わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから抜けられない爺が日々の出来事や想いを書いてます
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8月6日

2023-08-06 10:45:11 | 地球とか命とか
今日は広島に原爆が投下された日。儂がこの日に広島の原爆のことを書くのは2019年以来みたい。最初はいつものようにはちゅ達のことと一緒に書き始めたんだけど、今朝、テレビで平和祈念式典の中継を見ているうちに考えが変わり、別にすることにした。

以前にも書いたように、儂がこの日に林光の「原爆小景」を聴くことは未だに続いている。そして、以前の記事では、福島県立会津農林高校合唱部の「水ヲクダサイ」の演奏を紹介した。技術的なことをはともかく、これだけ心を打つ演奏にはそう簡単に出会えないなと、今聴いても思う。音楽としては破綻している部分もあり、“やり過ぎ”と思うところもあるけど、これは文字通り心の叫びなんだろう。
でも、今年は、もしかしたらそれ以上の演奏かなと思ったこれを貼ってみる。

第一曲「水ヲクダサイ」

第三曲「夜」

さすがにプロの演奏だから技術的には素晴らしい。それと同時に、いつまでも深く心に刺さり、それがずっと残るような演奏だなと思った。
まあ、この曲や演奏の評論はどうでもいい。そして今更儂がこんなところで核兵器反対だのなんなのと書いても大した意味はない。それよりも、まずこの曲を聴いていただきたい、あるいはこの詩を読んでいただきたい。フツーに人としての心があれば、あるいは知性があれば、必ず何かを感じるはず。そう簡単に「現実は」なんていうことは言えないはず。

最初に書いたように、この記事を別にしようと思ったのは、このメッセージを聞いたから。
核抑止論を真っ向から否定して、すばらしいことを言われてる。
ウクライナが核兵器を放棄したから侵略を受けているのではありません。ロシアが核兵器を持っているから侵略を止められないのです。
あなたは、万が一核抑止が破綻した場合、全人類の命、場合によっては地球上の全ての生命に対し、責任を負えるのですか。あなたは、世界で核戦争が起こったら、こんなことが起こるとは思わなかった、と肩をすくめるだけなのでしょうか。 
これに対して、「ウクライナが侵略されたことと核兵器は無関係では?」というコメントをいくつか見た。確かにそうなのかもしれない。でも、ロシアが核兵器を持っているから、未だに多くの命が奪われ続けているのではないのか?
現実だのお花畑だのと言う人がいるけど、理想を追わなければいつまでも何も変わらない。いつも言うように、変わらないもの、変えられないものは必ず滅びる。そしてそもそも、理想を現実にできないようなら、人間が誇っている知恵なんて、なんの意味もないんじゃないのか? 
政治とかイデオロギーとか、そんなことは全く関係がない。考えなければならないことは唯一つ、「命」ということだけ。


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