『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

東京玉翠会の仲間

2020-11-29 23:50:43 | 日常
東京玉翠会は香川県立高松高校の東京の同窓会。

毎年7月には新側プリンス鳳凰の間を借り切って、1000人集まる日本一の同窓会(総会)を開催しています。

ここ数年は、関心を持った他校から「色々と教えて欲しい」と運営方法などを尋ねられることも増えてきました。

この仕組みを作ってくださった先達には、本当に感謝です。

一番脂の乗り切った42才となる学年が幹事を引き受け、その年のイベントを取り仕切る。

それをサポートするのが各年度の学年幹事。
さらには、全体をサポートする事務局。

若い頃は全く関心もなくスルーしていた同窓会だけれど、幹事学年となる2年前、40才の時に、同期のリーダー健さんから電話がかかってきて引きずり込まれたのでした。

「真理ちゃん、助けて!」

・・え?学生時代は面識なかったし、数回しか会ってないのにいきなり真理ちゃん?ってどうよ?その上、助けて???

とキョトンとしているうちに、学年幹事にならされていた。
丁度育児に追われていて仕事をセーブしていた時期、というのもよいタイミングでした。

事務局員としては、その学年幹事会の時にリクルートされたのだけれど、どちらも役不足の感は否めず、おそらく「飲みっぷりの良い宴会盛り上げ要員」ではないか、と自覚している。

今や、コロナで、その宴会どころか、肝心の総会も今年は中止となった。
それまで、最低でも2か月に一度は顔を合わせていた先輩、後輩、同期とこんなに会わなくなったのは初めて。

そうか。あんまり自覚はなかったけれど、これもまた私にとっての曖昧な喪失感の要因だったかと本日認識。

今回、久々に、来年はどうするか?というテーマで、事務局員有志のリモート会議が午前10時から2時間に渡って開かれました。

久々の顔ぶれが、画面越しではあるけれど、懐かしく、皆元気そうで、会えて嬉しかった。

こうして改めて見ると、みんな個性的やな~、濃いな~、と自分を棚に上げてしみじみ。

私以外は、皆、有能な社会人で、会議の進行もテキパキと無駄なく、かつ良い雰囲気。
このあたりのバランス感覚の良さにいつも感心する。

やはり実際の開催はまだまだ大きなリスクがあるので、リモート開催という結論に。

後は幹事学年がそれを踏まえて、きっと良い企画を立ててくださることでしょう。

ネット関連に詳しい後輩も居て、今まで全く知らなかったアメリカのスペーチャルチャット、というのを教わった。

1000人参加でも大丈夫、ということでびっくり。

仮想現実空間で、自分の分身が存在し、周辺の同じく分身の人達と、通常の宴会のように会話できるというもの。遠くの人とはだめで、近場だけ、というのが、本当にリアルだ。

映画みたいに、こうした技術は、これからさらに進歩して、暮らしに欠かせないツールになっていくのかもしれません。

次回の事務局会議は、さっそくこのSpatial chatを使ってやるということで、ちょっと楽しみです。

・・・・・・・・・・
事務局会議で、元気になったところ、夜は夜で、同期バンドWAYAZのみんなからの近況報告。そろそろリモート忘年会しようぜ、ということで、これまた元気に。

さらには、同期のリモート宴会もあり、こちらは所用があって参加できなかったのですが、また元気になる話題が。

Oくんは、かつてはメリルリンチの若き取締役で、ゴルフもプロ並みのスコア、その上人柄も良い。

今は投資顧問会社の社長だ。

「ねえ、Oくんが運用するお金に私の隠し貯金10万円もくっつけて、ついでに運用ってできないの?」

とメリルに居た頃、ダメモトで言ってみたら

「・・それはね・・郵便局に預けてください・・」

と丁重に断られた。

数年前、恵比寿で武術の兄弟子・中島さんたちの忘年会に繰り出した時、駅で偶然出くわしたこともあったのだが、

「うちの真理ちゃんをよろしくお願いします。」

と若い世代の稽古人の方達にも礼儀正しく挨拶してくれた。

そのOくんが、徳島の山にある豪農だった実家の古民家を大規模にリフォームしてゲストハウスとして再生する、という知らせが同期メールで話題に。

朝日新聞徳島版で記事にもなったそう。

こんな時期に?と思ったが、記事の談話を読んで、また元気になった。

「コロナ禍が終わればインバウンドも復活する。剣山の登山客が帰りに藍染を楽しんだり、半田そうめんを味わったり、のんびり過ごしてもらえれば。」

場所は2層うだつの町並みで知られるつるぎ町貞光。

運営は地元の若手事業者が協力して、来年5月末に完成し、6月から営業開始とのこと。
きっと地元の活性化、経済的復興も念頭に置いてのことだろう。

この状況下でしょんぼりしてばかりいたけれど、とても勇気づけられました。

投資のプロだもの。先行きを見通す力は信じるに値する??

絶対いくからね。で、WAYAZ合宿もする!(と勝手に決める。)

希望をありがとう!


浜口奈々氏「ラヴェルのピアノ作品における抒情性と官能性」

2020-11-29 00:36:02 | 音楽・フルート
先月はお休みしてしまったのですが、9月から演奏表現学会の会合も再開。

本日はピアニスト浜口奈々氏による公開レッスン形式のラヴェル作品のレクチャー。

「鏡」より(主に)・蛾・悲しい鳥・鐘 「夜のガスパール」より・オンディーヌ。

会員の殆どはピアニスト。

ピアニストというのは・・・

ともかく、フルートの何倍もの膨大なレパートリーを持ち、何倍もの知識があり、何倍もの時間を費やして「ピアニスト」になった、本当に凄い人達だ、と常に感服している。

パイプオルガン奏者とピアニスト、というのは、絶対敵にはしたくない種族だ。
私にとっては常に尊敬の対象だ。

そもそも、一度に出す音の数からして違う。
一生の内に出した音の数の差だけでも、到底敵わない。

この学会には縁あって、リサイタル前に個人レクチャーをお願いしていた作曲家・二宮洋先生の御誘いで参加することとなったのですが、私なんかがここに居てもいいのか?というくらいの場違い感も若干抱きつつですが、とても楽しみにしています。

皆熱心で、会合は毎回ハイクオリティ。

本日も素晴らしかった。

・・・


弟子をとらなかったラヴェルが唯一信頼し細かな助言をしていたというピアニスト・ペルルミュテール。

浜口奈々氏は、そのペルルミュテールの愛弟子だそう。

レクチャーでも、師であるペルルミュテールの数々の教えが惜しげもなく紹介された。

それらも含め、浜口奈々氏のレクチャーは、まるでフルートの神様、マルセル・モイーズの言葉か?というくらい共通するものがあった。

フルート奏者によるレクチャーよりも、むしろ異なるメカニズムのピアノを通すことで、よりその共通性、本質が浮かび上がる。

加速し手放す、という原理はまさにソノリテの「アタック」であり、手のテンションを変えずに移動させる技は「音の連結」に通じる。

ペダル頼みではなく指を同じ音の中で移動させる、というのは、おそらくディヌ・リパッティに代表されるようなフランスの伝統なのだろう。

個人的には、その根底にはクープラン、バッハ等の歴史的なクラヴィーア奏法から脈づいていると思っている。

浜口氏の説明で、「手のテンションを変えないためにこうしている」というのに納得。

全ては響きと音色のため。


レクチャーしつつ演奏されるピアノの響き、音楽がさらに素敵で、いつかコンサートで、ちゃんとお聞きしたいものだ、と切に思いました。

かつて、ラヴェル作品全曲を二晩に渡って演奏、というリサイタルを開催されたそうですが、もし本番があったら、もう絶対に聴きに行きたい、と思いました。

・・砂原悟さん以外で、こんなに心奪われたピアノは久しぶりかも・・

またご自身で気付かれたというグリッサンドの方法は、実は私も自分の講座の中でピアニストにレクチャーしたことのある方法で、嬉しかった。

肩関節はねじれてついているのだから、そちらの方が理にかなっている。

ピアノという楽器のメカニズムを熟知し、それを踏まえた上で、どのようにアプローチしていくか、という話も新鮮だった。

それにしても、フルートで一音出すだけでも、あれこれと考え工夫し、と大変なのに、あの膨大な数の音を同時に、夫々の必要に応じてのタッチに切り替え、さらには空気感まで変化させる、という・・

改めて、ピアニストってとんでもない人達!?と感服した次第です。


着物

2020-11-28 03:35:31 | 着物
ここのところ着物のマイブームもすっかり去っていて、ずっと着ていませんでした。

去年は本番が多く、心のゆとりもなく、多分、一度も袖を通していません。
着るのはまだ良いのですが、脱いだ後の手入れが結構大変で面倒くさい・・

母が亡くなった頃は、形見の着物に包まれていると、母が護ってくれている気もして、何より母の流儀のラクな着方を教わっていたので、洋服と靴で過すよりも、ラクだったので、何処へ行くにも着物でした。

家でも、着物に割烹着で、ほぼコスプレ状態の日々。

そんな中雑誌「美しい着物」で甲野先生が「着崩れないナンバ歩き」を紹介されている記事に出会ったのが、最初の出会い。

今の日本に「古武術家」という仕事の人が居ることに驚き、何よりその写真の姿の凛とした、でも気負いのないすっとした佇まいに、ほぼ一目惚れだった。

当時は息子の中学受験真っ最中だったので、それっきりになったのですが、なんとか合格出来た春休み、新宿の朝日カルチャーに申し込んだのでした。

その折のことは、今でもアリアリと思い出されます。

考えてみれば、甲野先生とのご縁も亡き母が紡いでくれたのかもしれません。
なので、音楽家講座の時は、ず~~~っと着物でした。
洋服になったのは何時頃からか・・

それほど、大好きだった着物なのに、すっかり興味が失せて、ここのところはずっと洋服。

100回記念なのだから、やはり着物で礼を尽くさねば、と今回久々に着物。

久々に着るので案じていたのですが、なんとかなりました。

でも、最後、帯の手の長さが足りなくなって結び直すことに。
はいはい、太ったからね。

それ以外はシャシャっと出来ました。
半襟は古いスワトーハンカチのリメイク。
母はそんなことはしませんでしたが、私はガサツな自己流荒業で、両面テープで部分的に止めるだけ。脱いだ後にすぐに剥がせば、跡もつきません。

着物は細かい亀甲の絣の結城紬。
古いものですが、むしろ自然破壊が進んでいない時代の蚕の絹なので、上質。
軽くて暖かくて、身体が喜んでいる。


帯は小田急デパートの催事で初めて自分で買ったもの。
それほど上等ではありませんが、重宝しているヘビロテ帯です。


本当は先生と記念写真を撮りたかったのですが、携帯も壊れていたし、何より講座が面白く、すっかり失念していたので、帰宅後、夫に写してもらいました。

着物の方が洋服よりも体形のごまかしはきかなさそうなので、アリアリと太っていることがわかってしまいそう・・

というのも、着物離れしていた理由なのですが、
とはいえ、やはり着物だと沢山の方に褒めていただけて、気分も上がる。
・・来月も着物にしようかな・・

増えた体重分は免疫力アップに貢献していると思うことに。
ということで、元気です!



・・・・
面白い本を読んだせいで、すっかり目が冴えてしまい、こんな時刻に・・



新型コロナ「正しく恐れる」 西村秀一 著 井上亮編 藤原書店

2020-11-28 02:30:22 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
甲野善紀先生から一冊の御本を頂きました。

いつもは先生の著書なのですが、今回はこちら。

「手紙も入っているので見てください。」

「え?」

「うちのからのです。」

それは甲野先生の奥様からのもので、

「不安を覚えておられる方にご紹介いただければ嬉しいです。」

との添え書きが。

奥様は元は編集者で、かつてお世話になっていた出版社・藤原書店から、この本が出たとのことでした。

読書は好きで、本を読まない日はない・・のですが、最近は年齢のせいか、すぐに目が疲れて眠くなってしまい、中々読み進むことができません。

でも、この御本は、とてつもない集中力で一気に読み通してしまいました。

本を読むと脳が疲れて、お腹がすいてくるので、久々に夜、間食をしてしまいましたが。

色々と紛らわせてはいるものの、私も大きな不安を抱えている一人。

でも、読後は、いつのまにかTVの報道やワイドショー(やめればよいのに、つい見ちゃう・・)で洗脳されグニャっと混濁した頭の霧が晴れていきました。

歯に衣着せぬ語り口は、「よくぞこんな本が出せたなあ」と案じてしまうくらい。

著者の西村秀一氏は国立病院機構仙台医療センター ウイルスセンター長。

自称「ウイルス屋」のウイルスの(本当の)専門家。

編者の井上亮氏は日本経済新聞編集委員。

以下、著者後書きからの抜粋です。

・・・・・・

「ウイルス屋」の立場からは、コロナ禍で登場している”専門家”のありように苦言を呈している。彼らの誤った指導の延長上で生じている「変な感染対策」を批判する。それによって生じた幾多の社会の負の側面や人々の感染対策疲れに心を痛めてもいる。誤った指導は修正されるべきだ。

・・・・・・・・・・・

また編者の前書きからの抜粋はこちら。

・・・・・・・・

たとえとして適切ではないかもしれないが、戦場と銃後の関係に似ている気もする。戦争は戦場の兵士だけで行われるものではない。戦場から遠い銃後の国民すべてが国家総動員体制下で個より全体への奉仕を求められる。戦争への「大義」「正義」に従わなければ全体の利益を損なう者として排除される。そのような社会では、個の自由、人と人との心のつながりは失われ、やがて人間の尊厳も否定されていく。それは社会にとって、戦場での損傷よりも深刻なダメージかもしれない。
(中略)
歴史を振り返れば、ウイルスの動きはうつろいやすくとらえどころがない。わからないことがまだまだ多い。新型となればなおさらである。私たちは深い霧の中を進んでいる。一つの大義、正義を丸呑みして突き進むと数メートル先は断崖かもしれない。
専門家は感染と犠牲者を抑止する「大義」と、そのための方策としての「正義」を語る人たちである。それが善意にもとづいていることは疑わない。ただ、その正義には様々な見方があり、過誤もあることを知っておくべきではないだろうか。
(中略)
「正しく恐れる」とはよく言われるが、そのためには正しい情報が必要である。正しく問うことも求められる。そうして得られた知識こそ、暴走した「正義」が人を傷つけ、社会を疲弊させることを防ぐのではないだろうか。その答えのいくつかが本書で示されていると思う。
・・・・・・

様々な考え方、意見はあるとは思いますが、私には大きな心の安定剤となったし、今後の「構え」や「覚悟」も生まれた本です。良かったら。



もう一冊、お勧めの本が書いてありました。

感染を恐れない暮らし方  本間真二郎 著 講談社

早速注文しようと思います。

(カテゴリーは本来は日常ですが、音楽家講座でご紹介くださった本なので「音楽家講座」にしました。)

第100回 音楽家講座 in 鶴見 11月26日(木)

2020-11-27 17:24:12 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
日差しも暖かく爽やかな一日となりました。

ガラケイやパソコントラブルもあり、アタフタしましたが、お陰様で盛況の内に記念の100回目を迎えることができました。

先生の技はさらに切れを増し、摩訶不思議な世界。

公式発表は100回ですが、当初のまだ地下組織?だった頃や、最初は秘密だった奥多摩合宿などもカウントするとおそらく150回くらいにはなっているのではないかと思います。

元々、飽きっぽい性格。
フルートと結婚が続いているのも不思議ですが、その次に続いているのがこの「音楽家講座」です。

その理由は、やはり常に甲野先生が進化し続けていらっしゃること、そしてそれが日々加速しているからだと思います。

そして何よりも、参加してくださる方が居らっしゃるからこそ!

こうして100回目を迎えることができ、感謝しております。

今回のお話は、やはり「我ならざる我」

木刀で瞬時に方向が変化する様も不思議な光景でしたが、その折には、「こうして、こうして、こうしよう」と考えてやるのではなくて、
「まあ、このまま真っすぐ行ってもいいのだけれど、まあこっちになるのかな?」

というような幾分曖昧でぼんやりしている心地なのだそう。

また技をかける瞬間というのは「気を失っている」という状態なのだそう。


面白いエピソードとして、アニメ?の映画監督の話を。
今一出来の悪い誰かの新作の映画の評判を聞かれ、

「ああ、良かったですよ」とのこと。不思議がって相手が内容を尋ねたところ、それは実際の作品とはかけ離れた全く違う話になっていたそう。

何故かというと、その監督はその駄作を観ながら、それに刺激を受けて、どんどんと異なるストリーを自分の中で展開作成し、それを観た気になっていたということに。


また、電車の中で他者に暴言暴力をふるい暴れていたヤクザの親分と出くわした養護学校の先生が、自分の生徒の中にも、そういう発作が起きる子供がいることを思い出し、思わずその親分を後ろから抱きしめて

「大丈夫!もう怖くないから!」

親分は何が何やらで鎮まって、という嘘のような本当の話だそう。

人は思いがけないことを言われると拍子抜けしてということなのかもしれませんが、これも、その養護学校の先生程の人間力があればこそなのでしょう。


特に印象的だったのは内臓の話。

「常に今やっていることを否定して、次を探すということが大事なのですが、今思っているのは、おそらく内臓の動きが関連してくるということです。特に腸。」

・・・腸活?と最近はやりの言葉が思い浮かぶも、もちろんそうではない。

「例えば心臓はずっと7同じ動きですが、腸は身体の中で随分と動きまわっているんですよ。それは心にも直結していますね。」

これからの先生、さらに目が離せません。

声を出すことが仕事の方には紐による烏帽子巻き、裸足で参加されたフレームドラムの方には公園でも裸足で、とのご助言。腰かけて足裏でボトルを転がすというのをご助言されました。

ピアニストには、例の「ふともも」と手指への紐。
他には、ギター、能管、歌、等、合計8名の方が受講。

この会場は、響きが良いので、その変化がとてもよくわかる。

大概、演奏している当人よりも、聞いている他者の方がよりその変化が感じられる。

おそらく、演奏者の「実感」はより遠ざかるからそういうことになるのだろう。

先生にご相談したいと思っていたことも能管奏者へのご助言でクリアに。

お陰で、本日また私も新たな境地に。

虎拉ぎをやってそれを持ち運ぶための動きのクオリティーが、より精密に。

たったこれだけのことなのに、フルートの残響がかなり増えるという不思議なこととなりました。


コロナ禍となり、鬱々とすることも多くなってはいるけれどこうした進展があることが生きる励みになっている。

また、参加される方々も、この状況下だからこそ、プロアマに関係なく、音楽を奏で続けたいという熱意と真摯さが、より深まっているように感じます。

それに触れることが、また私の励みになっており、改めて感謝申し上げます。

そして、これからも「音楽家講座」をどうぞよろしくお願いいたします!

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次回は12月15日(火)同会場です。

せっかくの記念の会なのに、ガラケイの調子が悪くこの日は持参していなかったので、写真がなくて申し訳ございません。