『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

二頭の蝶

2024-05-26 21:51:35 | 気付き
久々のレッスン、久々のフルート。

健康が戻るって、なんて幸せ!?と病み上がりの時は思うけれど、すぐに喉元過ぎればで忘れてしまって、遊びすぎたり、練習しすぎたりして、病気になっている気もします。
いい加減に学習すればいいのに、とも思うけれど、後、何年元気でいられるのだろう?と思うと、以前よりも遊ぶことへの意欲は増えているかもしれません。

とはいえ以前より回復に時間がかかるようになっているのは確かなので、ここでこじらせては、といくつかの遊びの予定をキャンセル。

一つは6月2日にある高校の同期Gくん主宰の花火大会。
コロナ禍の時は中止になっていたけれど、彼が住むタワマンから横浜港の花火が良く見えるということで、毎年、同期の男女取り混ぜ10人前後で集まっていたもの。

Gくんは仕事は既にリタイアし、訳あって、今は独身。
何より、凝った料理が、これまた上手で、5年ぶりの花火宴会、とても楽しみにしていたのだけれど、ここで遊んで体調崩して、翌週の東京玉翠会総会での企画進行パートチーフとしてのミッションが遂行できなくなったら、大変、ということで泣く泣く断った。

バンド仲間「瀬戸内キャンディーズ」のHちゃん、Kちゃんとも久しぶりに会える、と楽しみにしていたのに。

お休みした音楽家講座の時に着る予定だった、夏塩瀬を着ていく予定だったのに・・

その連絡をした後のレッスンの最中、いつもより、しっかりと課題をやり込んできたのが良く分かる生徒さんの基礎を見ていて、あ!と思った。

昔はそれほど感じられなかった違和感多数。

「あ、ちょっといいですか?」

生徒さんは何故止められたんだろう?と怪訝な表情。

「すみません。いや、どこも悪くないです。ただ。ちょっとここをこうしてこうやってみてくださいますか?」

と気になった腰のポジションを修正したところ、ポーンとよりクリアで響く深い音になったのでした。

なんとなく気になってなんとなくご助言しただけなのだけど、そのあまりの違いに二人共びっくり。

「ちょっと待ってね。これ今思いついたんで、私もやってみるからね。」と今行ったことを自分でも修正したところ、生徒さん同様に、ポーンと出た。

「全身で手順を踏んだソの字立ち」
「ティーポットの気付き」
「2本脚で、合計足裏3点で立つ(これはやってるつもりだけだけれど、確実に違う)」
に加えての新たな気付きは蝶。

「そういえば蝶々って何羽?何匹?どっちだっけ?」と聞いたら、私よりも博学の生徒さんは「何故か知りませんが、蝶々は一頭、二頭、と数えるらしいですよ。」

まさに今回の気付きにもぴったりの数え方。

「二頭の蝶々の向きを揃えましょう!」

そもそも、甲野先生に抜刀術を教えていただいた瞬間、呼吸が深く、刀が軽くなったことに驚いたのが、私の奏法の変遷の始まりだった。

抜いた刀がそのままフルートに見えて・・・

当時専門誌の連載や「身体から革命を起こす」にこの新たな気付きと構え方を掲載したけれど、業界からは軽くスルー・・だった気がする。
そう、人ぞれぞれだしね。

でも、この体幹をねじらない構というのは私にとっては、まさに革命的出来事だった。

そう。足首、膝、股関節を駆使してフルートと身体が並行するように構えるやり方。

これは今も変わらないのだけれど、大きな落とし穴がまだあったことを本日自覚。

そう。確かに「体幹」はねじれなくなった。
でも、落とし穴はその体幹の外側、首との関係を取り持つ頸椎だった!?

昔、某身体系のインストラクターという方の講習会に参加したけれど、そこで「はい!あとは首だけこっちに向けて」とあって、心の中で「ハテ?それは違うのでは?」と思ったことがあったのだけれど、いわば50歩100歩だったということだ。

今日のレッスンで気付けたのも、おそらく、能楽堂会議室で、甲野先生の動きをみた瞬間に、スーっとしみ込んできた、あの印象のお陰か、とも思う。

まだ捻じれていたのは頸椎だった。

風邪で、後鼻漏みたいになり、鼻ばかりかんでいたのも影響しているかも。
大丈夫か?とネットで頭蓋骨の絵などみて、鼻腔周辺が、どうなってるの?と見たりしていた。
この頭の中にいる蝶々、その名も「蝶形骨」と、もっと大きな蝶々である「骨盤」の向きを揃える。

揃える時に役に立つ、というか必須なのはあの「見返り美人」
これも懐かしい構え方で、動きの基本になっているので、最早意識に上ることもなくなっていた構え方。

ソの字立ちで楽器を構えて、そのまま吹くだけでも、素晴らしい変化があったのだけれど、これだと、まだ頭の向きと骨盤の向きが僅かだが違う。

ということは頸その分椎が捻じれて負荷がかかっていた、ということ。

それを骨盤の向きを「見返り美人」を使って顔の向きに揃えてやることで、別世界に。
頸椎のねじれが取れて、肩の負荷が減る。
まさに、「肩の荷を下ろす」である。

骨盤を動かすことで、頸椎だけにかかっていた負荷が背骨全部に散る。

「部分でねじらないために万遍なくねじる」

わかりにくくて申し訳ないけれど、この言葉が一番適している。



気付き

2024-05-10 00:16:07 | 気付き
おそらく、とても久しぶりのフルート奏法に関しての日記。

この間、変化がなかったという訳ではないのですが、「ソの字立ち」と「ティーポット」の気付きに比べたら、どれも末梢的な些細なものに感じられて、あまりときめかなかったので、そのままどんどんと流れていった、という感じ。

それが、甲野先生と能楽師・加藤眞悟氏との対談の日、久々に大きな衝撃とそれに伴う変化がありました。

それは甲野先生の「無構えの構え」を見たから。

以前も、この構えの動きは音楽家講座でも何度も披露してくださっていたのですが、今回のものは、それまでと全く違って見えたのでした。

音楽家講座は仕切る務めもあるので、どうしても周囲への集中の方が多くなるせいか、とも思ったけれど、それだけではないと思う。

明らかに甲野先生の動きの質が激変していたからだ。

それ以前もとても滑らかな角のない動きと思っていたけれど、あの日の先生の動きはゲル状の何か、アメーバとかウミウシみたいなものが空中で動いているような、とにかく見たことのない動きだった。

細かい多面体の角すらみな取れて球体になった、というような感じ。

だからこそ、これまで見ていても見えていなかったことが見えた!?
と、勝手に思っているだけかもしれませんが、フルートを構える時の滞りがかなり減って、より循環するようになった。

「ソの字立ち」というのは、ザツに、その結果としての形状だけを真似しても、大きな効果があるのだけれど、丁寧に全身を使って作ることで、よりとんでもないものになる。

とはいっても私のものは、まだ角があるゴロゴロとした立方体レベルなので、これをより多面体構造に、そして、最終的には超多面体に。そしていつの日か、球体に。

最初に左手を刀の柄に添えて構え始める。

これがヒントになって、動きを連動させることが出来た。

以前も上半身と下半身の連動は工夫していて右手を掬い手にして楽器を移動する時に右足も前に出していたのだけれど、これだと左半身に滞りが残り、それが左手人差し指付け根付近の力みに繋がり、色々と悪さをしていたことにようやく気付く。

これまた音楽家講座でも何度もお話くださっていた左手に関してのお話がようやく入ってきたという感じ。

民からその功績を讃えられる王というのは2番目に素晴らしい王。
では、最も素晴らしい王とは?
その存在は知っていても何をしているかわからないと思われている王である。

という老子の教えを引いて説明してくださっていた左手の取り扱い方。

【太上下知有之  其次親而譽之  其次畏之  其次侮之

 信不足 焉有不信 悠兮其貴言 功成事遂 百姓皆謂我自然】


ちなみに3番目は恐れられる王、4番目は侮られる王。

・・・・・・・・・・・・・・
もう一つは、リバイバルというか、同じ気付きでも、「ソの字立ち」と「ティーポット」で変化したことに伴う変化。

ずっと前は「鼻の裏」その後「脳に突き刺す」になっていた息の通り道の感覚が、

「ミイラ作り」に。

食事中の話題には不適切だけれど、19年のエジプト旅行での気付き。

脳みそを鼻の穴から掻き出すという・・・

そのルートを意識した方がなんといっても鼻の穴は息の通り道なので、ずっと良い。





手段と目的

2024-03-05 17:21:09 | 気付き
2月18日の音楽家講座特別企画の時の甲野先生との交流はいつにも増して、久々だったこともあり、より濃厚なものでした。

それ以来、考えていたのは「手段と目的」に関して。

よく恩師・植村泰一先生が注意するともなく、仰っていた。

「手段と目的はすぐに入れ替わっちゃうから気を付けていないとね。」

これは、母校の同窓会、東京玉翠会の企画運営の時にも感じたことだけれど、「簡素化」をモットーにやってきたけれど、あくまでもそれは「手段」であって、目的は「持続可能な東京玉翠会」にすること。簡素化はそのための手段にすぎない。

一歩引いて俯瞰することの出来る同窓会運営では、そんなことはすぐにわかるのに、本業であるフルートでは中々そうはいかない。

もうとうに還暦も過ぎ、半世紀以上もやってきているというのに、未だに「良い音だしたい」「上手くなりたい」がすぐ目的になってしまう。

じゃあ、そもそも目的は何?と改めて自身に問うと、これまたよくわからない。

強いていえば、「楽しく生きるため」かも。

この自分にとっての「楽しく」をどこまで掘り下げていけるか、ということになるのではないかしら。

とかいいつつ、先日も大きな変化があったので忘備録。

レッスンの時に口走っていたもので、やはり生徒さんを教えるというのは有難い。
「自分のことはわからなくても、人のことはよくわかるからねえ」とこれまた師匠はよく仰っていた。

それまでは、ハミングみたいに、鼻裏を通して、と言っていたのだけれど、今は

「脳に突き刺して!」

と言っている。

ティーポットの気付き

2024-02-04 00:24:06 | 気付き
昨年末から体調を崩したこともあり、笛をさらう時間は激減したものの、反比例するみたいに、多くの進展がありました。

でも、それも、なんだか、まあ、そうなんだろうな、という感じで、かつてのような大きな感動や喜びもなく、淡々と過ぎていた。

それが、ここに来て、一気に爆発というか、感動の嵐。
・・極端・・

それもこれも、「ソの字立ち」あればこそで、この「ソの字立ち」以前と以後では、もう全く何もかもが違っている。

ソの字立ちで、重心を落とし、足裏3点で立ち、腹を伸ばすと、スっと軸が整い、背骨、頸椎が整い、結果肩が下がる。

これを私は「ミーアキャット」と呼んでいる。
周囲に敵がいないか、見渡すような姿勢。

この状態で、顎を少し引き、頤のくぼみにフルートを置く。

よく言われている3点支持ではなく、「3点に載せる」になっている。

ここまでが昨年まで。

これに加えて数日前に、「ティーポットの気付き」、というのがあって、これがかなり妄想的なもので、書き言葉ではとても表現しにくいものなのだけれど、きっかけはTVの「相棒」。

特に番組のファンという程ではないものの、たまたま目にしたのが、水谷豊が紅茶を注ぐシーン。

まあ、確かに空気に沢山触れさせたほうが美味しいとも聞いたことはあるけれど、どう考えても危なっかしくて、マナー違反でしょうに、と思う。飛沫が跳ねそうだし。
そもそも、いくらなんでもポット上げすぎでしょ、と思いつつみていて閃いた。

ポットとティーカップの距離、紅茶の勢い、注がれる時の紅茶の流れの太さの違い等々・・

高いところから物体を落下させると、その速度は時間と共に増加するという物理。

これが高音域にぴったりで。
自分でなんとかするのではなく、ポットの位置を変えるだけ。

余談だけれど、生徒さんにこの話をしたところ、あの番組と水谷豊のファンで、「長寿番組なんですけど、どんどんと、あのティーポットの高さが高くなってきてるんですよ!」とのプチ情報を得る。
・・・練習したのだろうなあ・・


昨年までの奏法に、この気付きが加わったことで、更に演奏実感からは遠ざかるように。

今まで、かなりの「間に合わせ」を振り捨ててきたつもりだったけれど、まだまだ沢山の間に合わせをやっていたし、また、その間に合わせに助けてもらってたのだなあ、と思う。

また、いつか、こうやって愕然としつつも大きな喜びを感じられる日も来るのだろうと思うし、そうありたい、と願うけれど、今回のものは、本当に大きな変化をもたらしてくれて、昨年からの鬱々としたものを吹っ飛ばしてくれた感もある。

目に見えないものを、見るともなしに見る感じに視線をあやつって、このティーポットの原理的な息のコントロールをする。
・・って書くと、ほらね、やっぱり怪しいでしょう?

さらに今日の生徒さんのレッスンの中、これを音量、音色の変化に使うことも気が付いた。音域によって、やり方は異なってくるので、ちょっとややこしいのだけれど。


あと、これは幼稚園での演奏のため、久々にディズニーメロディーなどを吹いていて気付いたことなのだけれど、お姫さまが王子さまとダンスしようと両腕を差し伸べる時に、「どうすれば、重いこの腕を楽に持ち上げられるか?」なんてことは一切考えないでしょ、ということ。

もちろん、これも如何に楽に持ち上げられるか?滞りなく取り扱えるようにするには?と散々やってきたからこそ、なのかもしれないけれど・・・

フルートと一緒にダンスするつもりで両腕を差し伸べればいいんじゃない?

フルート重いのよね。
腕上げるの、かったるいのよね。

という思いに基本的に支配されていたから、より重くなるのかもね、なんてことも反省中。


顎のポジションが変化

2023-10-06 22:25:49 | 気付き
本番3日前なので、もうあまり変えたくはなかったのだけれど、変わってきてしまったのだから仕方ない。

はっきりと気付いたのは昨晩のレッスン。

植村先生がよく仰っていた。

レッスンというのは、本当に有難い。自分のことはわからなくても人のことはよくわかる、と。

今までそんな助言はしたことはなかったのだけれど、植村先生、そしてその師である川崎先生のフルートを演奏されている写真がふと浮かんだ。

最近、川崎先生の曲ばかり吹いているせいもある。

御二人に共通する要素がなんとはなしに浮かんだ。

そして、それは私には今まで、全くなかったもので、考えたこともなかったものだった。

でも、言葉にしたとたんに、勝手に顎の骨が移動して、おそらく本来の位置に収まった。

もっといえば、こうなった原因は信頼している知人に勧められて興味本位で受けたオステオパシーの影響かもしれません。

色々と面白く驚くことばかりでしたが、そこでなんと私の右半身の不調は親不知抜歯の影響もあったかもしれないけれど、むしろ肝臓が弱っているせい、との指摘。

肝臓のある右わき腹を支えてやると、すっと痛みがひくのにびっくり。
・・もしや、フォアグラとまではいかないまでも肥大して重くなっているのか?

問診の時、

「お酒は?」 「好きですねえ・・」
「甘い物は?」「それも好きなんですよ・・」
「油ものは?」「もう大好きです!」
「運動は?」「・・嫌いです。」

という会話があったので、そこから推理されたデータによるのかもしれないけれど、実際に痛みの変化が大きくあったので、本当に驚きました。

さしたる動きも、力で押すようなことも一切なかったのに、不思議なことに終わったあとは身体がポカポかで、ほぐれているのを実感。視線も高くなっている。

「色々と修正したので、これであとは自己治癒力が働いてくると思います。もし必要だと感じられたらまた3、4週間後くらいにどうぞ。お酒はあなるべく控えて、季節の野菜など中心の食事に。」とご助言いただきました。

イメージとしては野口整体に近いところもある。

(オステオパシーはちゃんと学んで資格を持っている事を表記証明している治療院を探すことをお勧めします。検索した中にはちょっとアレ?というのもあったので。)

帰宅してからはとても眠くなり、早い時刻からたっぷり眠りました。
そして、昨日は顎のポジションが変化。

フルートの音の力強さが全く違う。

雀の嘴からハシビロコウの嘴になった感じ。

顎の位置が変わることで、頸椎の負荷も減り、首、背骨、肩甲骨、全てが変化しました。
多分、幼い頃から身体全部を使い、ちゃんとしっかりと生きている人は、元々この顎の位置なんだと思う。


もう一つの思い当たる理由は

「ソの字立ち」

これは、とても脚全体に負荷がかかって疲れるのだけれど、肩が落ちて鎖骨の位置が変わり、息が腹奥と繋がる。

フルート演奏時だけでなく、駅で電車を待つ時、そして歩く時の足運びも変化。

荷物が、そしてフルートが軽くなることにも気が付きました。