前期終了まであと2日。
ラスト2日間がいろいろあって辛いんだよな・・・。
懇談会、そして3年の学習相談・・。
そんなことをくよくよと考えていたからだろうか。
今朝、起きたときから片耳が塞いでるようになってて、いつもにも増して聞こえづらい。
いくらなんでも、突然すぎる。
まずいなー・・と思ったけど、フル授業だしちょっと休めない。
連絡表の管理職所見チェックも今日だし。
出勤して、何でもよく話している隣の英語の先生に、
「・・・今日、右があんまり聞こえないです。
もし聞こえなかったら、朝打ち合わせの内容、後で教えてください。」
と、先に頼んでおいた。
全体の打ち合わせは、比較的静かな中でだから大丈夫だったけど、
学年の打ち合わせは、他学年も打ち合わせをしている中でだから、
それでなくとも音が周囲にあふれている。
正直、他の音に混じって全然わからなかった。
音が聞こえないというよりは、必要な音が選択できない、という方がふさわしい。
英語の先生に、後で教えてもらう。
今日だけならまだいいのだけど、明日も明後日もこれだと困る。
さすがに薬を飲もうと思った。
授業も、質問してきた内容がうまく聞こえなくて、
「ごめん、もう一回。」と聞き返したりした。
前期ラストということで、クラスの二者面談もやってて今日は最終日。
生徒にはいつもより机を近くして話してもらった。
英語の先生が主任に私のことを伝えていて、
主任にも声をかけてもらったけど、
気を遣って声を落として話していた主任の声が聞こえづらいという始末。
なんだかねー。。。
もうこうなったら補聴器か・・。
そういう文明の利器もあるのだから、暮らしてはいけるだろう。
かなり聴力が落ちてきたら、手術なんて手もあるみたいだけど、それは嫌だ。
聞こえづらいから、
必死で話してる相手の口元を見て音を補って読み取ろうとしてたので、結構疲れた。
そのうち、読唇術でもできるようになるかもしれない。
音のない世界なんて、まだ今の私には想像できないけれど。
これはストレスのせいなんだろうか。
だとすると、なんて弱っちい心なんだろうなあ。
管理職所見チェックでは、直しはほとんどなかった。
肩の荷の一つが降りた。
しかし、肩の荷はまだ重すぎる。
小泉八雲の「怪談」を昨日購入した。岩波文庫版。
怪談だけど、怖いというよりは、仏教説話。
懐かしく、凛とした物語で、浮世離れしてていい。
現実から心を遠ざけるのにも、とても良かった。
本を読んでいる間だけ、心がほっと落ち着けるシェルターみたいだ。
よもや、ここで安らぎを見いだすとは、自分でも思わなかったけどなー・・。
先日の松江・洞光寺の朗読会の、夕焼けの空を思い出した。
開場17:30、開演18:30。
開場と同時に入ったので、野外の席に座って、
暮れ行く空をずっとぼんやり見ていた。1時間、ほぼずっと。
野外にかかる静かな音楽と、最初は黄金色に、その後ピンクに染まって行く雲。
朗読会そのものも、もちろん素晴らしく、とても贅沢な時間だった。
生きている限り、毎日がこんな風であって欲しいと思うけど、
そうもいかないのだろうかね・・・。
小さなシェルターを団子みたいに時間の中に串刺しにして、毎日を過ごしていきたいなあ。
とりあえず、明日はもうちょっと聞こえて欲しい。
ラスト2日間がいろいろあって辛いんだよな・・・。
懇談会、そして3年の学習相談・・。
そんなことをくよくよと考えていたからだろうか。
今朝、起きたときから片耳が塞いでるようになってて、いつもにも増して聞こえづらい。
いくらなんでも、突然すぎる。
まずいなー・・と思ったけど、フル授業だしちょっと休めない。
連絡表の管理職所見チェックも今日だし。
出勤して、何でもよく話している隣の英語の先生に、
「・・・今日、右があんまり聞こえないです。
もし聞こえなかったら、朝打ち合わせの内容、後で教えてください。」
と、先に頼んでおいた。
全体の打ち合わせは、比較的静かな中でだから大丈夫だったけど、
学年の打ち合わせは、他学年も打ち合わせをしている中でだから、
それでなくとも音が周囲にあふれている。
正直、他の音に混じって全然わからなかった。
音が聞こえないというよりは、必要な音が選択できない、という方がふさわしい。
英語の先生に、後で教えてもらう。
今日だけならまだいいのだけど、明日も明後日もこれだと困る。
さすがに薬を飲もうと思った。
授業も、質問してきた内容がうまく聞こえなくて、
「ごめん、もう一回。」と聞き返したりした。
前期ラストということで、クラスの二者面談もやってて今日は最終日。
生徒にはいつもより机を近くして話してもらった。
英語の先生が主任に私のことを伝えていて、
主任にも声をかけてもらったけど、
気を遣って声を落として話していた主任の声が聞こえづらいという始末。
なんだかねー。。。
もうこうなったら補聴器か・・。
そういう文明の利器もあるのだから、暮らしてはいけるだろう。
かなり聴力が落ちてきたら、手術なんて手もあるみたいだけど、それは嫌だ。
聞こえづらいから、
必死で話してる相手の口元を見て音を補って読み取ろうとしてたので、結構疲れた。
そのうち、読唇術でもできるようになるかもしれない。
音のない世界なんて、まだ今の私には想像できないけれど。
これはストレスのせいなんだろうか。
だとすると、なんて弱っちい心なんだろうなあ。
管理職所見チェックでは、直しはほとんどなかった。
肩の荷の一つが降りた。
しかし、肩の荷はまだ重すぎる。
小泉八雲の「怪談」を昨日購入した。岩波文庫版。
怪談だけど、怖いというよりは、仏教説話。
懐かしく、凛とした物語で、浮世離れしてていい。
現実から心を遠ざけるのにも、とても良かった。
本を読んでいる間だけ、心がほっと落ち着けるシェルターみたいだ。
よもや、ここで安らぎを見いだすとは、自分でも思わなかったけどなー・・。
先日の松江・洞光寺の朗読会の、夕焼けの空を思い出した。
開場17:30、開演18:30。
開場と同時に入ったので、野外の席に座って、
暮れ行く空をずっとぼんやり見ていた。1時間、ほぼずっと。
野外にかかる静かな音楽と、最初は黄金色に、その後ピンクに染まって行く雲。
朗読会そのものも、もちろん素晴らしく、とても贅沢な時間だった。
生きている限り、毎日がこんな風であって欲しいと思うけど、
そうもいかないのだろうかね・・・。
小さなシェルターを団子みたいに時間の中に串刺しにして、毎日を過ごしていきたいなあ。
とりあえず、明日はもうちょっと聞こえて欲しい。
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