久々のレッスン、久々のフルート。
健康が戻るって、なんて幸せ!?と病み上がりの時は思うけれど、すぐに喉元過ぎればで忘れてしまって、遊びすぎたり、練習しすぎたりして、病気になっている気もします。
いい加減に学習すればいいのに、とも思うけれど、後、何年元気でいられるのだろう?と思うと、以前よりも遊ぶことへの意欲は増えているかもしれません。
とはいえ以前より回復に時間がかかるようになっているのは確かなので、ここでこじらせては、といくつかの遊びの予定をキャンセル。
一つは6月2日にある高校の同期Gくん主宰の花火大会。
コロナ禍の時は中止になっていたけれど、彼が住むタワマンから横浜港の花火が良く見えるということで、毎年、同期の男女取り混ぜ10人前後で集まっていたもの。
Gくんは仕事は既にリタイアし、訳あって、今は独身。
何より、凝った料理が、これまた上手で、5年ぶりの花火宴会、とても楽しみにしていたのだけれど、ここで遊んで体調崩して、翌週の東京玉翠会総会での企画進行パートチーフとしてのミッションが遂行できなくなったら、大変、ということで泣く泣く断った。
バンド仲間「瀬戸内キャンディーズ」のHちゃん、Kちゃんとも久しぶりに会える、と楽しみにしていたのに。
お休みした音楽家講座の時に着る予定だった、夏塩瀬を着ていく予定だったのに・・
その連絡をした後のレッスンの最中、いつもより、しっかりと課題をやり込んできたのが良く分かる生徒さんの基礎を見ていて、あ!と思った。
昔はそれほど感じられなかった違和感多数。
「あ、ちょっといいですか?」
生徒さんは何故止められたんだろう?と怪訝な表情。
「すみません。いや、どこも悪くないです。ただ。ちょっとここをこうしてこうやってみてくださいますか?」
と気になった腰のポジションを修正したところ、ポーンとよりクリアで響く深い音になったのでした。
なんとなく気になってなんとなくご助言しただけなのだけど、そのあまりの違いに二人共びっくり。
「ちょっと待ってね。これ今思いついたんで、私もやってみるからね。」と今行ったことを自分でも修正したところ、生徒さん同様に、ポーンと出た。
「全身で手順を踏んだソの字立ち」
「ティーポットの気付き」
「2本脚で、合計足裏3点で立つ(これはやってるつもりだけだけれど、確実に違う)」
に加えての新たな気付きは蝶。
「そういえば蝶々って何羽?何匹?どっちだっけ?」と聞いたら、私よりも博学の生徒さんは「何故か知りませんが、蝶々は一頭、二頭、と数えるらしいですよ。」
まさに今回の気付きにもぴったりの数え方。
「二頭の蝶々の向きを揃えましょう!」
そもそも、甲野先生に抜刀術を教えていただいた瞬間、呼吸が深く、刀が軽くなったことに驚いたのが、私の奏法の変遷の始まりだった。
抜いた刀がそのままフルートに見えて・・・
当時専門誌の連載や「身体から革命を起こす」にこの新たな気付きと構え方を掲載したけれど、業界からは軽くスルー・・だった気がする。
そう、人ぞれぞれだしね。
でも、この体幹をねじらない構というのは私にとっては、まさに革命的出来事だった。
そう。足首、膝、股関節を駆使してフルートと身体が並行するように構えるやり方。
これは今も変わらないのだけれど、大きな落とし穴がまだあったことを本日自覚。
そう。確かに「体幹」はねじれなくなった。
でも、落とし穴はその体幹の外側、首との関係を取り持つ頸椎だった!?
昔、某身体系のインストラクターという方の講習会に参加したけれど、そこで「はい!あとは首だけこっちに向けて」とあって、心の中で「ハテ?それは違うのでは?」と思ったことがあったのだけれど、いわば50歩100歩だったということだ。
今日のレッスンで気付けたのも、おそらく、能楽堂会議室で、甲野先生の動きをみた瞬間に、スーっとしみ込んできた、あの印象のお陰か、とも思う。
まだ捻じれていたのは頸椎だった。
風邪で、後鼻漏みたいになり、鼻ばかりかんでいたのも影響しているかも。
大丈夫か?とネットで頭蓋骨の絵などみて、鼻腔周辺が、どうなってるの?と見たりしていた。
この頭の中にいる蝶々、その名も「蝶形骨」と、もっと大きな蝶々である「骨盤」の向きを揃える。
揃える時に役に立つ、というか必須なのはあの「見返り美人」
これも懐かしい構え方で、動きの基本になっているので、最早意識に上ることもなくなっていた構え方。
ソの字立ちで楽器を構えて、そのまま吹くだけでも、素晴らしい変化があったのだけれど、これだと、まだ頭の向きと骨盤の向きが僅かだが違う。
ということは頸その分椎が捻じれて負荷がかかっていた、ということ。
それを骨盤の向きを「見返り美人」を使って顔の向きに揃えてやることで、別世界に。
頸椎のねじれが取れて、肩の負荷が減る。
まさに、「肩の荷を下ろす」である。
骨盤を動かすことで、頸椎だけにかかっていた負荷が背骨全部に散る。
「部分でねじらないために万遍なくねじる」
わかりにくくて申し訳ないけれど、この言葉が一番適している。
健康が戻るって、なんて幸せ!?と病み上がりの時は思うけれど、すぐに喉元過ぎればで忘れてしまって、遊びすぎたり、練習しすぎたりして、病気になっている気もします。
いい加減に学習すればいいのに、とも思うけれど、後、何年元気でいられるのだろう?と思うと、以前よりも遊ぶことへの意欲は増えているかもしれません。
とはいえ以前より回復に時間がかかるようになっているのは確かなので、ここでこじらせては、といくつかの遊びの予定をキャンセル。
一つは6月2日にある高校の同期Gくん主宰の花火大会。
コロナ禍の時は中止になっていたけれど、彼が住むタワマンから横浜港の花火が良く見えるということで、毎年、同期の男女取り混ぜ10人前後で集まっていたもの。
Gくんは仕事は既にリタイアし、訳あって、今は独身。
何より、凝った料理が、これまた上手で、5年ぶりの花火宴会、とても楽しみにしていたのだけれど、ここで遊んで体調崩して、翌週の東京玉翠会総会での企画進行パートチーフとしてのミッションが遂行できなくなったら、大変、ということで泣く泣く断った。
バンド仲間「瀬戸内キャンディーズ」のHちゃん、Kちゃんとも久しぶりに会える、と楽しみにしていたのに。
お休みした音楽家講座の時に着る予定だった、夏塩瀬を着ていく予定だったのに・・
その連絡をした後のレッスンの最中、いつもより、しっかりと課題をやり込んできたのが良く分かる生徒さんの基礎を見ていて、あ!と思った。
昔はそれほど感じられなかった違和感多数。
「あ、ちょっといいですか?」
生徒さんは何故止められたんだろう?と怪訝な表情。
「すみません。いや、どこも悪くないです。ただ。ちょっとここをこうしてこうやってみてくださいますか?」
と気になった腰のポジションを修正したところ、ポーンとよりクリアで響く深い音になったのでした。
なんとなく気になってなんとなくご助言しただけなのだけど、そのあまりの違いに二人共びっくり。
「ちょっと待ってね。これ今思いついたんで、私もやってみるからね。」と今行ったことを自分でも修正したところ、生徒さん同様に、ポーンと出た。
「全身で手順を踏んだソの字立ち」
「ティーポットの気付き」
「2本脚で、合計足裏3点で立つ(これはやってるつもりだけだけれど、確実に違う)」
に加えての新たな気付きは蝶。
「そういえば蝶々って何羽?何匹?どっちだっけ?」と聞いたら、私よりも博学の生徒さんは「何故か知りませんが、蝶々は一頭、二頭、と数えるらしいですよ。」
まさに今回の気付きにもぴったりの数え方。
「二頭の蝶々の向きを揃えましょう!」
そもそも、甲野先生に抜刀術を教えていただいた瞬間、呼吸が深く、刀が軽くなったことに驚いたのが、私の奏法の変遷の始まりだった。
抜いた刀がそのままフルートに見えて・・・
当時専門誌の連載や「身体から革命を起こす」にこの新たな気付きと構え方を掲載したけれど、業界からは軽くスルー・・だった気がする。
そう、人ぞれぞれだしね。
でも、この体幹をねじらない構というのは私にとっては、まさに革命的出来事だった。
そう。足首、膝、股関節を駆使してフルートと身体が並行するように構えるやり方。
これは今も変わらないのだけれど、大きな落とし穴がまだあったことを本日自覚。
そう。確かに「体幹」はねじれなくなった。
でも、落とし穴はその体幹の外側、首との関係を取り持つ頸椎だった!?
昔、某身体系のインストラクターという方の講習会に参加したけれど、そこで「はい!あとは首だけこっちに向けて」とあって、心の中で「ハテ?それは違うのでは?」と思ったことがあったのだけれど、いわば50歩100歩だったということだ。
今日のレッスンで気付けたのも、おそらく、能楽堂会議室で、甲野先生の動きをみた瞬間に、スーっとしみ込んできた、あの印象のお陰か、とも思う。
まだ捻じれていたのは頸椎だった。
風邪で、後鼻漏みたいになり、鼻ばかりかんでいたのも影響しているかも。
大丈夫か?とネットで頭蓋骨の絵などみて、鼻腔周辺が、どうなってるの?と見たりしていた。
この頭の中にいる蝶々、その名も「蝶形骨」と、もっと大きな蝶々である「骨盤」の向きを揃える。
揃える時に役に立つ、というか必須なのはあの「見返り美人」
これも懐かしい構え方で、動きの基本になっているので、最早意識に上ることもなくなっていた構え方。
ソの字立ちで楽器を構えて、そのまま吹くだけでも、素晴らしい変化があったのだけれど、これだと、まだ頭の向きと骨盤の向きが僅かだが違う。
ということは頸その分椎が捻じれて負荷がかかっていた、ということ。
それを骨盤の向きを「見返り美人」を使って顔の向きに揃えてやることで、別世界に。
頸椎のねじれが取れて、肩の負荷が減る。
まさに、「肩の荷を下ろす」である。
骨盤を動かすことで、頸椎だけにかかっていた負荷が背骨全部に散る。
「部分でねじらないために万遍なくねじる」
わかりにくくて申し訳ないけれど、この言葉が一番適している。