わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから抜けられない爺が日々の出来事や想いを書いてます
ほぼはちゅ達時々マリノスたまに音楽医薬世の中のこと

懲りないやつだなあ(その2)

2020-03-11 21:53:37 | ウチの子たち
(その1)から続く。

ぼあちゃん、寝室をしきりにウロウロウロウロウロウロして、無窮動で暗い所を物色し続けていた。
儂はベッドの上にずっと寝転んでぼあちゃんを見張っていたんだけど、ぼあちゃんがいないであろうと思っていた方から起きようして足をベッドの下に降ろしたら、

なんとそこに ぼ・あ・ち・ゃ・ん・が!

踏みつけるまではいかなかったし、もしかしたら蹴った感じになったのかもしれないけど、一瞬のことで詳細はわからなかった。
でも、足の裏にこの子の鱗の感触が確かにあったので、どこかにあたったのは間違いがない。
ぼあちゃんも相当驚いたようで、去年ヘリコプターにビックリした時のようにものすごい勢いで走り出し、バリケードにしていたネットを頭で必死に押してベッドの下に逃げ込もうとしていた。
そのままだとケガしちゃうので抱き上げたら、顎や体をいっぱいに膨らませて威嚇。そのままママにバトンタッチして抱っこ。ママが抱っこしてた時も、初めのうちは儂が近づくと顎を膨らませて威嚇した。
その後、徐々に落ち着いてきて、儂がお詫びのペレットを見せると、最初は無視していたけどすぐに1個食べ2個食べしてくれた。
そして1時間程抱っこしてたらやっと普通の状態に戻ったきた。
ちなみにこれが、今日のように気を引きたい時とか食欲確認したい時とかにあげてるペレット。

試供品でもらったものなんだけど、一つが小さいのでそのままであげられるし、ぼあちゃんのようにダイエット中の場合にはちょうどいい大きさw。

その後、ママが抱っこしたままベランダに出てしばらく一緒に日向ぼっこ。
今日、お日様がいて暖かくて本当に良かった。不幸中の幸い。
そして、儂にバトンタッチしたんだけど、やっぱりまだ儂の抱っこは嫌だったみたいで、下に降りようとした。
で、ベランダに直接降ろしてやったらママの後を追って部屋に戻り、そのまま廊下を"タッタッタッター"してママと一緒に寝室に。
あれだけ怖い思いをさせちゃった場所なのでちょっと心配だったけど、何事もなかったように、またウロウロし始めた。

ぼあちゃんが寝室でママと遊んでいる間、儂はベランダの"トイレ主目的ネットケージ"を片付けて、何ヶ月ぶりかに夏用の大きなネットケージをセット。
そしてママが寝室からぼあちゃんを連れてきてガラス戸の所に置いたら、意外とすんなり出て行き、まずケージの渡り廊下でフリーズ。

この後、周りの様子を伺うように少しずつ少しずつ渡り廊下を前に進み、

結局ちゃんと中まで入ってきて、

去年と同じように外を見渡しながら日向ぼっこ。

なんだかんだで今日は40分程ここで日向ぼっこをして、12時をまわる頃、部屋に戻ってきた。
そして、今日はご飯もないしいろいろあり過ぎて疲れたのか、あるいはやっぱりどこか痛めてるのか、もう寝床を探し始め、
暗くて隠れられそうな所に入り込んで寝始めた。
でも、そういう所で寝てると冷たくなっちゃうし、今日はひどい目にあわせちゃったし、少し早かったけど2時前にはママが抱っこし、夕方、儂に変わって(今度は嫌がらずにおとなしく寝てくれた)、消灯時間にはケージの寝床に戻して就寝。


事件が起きた時は儂もパニックだったのでよくわからなかったけど、後から少し冷静になって考えてみた。
儂の足があたってあるいは踏まれて痛かったのもあるかもしれないけど、それよりも、いきなり上から何か(儂の足)が降ってきて、さらにそれが体にあたったことに驚いたんじゃないかなと思った。トカゲ類の天敵は背中側から襲ってくるので、上から何かが来るのを凄く嫌がるし。(上から掴むのは絶対にダメでしょ。)
あの後、少し落ち着いてからは結構歩き回ったし、歩き方も普通で特にどこかおかし気な感じはなかった。
それに、ペレットを何個かあげてみたけど、食欲は相変わらずだった。
強いて言えば、寝るのがいつもより早かったのと、寝る場所が暗くて隠れられるところばかりを狙ってたのが少し心配ではあるけど。。。

午前中は「これで一安心かな」と思ったんだけど、それは見事に延期。。。トホホ
と言っても、100%儂の責任だし儂が悪いんだから仕方がない。
これまでも儂の不注意で何度か可哀想な目にあわせてきたけど、幸いにも大事には至らずに済んできた。
今回もなんとか何事もなく済んでほしい。。。
「これからは気をつけよう」と何度も何度も思ってるのに、ホント、儂って懲りないやつだなと思う。。。

時間が経ってからおかしくなるっていうことも十分あり得るので、とにかくまたまた様子見だ。
まずは明日の朝だな。

ぼあちゃん、ごめんなさい。



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懲りないやつだなあ(その1)

2020-03-11 20:02:08 | ウチの子たち
ぼあちゃん、今日も朝起きて30分もしないうちに「お外出る~」となり、"魔法の絨毯"に飛び乗って、早々に"居間"のコルクに登り、お外に興味津々なご様子。
(ベランダ側からガラス戸越しに撮ったので外のケージが写り込んでいる)


今日のこの態度は、「お日様たっぷりだし朝から暖かいから」というのももちろんあるけど、それよりも、「間違いなく💩したいな」と確信して、ちょっと様子を見ていたら、案の定グラスサーフィンを始めた。
ガラス戸を開けてやるとすぐに"トイレ主目的ネットケージ"に出て行き、

10分位フリーズした後、ブブッと言う音と共に💩。今日はきれいな尿酸(+ピンク色部分少し)と1週間ぶりにしては少なめだったけど山盛りな💩。
外は暖かったけど💩が終わるとやっぱりすぐにリビングに取って返し、そのまま廊下を"タッタッタッター"して寝室へ。
一通り寝室をウロウロしてまたリビングに戻り、今度はたっぷりのお日様でバスキング。
顎を目いっぱい膨らませたり、
体をパッツンパッツンに膨らませて、お日様をたっぷり浴びた。


体が暖まったらまた廊下を"タッタッタッター"して寝室に行き、
コオロギがいそうな暗いところを主に物色(多分)。




今日は💩もしたし「やっと復活か~」と思わせるほどアクティブで、「やっぱりお日様と気温の威力なのかな~」と、今までの心配が嘘のような状況、
だったのはここまでで、

この後、大変なことが起きた。

長くなりそうなので(その1)はここまで。続きは(その2)で。



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9年前の今日

2020-03-11 16:23:44 | なんでもかんでも

まずは、亡くなっ方々のご冥福をお祈りいたします(合掌 
そして、今でも当時の生活を取り戻せていない方々に、心からお見舞い申し上げます。


あれからもう9年も経つんだ、というのが私の正直なところ。
人によって、「もう」と感じたり「まだ」と感じたり、その人の震災との関わり方によってずいぶん違うのだろうと思う。

私は東京と神奈川を生活圏にしており、家族や親類もみなこの近辺にいるので、幸いにも被害にあった者はいなかった。
それでもあの時のことは忘れることができないし、今後のためにもあの時のことを少しだけ書いておこうと思う。

あの時、東京のオフィスで仕事をしていたら、ラジオから緊急地震速報が流れた。
あの時期、結構頻繁に緊急地震速報が流れていたので、最初は「またか? 今度はどこ?」と思った程度だった。ところがそれから間もなく、今まで経験したことがないような揺れが来た。そしてラジオからは「東北地方で大きな地震が発生」という声が流れた。
そうこうしていると、また大きな揺れが来た。今度は最初の揺れよりも強い揺れだった。窓から外を見ると多くのビルが左右に揺れていた。あんな経験は初めてだった。
これは尋常ではないと思い、あわててテレビをつけたら「大津波警報が」というアナウンスと共に信じられないような津波の映像が次々に流れ始めた。

実は、当時私は仕事のために仙台にある某大学に頻繁に通っていて、あの日の2週間位前にも仕事のために仙台にいた。
テレビを見て真っ先に頭に浮かんだのはその大学の人達のことで、すぐにメールを送ってみた。ところが、ほとんど送信した瞬間にすべてのメールが戻ってきてしまい、何度やっても同じだった。もちろん電話はまったくつながらなかった。いったい何が起きているのか、本当に怖かった。この時の気持ちは今でも忘れることができない。
結局その日は連絡がとれず、ずいぶん心配した。
しかし、数日後に、みんな学会で東京に来ていたというオチまでついて、無事だということがわかり、本当に安心した。(お一人だけ、ご家族が犠牲になったと後から聞いたが・・・)
家族ともなかなか連絡がつかなかったが、地震発生から数時間経って、ツイッター経由でみんな無事だということがわかった。電話や携帯、メール等がほぼ使い物にならなかった時に、ツイッターだけは何事もなく生きていたので、あらためて凄いなと思った。

あの日は電車もすべて止まってしまい、タクシーもひろえる状況ではなかったので、私は家に帰ることはあきらめ、オフィスに泊まることにした。
暗くなって窓から下を見ると、歩いて家に帰るのであろうと思われるたくさんの人が歩道を歩いていた。
夜は、椅子を並べて新聞紙とコートをかけて寝たが、寒いし頻繁に余震が起きるしで、ほとんど寝られなかった。

翌日、電車が動き始めたようだったのでオフィスを出て駅まで行ってみたが、その駅はまだ開いていなかった。仕方がないので1時間半ほど歩いて途中の駅まで行き、そこで動き始めたばかりの電車に乗った。
しかし、その電車もまともには動かず、一駅走っては止まり、また走っては止まりを繰り返し、通常だと30分位のところを3時間程かかって我が家の最寄り駅に辿り着いた。

あの時、東京は大した被害があったわけではない。それでもあんな大変なことになったのだから、今後予想されている 南海トラフ地震や首都直下地震が起きたら一体どのようになってしまうのだろうか。
だからこそ日頃の備えが必要というのはわかる。でも、今COVID-19で起きていることを思うと、正直、非常に暗い気持ちになる。

とは言え、むやみに未来を心配することは愚かなことだし、まずは今できることを精一杯やるしかないのかなと思う。
コメント (4)
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