『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

第110回 音楽家講座~甲野善紀先生を迎えて~ in鶴見 9月28日(火)

2021-09-30 10:14:51 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
武術研究者・甲野善紀先生を迎えての講座も、今回は110回目。

雨とご縁のある講座ですが、今回は秋晴れの中の開催となりました。

前半は先生のお話と最新の技の披露。

途中で角度を変える、という突きに唖然。

見た目には、通常の起こりのある動きの方が速い印象があるくらいの動きで、「速い!」という感じではないのに、瞬時に相手の顔の横に拳がある、という不思議な動き。

これは、結局のところ、浮きをかけてこの方向転換に全身が参加しているからこそだそうだ。


・・・
後半は個別指導。

尺八奏者の方には、20センチ程間を開けて、体重を片方に乗せないように、足裏全体を上げる様にして歩く。(すり足ではなく)とご助言。

元々、ご自身の音色、響きをお持ちの方でしたが、より音が腰の奥から響き、会場からも思わず拍手が。

特に、この会場は素晴らしいコンサートホールなので、ステージ上よりも、客席で聴いた方が音の違いは大きくわかる。

この歩き方は、何年か前にも紹介されていたけれど、中々、楽しくなる動きだ。
とはいえ、実際にきちんとこなそうと思うとかなりハードルは高そう。

まさに「足裏の使える部分が上がってくる」、つまりは前半でもお話されていた「浮き」ための稽古なのだろう。


・・・・
ジャズピアニストからの質問は、「難しく速いパッセージを練習するのに、普通はメトロノームを使って遅いところから徐々に速くしていくように練習するけれど、どうしても限界がある。何か良い方法は?」

というもの。
先生の答えは・・

「自分の意識が追い付いていけないところに、認識をどうやって飛ばすか?」

「気が付いたら、何か所もが動員出来ている状態に。」

「1から10までの数字を口に出して言うとそれは頭でも行っていることとなるので、声に出さないで、物凄い速さで、それをやる。」


「それとは反対に、ものすごく、ゆっくり動かす。例えば手の指を開くのに15分かける等・・」

「極短い時間をより認識できるように」

「何処にでも、違う世界、野原を駆け回っているような自由な異なる世界に行けるような」

「よく知られている話ですが、夢は実は2,3秒のものなのに、見ている間はとても長く感じている・・」
「水は全く揺れない状態にすると-温度になっても凍らない」

というのも示唆に溢れるお話でした。

その凍らない水に極わずかな振動が加わると、とたんにバババっと凍るのだそうです。


これらのお話の後での演奏は、早いパッセージでの音の粒立ちが整い、驚かされました。

・・・・・・
高音が苦手、というホルンの方には

肩を下げるための技法を。

1つは壁に向かって立ち、前にゆっくり倒れながら顔がぶつかる寸前に手をつく、というもの。

「この時に足の親指と、ここ(ふくらはぎ後部)に力が入るので、肩が落ちるのです」

この動きは何度も音楽家講座で登場しましたが、この解説は初めてです。
・・とても分かりやすい・・

そして「飇拳(ひょうけん)」

脇が締まり背中に繋がる感じがする手の内です。

鎮心の壺を窪ませるようにし、掌を上にし、前に突き出すことで、重心が沈む。

親指を握り込んだ拳との差も面白かった。
「これでは気勢は上がらないですよね・・」

違いはテキメン。でもそれしか知らなかったら、そういうもの、と思うだろう。

これは、そのまま楽器演奏の技術、日常での身体の使い方と同じだ。

さらには祓い太刀。

最初は初参加で緊張されていて表情も硬かった方が、別人のように柔和な笑顔となり、音ももちろん変化したのですが、むしろ、その方自身の変化にとても驚きました。

・・・
楽器以外では、誰にでもできる稽古法を教えて欲しい、とのリクエストに応えて、

「努力しないための稽古」
具体的なご助言としては

「立とうとしないで立つ立ち方」

「人間毬」

「人間毬」と命名したのは白川さんですよね、と以前仰られたのだけれど、実は覚えていない・・
 当時先生はこれを連足で何度もおやりになって、それを見て「まるでてん毬ですね!」と言ったのは確かだけれど、それがそのまま名前になっていたとは・・

・・・

絵本の読み聞かせの時の姿勢に関する質問も。
一目で誰が見ても窮屈で大変そうな姿勢。
でも、みな、そうやって読んでいるのだそう。

「辛い姿勢が普通」って、これも通常のメソード化されてしまった「楽器奏法アルアル」だ。

手間がかかっても、カンニングペーパーを作って後ろに貼って読めばいいのに、とすぐに思っていたら、

先生は一言「文章を覚えればいいじゃないですか」


それが出来ない場合を実践してくださったのだけれど、先生の本を読んで欲しい!と切に願ったのは私だけではなかったはず。

ただ絵本を広げて寛いで腰かけているだけなのに、引き込まれ、まるでお話が聴こえてくるよう。

そのご様子は本当に楽し気で、優し気で、先生に絵本を読んでもらえる子供たちは、なんて幸せなんだろう、と思いました。



・・演奏も、実は音を出す前から始まっている、ということを改めて認識させていただいた。

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次回は10月25日(月)
18時45分~19時45分(18時15分開場、4000円)
鶴見区民文化C.サルビアH.3階音楽ホール

「音楽家講座特別企画」として、前回代打で登壇いただき、大好評だった、御子息・
甲野陽紀(はるのり)先生による講座です。
先生とは全く異なるこれまたユニークで楽しい講座です。

どうぞお越しくださいませ!


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写真は「飇拳(ひょうけん)」





「にくの会」 9月

2021-09-23 16:18:17 | 俳句
先月はパソコン不調でおさぼりしてしまいましたが、今月は参加。

高校の同窓生有志による俳句同好会「ニクの会」

最近はもっぱらリモートでの参加です。

今回の兼題は「葡萄」。

・好物・・

なだけに難しかったのですが、ふと思い出したのは東慶寺の野葡萄。

それをそのまま詠みました。


「七色の野葡萄茂る東慶寺」

(句糸)子供の頃は近所に沢山あって、ままごとの材料で、幼心にも、宝石みたいに綺麗!と感動しておりました。
その野葡萄を久しぶりに見たのが、「東慶寺コンサート」。
リハーサル前の時間の散策の折に見つけ、心を鎮め励ましてくれる幼馴染に遇した様な心地でした。食べられませんが一番好きな葡萄です。
七色、五色、等の表現は具体的に決まった色を示しているものではなく、確か「様々な色」という意味の抽象的表現でも使われるのではないかな?と採用しました。

3点句でしたが、対馬康子先生の★1つをいただきました。

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「新涼の風を吸い込み再始動」


(句糸)こちらも、感じたままに出てきた言葉の句。マスクをしなくてはならない猛暑は本当に大変でしたが、秋になりちょっと一息。ただ言葉がやや散文的だったかな、と反省。
こちらは1点句。

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「蜘蛛の子をいたぶる猫や秋涼し」

(句糸)これもまた、そのままの情景句。
猛暑の間ぐったりと昼寝ばかりしていたうちの猫が、秋になり涼しくなったとたん活発になり、時折部屋に出て来る小さな蜘蛛にちょっかいを出し始めました。食べる訳ではなく、シャっと猫パンチし、蜘蛛が動きを止めると、その様子を眺め、動き始めるとまたパンチという様子が、どうみても「いたぶっている」としか思えず、ちょっとショックではありましたが、これも野生的で可愛い・・
「蜘蛛の子」が季語というのは調べて知っていましたが、先達の句にも重ねて使われているものがあったので、敢えて。「ゴキブリを」(実はこちらもいたぶっていました・・)よりはいいかな、と・・

こちらも一点句。でも、康子先生の★1つをいただけ、嬉しい。
・・きっと康子先生も猫好きに違いない・・

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「いたぶるなんて、そんなことはしませんよ~~」
という表情のピピ。ご近所での買い物かごに使っている白川郷で購入したアケビのカゴが最近のお気に入りで、これまたジャストサイズです。




顔を埋めてもぐってカゴと一体化する技も。




ラムスウェードのリメイク

2021-09-18 12:21:37 | 手作り
土日、家に居る日が増え、家の片付けも色々と捗っています。

クローゼットも、以前よりハンガーの数を減らすことが出来ている。

というのも、ヴィンテージのウクライナワンピースに夢中になってしまい、そればかり着ていて、他の洋服を着なくなってしまったので、新たに洋服を買うということがなくなってきたから。

・・ファッション雑誌も読まなくなったなあ・・

とはいえ、手仕事一点もののウクライナワンピースは、一期一会。
気に入ったものと出会ってしまうと、ついつい買ってしまって、これはこれで、マズイ。
・・・かなりマズイ。

手紡ぎ、手織りの100年近い時に洗われたしなやかで丈夫な麻や綿の生地、細かいギャザー、布の目数を数えて緻密に成された細かい刺繍やレースの技法・・

何より着心地がよく、とても気持ち良く過ごせます。

こんなに素敵な手仕事の優れものなのに、大量生産の工業製品的な現代のやや高級なワンピースよりも、ずっと安い。

もちろん、カジュアルなので、きちんとした時対応のための、他の洋服もちゃんと残しているけれど、そうした場に出ることも減っているので、もう殆ど毎日、ウクライナワンピースで過しています。

そんな中、先週の週末、クローゼット整理をしていて、発掘したのは、ラムスウェードのスカートとジャンプスーツ。

スカートは結婚してすぐだから32年前、ジャンプスーツに至ってはミュンヘン留学中だから37年前。

いずれもセールで90%オフで入手した高級品で、本当にしなやかな風合いの上質スウェードです。

物持ちが良いのにも程がある、といったところですが、どちらも20年前までは大活躍していたお気に入り。

その後、どちらもサイズアウトしたものの、「痩せたら着よう」と保管してありました。

でも、多分今5キロ痩せたとしても、もう無理。
ということは、今後、余程の奇跡が起きない限りは無理。

ようやく諦めがついて、細かく切ってフルートを拭くセーム革の代わりにでもしようかな、と思い、広げて眺めているうちに閃きました。

スカートはベルト部分と裏地を取って、周囲を両面テープで止めただけ。



かなりかっこいいストールとなりました。
しなやかで、軽くて、暖かい。



ウクライナワンピースにも合いそうです。

ジャンプスーツは、丁度上下に縫い目があったので、そこの糸を切り離しただけ。
短めのトップスは、前を開けて、カーディガン風に使うことに。



パンツ部分もスナップを付けて使用可に。

寒くなったら、ワンピースの下に履いてブーツインするのにも良い。



・・・

現場監督猫のピピはもちろん、すぐに「何してるにゃ?」とチェックしにやってきます。

「猫背」のシルエットが中々素敵です。


手首

2021-09-13 22:02:24 | 気付き
前回の音楽家講座で、甲野先生の抜刀、納刀を見せていただいたことが影響していると思うのですが、9月になってから手首に関しての新たな気付きがありました。

そもそも、今の奏法に変化した原因は、抜刀術にある。

本当に、さわりをかすった程度にしか稽古していないのですが、それでも、先生が用意してくださった模擬刀で、抜刀した直後に、あまりの息の通りの良さに驚いたことが全ての始まりだった。

抜いた刀をフルートに変え、そのまま吹くと・・

つまりは、従来よくある様に、左足を前に出す構え方は私の様な150㎝程度の身長だと、かなりの体幹のねじれを生じさせてしまい、結果、息が浅くなっていた、、ということだ。

(クヴァンツのように2メートル近い身長であれば、これはこれで、有効な構えなのかもしれないけれど・・・どうなのかな?)

この話は2004年、新潮社から出版された『身体から革命を起こす』(甲野善紀・田中聡、共著)に詳しく書かれています。

この抜刀による構えがあまりに衝撃的変化で、メウロコだったので、そのご利益

「体幹をねじらないで構える」

ということばかりに目がいってしまっていたなあ、というのが今回の反省。

抜刀術の効用は、これだけじゃなかった。

思えば、もっとまじめに抜刀の稽古を続けていれば、もっと早くにずっとよりマシな演奏ができるようになっていたかもしれない・・・

でも、フルート程に面白い、と思えないのに、「フルートのために」と抜刀を稽古するのは、刀にも先生にも失礼な気がして、そのままに。

まあ、このようにしか行動出来ないのだからしょうがない。

抜刀術のもたらす身体の変化は、今回気付いた手首だけではないだろう。きっと。

あの手首になることで、身体が繋がる。

それはつまり四足歩行の名残にも通じる。

道具の形状や取り扱い方に身体の動きは付随するので、楽器によってはそのまま使う、という訳ではないにせよ、最初にこの手首の状態にすることで、腕の重さは軽減する。

だって、背中、腰に繋がるから。

フルートの場合、抜刀の手首は、そのまま使える。

灯台下暗し。

こんな簡単なことに気付くのに17年!?

やれやれ、と思うものの、気付けたのだから、良しとしよう。

そして、抜刀の効用は、まだまだこんなものではないはず。

薄っすらと感じるのは、やはり何もしないより、「浮き」が感じられるということ。

そもそも、浮かなければ抜けない?

と、久々に自主稽古中です。

とはいえ、「自分で納得できるのは我理であり、決してそれは真の理ではない」という教えも常に心しておかなくては。

まだまだほんの表層をああだこうだとやっているのだろうな、とは思うものの、それでも、大きな変化があるのは、嬉しいことです。



9月の設え

2021-09-07 22:28:57 | テーブルコーディネート
9月になり急に寒くなり驚きましたが、「新涼」という言葉にぴったりの風にほっとすることも。

夏の間はゴロゴロと日中寝てばかりだったピピも、9月になってからは元気で、時折部屋に出てくる蜘蛛の子をいたぶったりしております。

食べたりはしないのですが、シャっと手を出してしばし眺めて、という・・

猫本来の本能の部分を少しだけ垣間見た心地でちょっとドッキリ。

アズレージョ模様のテーブルクロスを新調したので、それに合わせてポルトガル仕様に。

最初はお土産で買ったガロ(赤い鶏の置物)を置いてみたのですが、色が強すぎてちょっと落ち着かなかったのでやめに。ガロは元居た、キッチンの窓辺に。

今回、絶対使おうと思っていたのは、2018年、リスボンのお洒落な雑貨屋でみつけて買ってきたコルクのお皿。



お店の名前は失念しましたが、歌劇場に面した広場のすぐ側にあるハイセンスなお店で、多分、大概のガイドブックには載っている。

お洒落すぎるくらいのハイセンスなお店で、目の前まで行ったのに、スタイリッシュな入口が判らず、歌劇場の前に居た家族連れに教えていただき辿り着くことができました。

車から衣装ケースを持って出てきた男性は恰幅がよくダンディ。坊やは可愛く、美しい夫人はにこやかな笑顔。

この時は、ツアーの中の少ない自由時間を満喫しよう、と焦っていたため、お店に行くことばかり考えていて、ただ「ありがとうございます!」とお別れしましたが、もしかしたら、あれはその日のオペラに出演する歌手とそのご家族だったかも?と思います。

さて、このお店では、目的のクラウスポルトの石鹸や香水、陶器のツバメなどを買いました。

そして、偶然みつけたのが、これ。

コルク樫の表皮がそのままで、面白い!?と思い購入したものの、お皿としては逆向きに反っている箇所もあり、ものを載せることは出来ず、結局そのまましまい込んでいました。

今回は、絶対使う、と決めてあれこれ考え、辿り着いた答えがこちら。

逆さにして、フタにすればいい!?

楊枝はガラスのお皿に。他にはコースター、毎朝の体温計もここに。



ちょっと景色が寂しいので、ショップのディスプレイの様に、同じくポルトガルの大学の街・コインプラで夫に買ってもらった銀のフィリグラーナを置いてみました。





ややワイルドではありますが、使い勝手、中々良いです。

ピピが齧るかな?とも思ったのですが、今のところコルクには関心が向かないようで無事です。

ルスカスは遂に一年を超えましたが、まだ青々とピンとしていて元気です。
凄い植物です。