここのは上手い。」と父が言う通り、かなりの美味しさだった。
たまにしか作らないけど、数学教師だった父が料理を作ると、
料理学校で花嫁修業(?)したはずの母より美味しかった。
この経験から、
「頭がいい人は料理が上手い。」というのが自分の中での定説となった。
昨日、東京で成功している父の教え子たちが夜に集まって飲み会を開いてくれたらしく、
どうもたくさん飲んだらしい。
医者、テレビ局、銀行、人材派遣会社などなどのお偉いさんになっている教え子達は、
なんと今年で52歳だという。
52歳の教え子って、なんか凄い。
そして卒業して何十年も経つのに、
生徒たちはそうやって歓待してくれる。
それだけ父が良き教師であったことがわかる。
父は、全く声を荒げて怒らない人だった。生徒に対してもそうだったのだろう。
叱るときには、理路整然と叱る。暴力などありえない。
ギターが大好きで、生徒の前でもよく弾いていたらしい。家でもよく弾いていた。
大学時代、グリークラブだったので、歌が上手い。
父はビーズでものを作ったりするのがひそかに好きだったりする、平和で穏やかな人だ。
ただ、無口でムダ口の嫌いな父との会話が私は昔から苦手だった。
父は自分の主張が強くある人なので、同じ気質の私とぶつかることが多かった。
だから帰省した時も、そんなにたくさん話さなかった。
お互いが嫌な思いをしないためにも。
でも、今日はたくさん話した。
ずっと疑問に思っていたことも聞けた。
それは父の経歴のこと。
父の現場での数学教師としての教員生活は短かかった。
その後、教育委員会で指導主事などとして働き、
最後、校長として現場に戻った。
そして今は実力を買われて(天下りでなくという意味)、
命の電話(いじめや虐待などの相談窓口)での相談員(臨床心理士)の人たちを指導したり、
方針を練り、児童福祉施設や警察などの関係部署と連携して対策をするセンターの所長として働いている。
地元の大学の教職課程での講師の仕事も依頼が来ていたらしいが、いろいろ考えて、
「無理だろう」と思ったという。話すときにすごく練習する人だから、しんどいのかもしれない。
今回の東京での仕事は、全国的な研究会に参加することだったらしい。
私の周囲でも、
教育委員会で働きたいと思っている教員は少なからずいるのだけど、
未だ、現場から教育委員会に行った人というのを見たことがなかった。
父がどういう経緯で現場から委員会勤務になったのか、
そこらへんが謎だった。
その話は、結構驚くものだった。
昨日になって「明日帰るけど、今東京。」と電話してきた。
「別に来なくてもいいから。」と言うけれど、
それならどうして電話してきたんだろう・・・。
父なりに、忙しい私に気をつかっているらしかった。
午後は職員会議に出といた方がいいだろうと思っていたし、
何より父とは話が弾まないだろうなと思ったし、
電話がかかってきたとき私は寝起きでぼんやりしていたので、
何の約束もしないまま電話を切った。
ギャラリーを出た後、父のことを思い出して、
お昼ご飯くらい一緒に食べよう、と思い直した。
離れて暮らしているから、あと何度会えるかわからない。
父に電話する前に学校に電話して、
「一日休みますー。職員会議休んだらまずいですか?
父が東京に来てて、会いに行こうと思うんですよ。」
と管理職に聞いてみたら、
「うーん、僕からじゃ何とも言えないけど・・。」と言われた。
まあそうだろう・・。
「じゃ、先生は何にも聞かなかったってことで。とりあえず休みます!」
ということで、ほぼ強制的に、有無を言わさず休みにした。
父は新宿にいた。渋谷に父が出張の際によく行くおいしいおそば屋さんがあるとのことで、
渋谷のハチ公前で待ち合わせ。我ながら田舎者だなー。
ハチ公前に着くも、父が見つからない。
あれー?と思っていたら、父の方が私を先にみつけて声をかけた。
目の前にいたのに、わからなかった。
髪の毛が白い。こんなに白かったっけ??
もうちょっと横幅もあったと思ったけど、痩せたかな。
思っていた印象と違っていたから、見つけられなかったのだ。
おそばやさんでおそば。天ぷら付きのおそば。
父が美味しいというものは大抵本当に美味しいのは昔からだ。
いろんなものにうるさい人で、味にもうるさい。
「天ぷらがここのは上手い。」と父が言う通り、かなりの美味しさだった。
たまにしか作らないけど、数学教師だった父が料理を作ると、
料理学校で花嫁修業(?)したはずの母より美味しかった。
この経験から、
「頭がいい人は料理が上手い。」というのが自分の中での定説となった。
昨日、東京で成功している父の教え子たちが夜に集まって飲み会を開いてくれたらしく、
どうもたくさん飲んだらしい。
医者、テレビ局、銀行、人材派遣会社などなどのお偉いさんになっている教え子達は、
なんと今年で52歳だという。
52歳の教え子って、なんか凄い。
そして卒業して何十年も経つのに、
生徒たちはそうやって歓待してくれる。
それだけ父が良き教師であったことがわかる。
父は、全く声を荒げて怒らない人だった。生徒に対してもそうだったのだろう。
叱るときには、理路整然と叱る。暴力などありえない。
ギターが大好きで、生徒の前でもよく弾いていたらしい。家でもよく弾いていた。
大学時代、グリークラブだったので、歌が上手い。
父はビーズでものを作ったりするのがひそかに好きだったりする、平和で穏やかな人だ。
ただ、無口でムダ口の嫌いな父との会話が私は昔から苦手だった。
父は自分の主張が強くある人なので、同じ気質の私とぶつかることが多かった。
だから帰省した時も、そんなにたくさん話さなかった。
お互いが嫌な思いをしないためにも。
でも、今日はたくさん話した。
ずっと疑問に思っていたことも聞けた。
それは父の経歴のこと。
父の現場での数学教師としての教員生活は短かかった。
その後、教育委員会で指導主事などとして働き、
最後、校長として現場に戻った。
そして今は実力を買われて(天下りでなくという意味)、
命の電話(いじめや虐待などの相談窓口)での相談員(臨床心理士)の人たちを指導したり、
方針を練り、児童福祉施設や警察などの関係部署と連携して対策をするセンターの所長として働いている。
地元の大学の教職課程での講師の仕事も依頼が来ていたらしいが、いろいろ考えて、
「無理だろう」と思ったという。話すときにすごく練習する人だから、しんどいのかもしれない。
今回の東京での仕事は、全国的な研究会に参加することだったらしい。
私の周囲でも、
教育委員会で働きたいと思っている教員は少なからずいるのだけど、
未だ、現場から教育委員会に行った人というのを見たことがなかった。
父がどういう経緯で現場から委員会勤務になったのか、
そこらへんが謎だった。
その話は、結構驚くものだった。
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