父が赴任した最後の学校は新設校だったらしく、
市内の学校から意欲的な教員が集められたらしい。
学校の教育方針みたいなものからまずは決めて行かなければいけなかったらしい。
そこで校長が「忍耐」という言葉を入れようとして、父が反対した。
「そんなことを子どもに強いる時代ではないと思う。」と進言したらしい。
ところがその校長は、自分の右腕として異動させてきた若い教員が、
自分に対して「意見した」ことが非常に腹立たしかったらしく、
父は後で校長室に呼び出されて「生意気な!」とか散々言われたらしい。
父がたぶん、今の私と同じくらいの歳の頃だったのではないか。
その校長は、その後、女性問題が発覚(!)したらしく異動し、
別の校長が来て、父に、
「君は人事上、前の校長に『殺されて』いるも同然だから、
今後、異動するとき、ものすごく不利になるよ。
前の校長は市の教育人事に力のあった人だから、
せっかくの力や意欲がムダにならないように、
市ではなくて、県の方で動けるように働きかけてみるよ。」とおっしゃったことがきっかけで、
県の教育委員会入りが決まったらしい。これは異例のことだ。
そんなことがあったのか・・・・・。
はああ。戦ってたんだねえ・・・と言うと、
でも、やっぱり「忍耐」を、学校が子どもに強いるってのは、
ダメだよなあ~とのんびり言っていた。
そういえば、学生時代の私の生活にも「忍耐」ってなかった。
勉強しろともなんとも言われたことがない。やりたいこと(部活!)を精一杯頑張った。
ただ、自分の人生に責任を持て、と言われた。
父は良い教育者であったのだろう。
父は、「嚢中の錐」(のうちゅうのきり)の話を私にした。
これは父が教育委員会にいた時に、新人の先生の研修で語っていたことの一部らしい。
嚢中、というのは袋の中、ということ。錐はあの尖ったキリのこと。
袋の中にキリを入れると、自然と袋からはみ出してしまう。
転じて、優秀な人は自分から声高に主張しなくても周囲が自然に気づいてくれる。
そういう人になるように、謙虚に日々努力していきなさい、ということ。
あと関連して、
すごく仕事ができて賢い人よりも、
人間性が優れている人が、人に好かれて最終的には成功するのだから、
人としての自分を磨きなさい、とも言われた。
自分の子どもに、新人研修でする話をする親って。
まあ、私もまだ7年目ですから、ひよっこですわ。
元同業者だし、大先輩だし、まだまだ頭が上がらない。
父は、自分はそんなに優秀ではないけど、人に引き上げられてここまで来たと言う。
でも人に引き上げてもらえるほど、信頼されて好かれるって、
凄く難しいことだと思う。
私には、まだまだ無理だ。
父とたくさん話せた。
今までは、私が聞く耳をちゃんと持ってなかっただけかもしれなかった。
東京スカイツリーをみたいというので、一緒に押上に行く。
実は、私も行ったことはなかった。
平日だけど、人はたくさんいた。
スカイツリーはあまりにでっかくて、しかも近すぎて、あんまりちゃんと見えなかった。
歩き疲れたので、カフェでお茶をする。
父がいちごのジェラートを注文したのには笑った。風体と合ってないことこの上なかった。
押上から空港行きのバスが出る。そこまで見送った。
最後に、父が
「今日、つき合ってくれたお礼にあげよう。」とお金を渡そうとしたけど、受け取らなかった。
もらったものは、大きかったのだ。
そのお金で妹と母に、お土産を買ったげて、と頼んだ。
父は私と顔が似ている。
父の存在自体が、私の来歴だ。
たくさん話せたことで、薄れかけてた気がした自分の輪郭が、はっきりした気がした。
市内の学校から意欲的な教員が集められたらしい。
学校の教育方針みたいなものからまずは決めて行かなければいけなかったらしい。
そこで校長が「忍耐」という言葉を入れようとして、父が反対した。
「そんなことを子どもに強いる時代ではないと思う。」と進言したらしい。
ところがその校長は、自分の右腕として異動させてきた若い教員が、
自分に対して「意見した」ことが非常に腹立たしかったらしく、
父は後で校長室に呼び出されて「生意気な!」とか散々言われたらしい。
父がたぶん、今の私と同じくらいの歳の頃だったのではないか。
その校長は、その後、女性問題が発覚(!)したらしく異動し、
別の校長が来て、父に、
「君は人事上、前の校長に『殺されて』いるも同然だから、
今後、異動するとき、ものすごく不利になるよ。
前の校長は市の教育人事に力のあった人だから、
せっかくの力や意欲がムダにならないように、
市ではなくて、県の方で動けるように働きかけてみるよ。」とおっしゃったことがきっかけで、
県の教育委員会入りが決まったらしい。これは異例のことだ。
そんなことがあったのか・・・・・。
はああ。戦ってたんだねえ・・・と言うと、
でも、やっぱり「忍耐」を、学校が子どもに強いるってのは、
ダメだよなあ~とのんびり言っていた。
そういえば、学生時代の私の生活にも「忍耐」ってなかった。
勉強しろともなんとも言われたことがない。やりたいこと(部活!)を精一杯頑張った。
ただ、自分の人生に責任を持て、と言われた。
父は良い教育者であったのだろう。
父は、「嚢中の錐」(のうちゅうのきり)の話を私にした。
これは父が教育委員会にいた時に、新人の先生の研修で語っていたことの一部らしい。
嚢中、というのは袋の中、ということ。錐はあの尖ったキリのこと。
袋の中にキリを入れると、自然と袋からはみ出してしまう。
転じて、優秀な人は自分から声高に主張しなくても周囲が自然に気づいてくれる。
そういう人になるように、謙虚に日々努力していきなさい、ということ。
あと関連して、
すごく仕事ができて賢い人よりも、
人間性が優れている人が、人に好かれて最終的には成功するのだから、
人としての自分を磨きなさい、とも言われた。
自分の子どもに、新人研修でする話をする親って。
まあ、私もまだ7年目ですから、ひよっこですわ。
元同業者だし、大先輩だし、まだまだ頭が上がらない。
父は、自分はそんなに優秀ではないけど、人に引き上げられてここまで来たと言う。
でも人に引き上げてもらえるほど、信頼されて好かれるって、
凄く難しいことだと思う。
私には、まだまだ無理だ。
父とたくさん話せた。
今までは、私が聞く耳をちゃんと持ってなかっただけかもしれなかった。
東京スカイツリーをみたいというので、一緒に押上に行く。
実は、私も行ったことはなかった。
平日だけど、人はたくさんいた。
スカイツリーはあまりにでっかくて、しかも近すぎて、あんまりちゃんと見えなかった。
歩き疲れたので、カフェでお茶をする。
父がいちごのジェラートを注文したのには笑った。風体と合ってないことこの上なかった。
押上から空港行きのバスが出る。そこまで見送った。
最後に、父が
「今日、つき合ってくれたお礼にあげよう。」とお金を渡そうとしたけど、受け取らなかった。
もらったものは、大きかったのだ。
そのお金で妹と母に、お土産を買ったげて、と頼んだ。
父は私と顔が似ている。
父の存在自体が、私の来歴だ。
たくさん話せたことで、薄れかけてた気がした自分の輪郭が、はっきりした気がした。
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