『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

第106回 音楽家講座 in 鶴見 5月27日(木)

2021-05-28 00:51:53 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
昨日まで、あんなに良いお天気だったのに、大雨・・

普段なら憂鬱な雨ですが、音楽家講座のある日は、

「ああ、やっぱりね~」と思えて、むしろ嬉しくなります。

最近は流れが微妙に変化したせいか、お天気の日も多いのですが、この講座が開始されてから数年は、殆どが雨。

第一回目も雨でした。

先生は「どんなに晴れていても、音楽家講座の日は傘を持っていきますよ!」と仰っていたくらい。

そんなことを思い出しつつ先生のツィートをみたら、

「今日はいい天気だったが、明日は雨になりそうだ。天気予報も雨だが、予報によるというより、音楽家講座があるからである。とにかく音楽家講座と雨はつきもののような印象がある。」

とありました。

音楽家講座には竜神さまがやってくるから、と仰っていたこともあった。そういえば。

時短開催ではありましたが、その分、より濃厚な時間となりました。

今回も色々とありましたが、最も驚き、印象に残ったのは、久々に拝観した先生の抜刀術。
より柔らかく、何の起こりもなく、地球上の物理の法則の外にあるようで、その瞬間は
別世界にワープした心地で、とてつもない心の安らぎを得ることができました。
あれは、一体何だったのだろう?と不思議です。

また、その応用という体術の動きも、テンセグリティの模型が動いている動画の様で、
美しかったです。

身体が大きく、多分先生の体重の1.5倍くらいありそうな忍者Iくんが足元から浮かび崩されるのを控室でも見ましたが、本当に不思議です。

参加される方達夫々が抱えているものの重さや、何かしらの気配として漂ってくる哀しみなどが、より感じられるようになったのは、このような状況下だからこそかもしれません。
それは、私だけでなく、おそらく、お互いに皆さまそのように感じられているのではないかな、と。

このコロナ禍では、バカバカしくも腹立たしい世界中の組織的な混迷混乱はありますが、
芸術に関しては、この状況下だからこそのより本質的な「お立て替え」のようなものが静かに加速するのではないか、とふと感じもしました。

久々に、肥田治道、山崎弁寧、無門関などのお話も伺え、聴き入ってしまいました。

「『宇宙の力』などとよく言われることもあるが、『宇宙』はそんなに甘くない」

「表の意識を飛ばすこと。表の意識で考えていることはろくでもないことばかり」

「自分でやっているつもりでも、実際、「人」がやることは謎だらけ」

「エビデンスなどというつまらない事を言う人間が増えて・・」

「動くことで楽器を空中に預けておける」

「肩甲骨のあたり、背中から息が抜けていくように。それまでに全くなかった初めての感覚で、我を忘れて楽しくなるような・・」

などなど、ごく一部の抜粋ではありますが、これらのご助言で、実際に大きく変化する音、姿勢などを目の当たりに。

・・・・・・

帰り道、「麻は良いです」という話に。

講座終了後、先生の「出待ち」をしてくださった参加者のお一人から、丸紐でなくても、麻の紐だけでも効果があるという報告が先生に。

これに関しては、何年か前から音楽家講座の中でも何人かから報告があって、実は私も試してみて気が付いたのでした。さらに「じゃあどこまで細くても効果はあるのかな?」とやってみて、ついには木綿や絹の縫い糸も効果がある、というご報告をしたことがある。

指紐を糸でやるだけでも、大違い、と当時は大騒ぎしていました。
糸もその形状は丸紐である。

でも、今回は、その紐の太さ細さだけでなく「素材」「色」に関しても。
「色」に関しては、やはり気付かれた参加者の方が以前いらして、それは個々に好みの色だったり、何かしら違いがあるのだそうだ。
・・というのも、私は色に関しての差をまだ実感していないので。
とはいえ、自ずと選ぶ色は自分の好みのものになるので、きっとそれがベストチョイスなのだろう。


そして、素材!
それも、特に「麻」が良い、という。

着物好きなので、やっぱり一等賞は絹でしょう?と思ってるところもあったのですが、甲野先生によると「麻」は特別なのだそう。

ちょっとあっちの世界系の話にはなりますが、麻は神様が喜ぶ素材でもあるらしい。
何故?何故?

とはいえ、麻は好き。
腰かける時にお尻の下に丸めて置くのは麻のふっさりした布巾がダントツ、響きが良い。気に入って家で使っている定番グッズ。
以前、私の講座で試して、そのあまりの効果に驚き、その後、参加者みんなで、売っているお店に買い出しに行ったくらい。あの奈良の鹿さんマークが商標のお店です。


最も響かないのはシリコン系のもの。
落ちた卵も割れないしお尻もラクな感じがするのかもしれないけれど(良いとはあまり思えない。個人の感想です・・)、響きは止まる。驚くほどに。
もっと言えば、止まっているのは響きだけじゃあない気もする。(これも個人の感想です・・)

その後、私の講座を受講された某メジャーオケのヴァイオリン奏者の方は、この麻の布巾を腰下に敷くだけでなく、顎当てにも使われていて、驚いた。

やはり、響きがとても良くなった、と仰っていた。

・・と、ここで思い出したのが・・・
話が長くなるので、これはまた次の日記にて。


・・・・・
写真は、弓道の方にご助言する時の先生。

まるで舞いを舞っておられるようです。美しい!




浮き構えの時と同様に大事な箇所、上腕骨の先端



次回は同会場(鶴見区民文化C.サルビアH.3階音楽ホール)にて6月22日(火)です。

どうぞご参加ください。

   ・・通常開催(19時~21時15分)出来ることを祈りつつ・・

左と右

2021-05-25 11:32:51 | 気付き
左と右は違う・・

ということは、知識、概念としては、もう骨身に沁みついていると思っていたのですが、
実際の使い方といえば、まだまだ長年培ってきた、「左右対称」の感覚から抜け切れていなかったことに気付かされることも多いです。

「人は周囲の形状に惑わされますから」

というのは、昔、音楽家講座での甲野先生の言葉。

椅子に腰かける時も、その椅子の平な面に腰をべったりと乗せてしまったりする。

一見左右対称に見える身体を使う時も、同様のことが起きているのだろう。

これは、はっきりした理由がある訳ではなく、あくまでも、経験上からの感覚ですが、

「左は閉じて右が開く」

というのが、私にとっての左右差。

ごくごく少しの例外はあるにせよ、
フルートも、ギターも、ヴァイオリン族も、筝も・・

一見、縦に構えるので、左右対称的なイメージのあるオーボエやクラリネットも、きっと同じだと考えている。


殆どの楽器の構え方は、これに準じている。

そして・・

一見、左右対称に見えるピアノ。

鍵盤は縦横垂直の線が連なり、おまけに堅そう。

こんなものの前に腰かけたら、思わず、その視覚的影響で、身体も左右対称、へたすると、腰かける姿勢も直角にしたくなってしまうのが、性というものだろう。

最近は、流石に、こんなガジガジな姿勢を推奨することもないとは思うけれど・・

以外に、結構、この感覚というのは根深い。
こうした、身体が分断されるような姿勢だからこそ、ハイフィンガー奏法が生まれてきたのかもしれません。・・指でがんばるしかないから・・

これって、腹と口でがんばるしかない派の管楽器奏法にも通じているかも。

身体というのは、とても頭がよくて親切だから、

「これじゃあ音が出ないから出るようにしてやらないと・・」

と、色々なその時々の「間に合わせ」を勝手にやってくれる。
だからこそ、音も出る。
けれど、それはとても疲労するし、部分に負荷をかけるので、身体を痛めることにも繋がる。

若い頃はなんとかしのげても、加齢に伴い、その負荷に耐えられなくなり、それがよりメンタルの緊張も生み、本番でこける。そこでようやく「あれ?」と気付く。

はい。20年前、40代の頃の私のことです。

・・・・・

先日、ピアニストにご助言していて、はっとした。

ほんの少し、椅子の向きを変えて、身体をずらしただけで、また丸めた麻の布巾を使って左右の腰の高さをかえてみただけで、「痛めていた右肩の痛みがなくなった!?」と、とても驚き喜ばれ、むしろ、こちらが驚きました。

音ももちろん変化。

ピアニストがピアノに向かう時間というのは、フルーティストのおそらく何倍にもなると思う。

姿勢まで硬いピアノに影響され、四角四面的にするのが、「普通」になっているのかもしれません。


しかしながら、昔の文献を読むと、実はこうした左右差に関連するような事が書いてあるので、面白い。

300年前のクープランによる『クラヴサン奏法』


クープランは「そんなつもりではないよ」

と言うかもしれないけれど、今のところ他に思い当たる理由を私は考え付くことができません。

よく、チェンバロと今のグランドピアノではキィの重さが全然違う、という意見も聞かれ、もちろん、それはそうだ、とは思うけれど、次に浮かぶ疑問は

「じゃあ、何故、バッハはその息子たちや弟子たちに教える時、また自身が練習する時にクラヴィコードを使っていて、それで事足りたのか?」

ということです。

小さく、繊細な、とても軽い鍵盤のクラヴィコード。

質素な四角い箱のような鍵盤楽器。

当時は殆どがチェンバロで、出始めたクリストフォリのピアノもまだまだ今のものに比べれば、軽い鍵盤だったとはいえ、じゃあパイプオルガンは?

バッハが現代のフルコンのグランドピアノが弾けない、とは到底思えない。

むしろ、バッハだったら、どのような音を出すのだろうか?と夢想します。

みな、それぞれ、個性も鍵盤の重さも異なる楽器に対応できる奏法だった、ということでしか説明がつかない、と思う。



全てのカゴは・・

2021-05-18 21:38:05 | ピピ
・・僕のものニャ!!

と思っているに違いないピピ。

とても素早く、あっという間にそこに居ることに驚きです。

生協の注文書き込み用シート、カタログ、シャープペンシルをセットにして、平なカゴに入れて冷蔵庫の上に乗せています。

もう20年くらい使っていて、取っ手もボロボロになってしまったのですが、取っ手を使う事もないので、そのままに。

なので、これは決して、ピピがやった訳ではありません。
・・ってなんでエクスキューズしているんだか・・

ピピは、かなり良い子で、「困ったなあ」ということをしたことがない。(親ばかです)


そのカゴを降ろしてきて、注文用紙に書き込んでいるちょっとのスキに、もうその中に。




浅めの縁の高さが丁度よく気に入った様子で、ウトウトしたり、前脚を載せたり、顔を載せたり。

ピピは普通の猫よりは一回り大きいのですが、このカゴならゆとりです。






もう一つは、荷物置き用のカゴ。

生徒さんのレッスンの時に出しているのですが、これまたふと気づくと・・



カゴを占領している時はいつも、得意そうな表情に。

庭掃除

2021-05-15 23:19:33 | 手作り
暑くなく寒くなく、という庭掃除日和でした。

狭い庭ですが、夫と二人、早朝からスタートし、2時間かかって終了。

雑草ボウボウの庭も、様々な花は咲くし、山の中に入り込んだ感もあり、実はかなり好きなのですが、我が家以外のお宅はみな、美しく手入れの行き届いたお庭ばかりのこの一画で、いつまでも、そのままというのも申し訳ないので、致し方なく。

・・ドイツだと、通報されるレベルだと思う・・



今回、びっくりしたのは、草むしりが以前に比べて、かなりラクにできるようになったということ。

これは、ピピのトイレのお世話の時にも役立っているのですが、(もちろんフルートにも!)先日の甲野陽紀先生の音楽家講座での教えの実践です。

意識するだけなのに、ここまで身体が変わる、というのが驚きです。

ゲンノショウコ、小判草、ミント、そしてまだ蕾のドクダミも、みなサクサクと手や腕を痛めずに抜くことができました。

何より、しゃがみ方からして変わる。

・・一体この「〇〇を意識する」というだけで、私の脳は何を命令し、身体は何を受け止めて、ここまで激変するのか?

と本当に不思議です。自分の身体のことなのに。

今年は、紫陽花も、花芽を沢山つけ、ライムも一回り木が大きくなり、花も沢山。

植物には不作の裏の年、豊作の表の年、というのが交互にあるそうで、実際一昨年は大豊作だったのに、去年は全くの裏の年。

今年は期待できそうです。

毎年、あわてて飛び出してくるトカゲもちゃんと居て、よしよし。
いつもは、華やかなギラっとした青緑なのですが、今回は
丸太の影に潜んでいたので、ちゃんと同じ薄茶色になっていた。

刈ったフキは甘辛く煮て、すぐに食べる分を小皿に取り分け、後は冷ましてから冷蔵庫に。




ローリエの葉はキッチンの吊戸棚の取っ手にひっかけて干す。



さっぱりした庭を眺め、「猫に小判草~」と小判草でピピをじゃらしつつ、
フキと日本茶でまったり、のんびりの休日でした。

・・ステイホームが段々と苦にならなくなってきているのが、なんだかなあ・・

大人の発表会、大人のデザート

2021-05-10 00:54:40 | 手作り
どうなるか、ぎりぎりまで案じていましたが、本日、無事、「大人の発表会」が開催されました。

川崎市民プラザの広いホールに多くても、30名くらいが集って、感染対策もしっかりとりおこなっての開催。

楽器店のスタッフの皆様は、本当に大変なことだったかと思いますが、お陰で、安心して、参加することができました。

様々な工夫の一つには、換気の悪い舞台袖で密にならない様に、下手の客席から階段でステージに上り、帰りは上手の階段から降りるというもの。

自分の生徒さん達はもちろんのこと、他のクラスの生徒さん達も、皆さまの真摯な演奏には、いつも心打たれます。

ステージには大きなお花のスタンドも。
ライトの光に照らされた深紅の大きな薔薇が美しかった。

音楽とそれを奏でる人と花。

何もかもが美しくて、耳も心も目もほっとして、のびをするような心地。

ああ、やっぱり、コロナ禍の日常というのは、無意識なところでの緊張を強いられているのだなあ、と再確認。

こんな時だからこそ、美しいものは必要だ、と改めて感じた一日でした。


・・・


そういえば、今日は母の日・・

昼間は発表会だったし、ということで、手抜きさせていただくことに。

晩御飯は、サラダに生ハム、チーズ、ソーセージ、クラッカー、スパークリングワイン、というオールカルディーの簡単なものにして、

「今夜はドイツ風のカルトエッセンでBitte!」とうそぶく。

つまりは、「冷たい食事」。

ミュンヘンで下宿していたお宅では、お昼は暖かい食事で、夜は火を使わない食事。

今は知らないけれど、これが、ドイツでは一般的だったようです。


奇麗で舌もお腹も喜ぶデザートも久々に作りました。

これも、ドイツに居た時、マリアンヌ先生が教えてくださったもの。

門下生を招いてくださったホームパーティーの時、「じゃあ、みんな手伝って」と仰って、広いキッチンで、ワイワイ言いながら楽しく作ったデザートです。
私はブラッドオレンジ担当だった・・

名前もあるのだろうけれど、忘れてしまいました。日本にもあるのかな?

作り方はとても簡単。

様々なありあわせの果物を一口大にして、お砂糖をかけて、香りの良いお酒をジャブジャブとふりかけて冷蔵庫に。
今回はなかったのですが、あれば、レーズンも入れると美味しい。

お砂糖は、好みで加減して。
やや多めの方がトロっとした仕上がりに。

私流ですが、イチゴのヘタを取って半分にするのも、バナナをスライスするのもスプーンを使うと危なくないし,まな板なしで出来て簡単です。

最初にこれを仕込んでおけば、食事の後には程よく馴染んで食べごろに。

今回は、ウィスキー(バーボン)を使いましたが、ブランデーやラム酒も美味しい。



問題は、美味しいので食べ過ぎること。
沢山作って、翌日も、というのもアリなのですが、大概、お代わりしてしまって翌日になったためしがないので、この頃は、もう一回分しか作らない。

大人のデザートです。