





まだまだ蒸し暑いですが、時折吹く風には、もう秋の気配が。
今回も、この状況下参加される皆様の熱意も相まって、しみじみと良い時間を過ごすことができました。
ソーシャルディスタンスをとって、ということで体術の体験が出来なくなったのは残念ですが、それでも、先生の杖、抜刀、そしてさらに進化された影抜きの技を間近で拝見できるのは、貴重です。
詳細は参加者みなさまの個人的なこともあるので、書けませんが、歌、クラリネット、ピアノ、とみなその場で大きく変化されました。
「違和感を大事にする」
「人間、0からよりもマイナスからの方が良い。手に怪我したままお皿を洗うのは大変だから、なんとか治したいと思うでしょう?」
びっくりしたのは、「違和感」に伴うエピソード。
一種の強迫性障害の人のお話。
自分の左脚にとても違和感を持ってしまって、我慢できない程気持ち悪い。
でも、当たり前のことながら、どんな医者に相談しても左脚を切断してくれる医者は居ない。
そこで、ドライアイスを大量に詰めたドラム缶に左脚を突っ込んで、凍傷で壊死させて、ようやく切断することができてすっきり、というお話。
事実は小説より奇なりとはいうけれど、人間の感覚というものは、本当に色々なのだなあ、と驚きました。
例えば、ゴキブリだったら(もちろん中には好きという人も居るかもしれないけれど・・)共通認識としてやはり忌み嫌う。
それが同じレベル、もしかしたらそれ以上に自分の左脚が嫌なのだから・・
・・・・・・
今回も紐の効果を改めて感じました。
主宰者としては、「また紐ですか?」という気持ちがずっとあったのですが、私の理解が多少は深まったせいか、なんというか「紐」が登場した時の捉え方が変化していることに気が付かされた。
フェーズが変わった、というか、なんというか。
実際に凄いのは紐ではなく、その紐に反応して変化しているその人夫々の身体だ、ということにようやく思い至ることができたから。
私の「アンブシュアを作らない」と「触れ方」に関しても検証していただくことができました。
過分な可能性を示唆してくださったけれど、あくまでも可能性で・・
とはいえ、変化が加速しているのは確実。
「あとは・・技術というより心の問題だと思いますよ。」
「心」なだけに、それは無自覚な意識下のものだろうし、思考製造でどうこうなるものでもないのだろう。深い深い藪の中を分け入っていかないとわからない。
それにしても、この言葉と全く同じことを一年前、聞いていたことを遅ればせながら思い出しました。
師匠・植村泰一先生からも全く同様のことを言われたのでした。
・・なんだか、もしや・・
私は極悪人なんだろうか・・?
この長引くコロナ禍にいい加減くたびれて、いっそフルートから離れて生きていった方がよほど心安らぐのではないか?と考えることもある。
「新しい生活様式」に合わせて、工夫配慮して開催出来たとしても、もうコロナ以前の心からの笑顔の本番や宴会は味わえないのではないかと感じている。
経済、文化、もろもろ世の中全体がどうなってしまうのか、という不安も相変わらずで。
私の最優先事項は技の追求よりも、安寧な暮らしと家族(含む猫)と自分の健康だ・・
とこの半年ツクヅク感じている。
でも、そんな中、コロナ禍に関する自説はかなり極端ではあるものの、どんな状況下でもぶれずにご自身のバランスを保ち続けていらっしゃる甲野先生の御話しをうかがうのは、とても元気が出るし、凄いなあ、と思うのでした。
次回は同会場で、9月24日(木)です!
・・・・
この日は前の枠も空いていたので、久々にホール練習をしました。
2時から5時半までぶっちぎり。
初代と五代目両方、そしてコンサート用の二本歯の桐下駄と色々な無伴奏作品の楽譜をリュックに詰めて。
やはりホールの音というのは格別。
勝手に、笛が、そして会場が鳴ってくれる感覚を味わえる。
3時間半の間、楽器を取り替えたり、掃除をしたりということはあったけれど、2回舞台袖で一口程、水分補給をしただけでした。
今回変化した吹き方で、確実によりラクになっていることも実感。
甲野先生も仰っていましたが、口元周辺と首にかけての関連はやはり大きい。
本日も全く疲れも感じることなく、下駄箱の片付けと掃除を。
あと一か月弱で62才になるのですが、26才の頃よりも、ずっとパワーアップしているのが面白いし、嬉しいです。
今回も、この状況下参加される皆様の熱意も相まって、しみじみと良い時間を過ごすことができました。
ソーシャルディスタンスをとって、ということで体術の体験が出来なくなったのは残念ですが、それでも、先生の杖、抜刀、そしてさらに進化された影抜きの技を間近で拝見できるのは、貴重です。
詳細は参加者みなさまの個人的なこともあるので、書けませんが、歌、クラリネット、ピアノ、とみなその場で大きく変化されました。
「違和感を大事にする」
「人間、0からよりもマイナスからの方が良い。手に怪我したままお皿を洗うのは大変だから、なんとか治したいと思うでしょう?」
びっくりしたのは、「違和感」に伴うエピソード。
一種の強迫性障害の人のお話。
自分の左脚にとても違和感を持ってしまって、我慢できない程気持ち悪い。
でも、当たり前のことながら、どんな医者に相談しても左脚を切断してくれる医者は居ない。
そこで、ドライアイスを大量に詰めたドラム缶に左脚を突っ込んで、凍傷で壊死させて、ようやく切断することができてすっきり、というお話。
事実は小説より奇なりとはいうけれど、人間の感覚というものは、本当に色々なのだなあ、と驚きました。
例えば、ゴキブリだったら(もちろん中には好きという人も居るかもしれないけれど・・)共通認識としてやはり忌み嫌う。
それが同じレベル、もしかしたらそれ以上に自分の左脚が嫌なのだから・・
・・・・・・
今回も紐の効果を改めて感じました。
主宰者としては、「また紐ですか?」という気持ちがずっとあったのですが、私の理解が多少は深まったせいか、なんというか「紐」が登場した時の捉え方が変化していることに気が付かされた。
フェーズが変わった、というか、なんというか。
実際に凄いのは紐ではなく、その紐に反応して変化しているその人夫々の身体だ、ということにようやく思い至ることができたから。
私の「アンブシュアを作らない」と「触れ方」に関しても検証していただくことができました。
過分な可能性を示唆してくださったけれど、あくまでも可能性で・・
とはいえ、変化が加速しているのは確実。
「あとは・・技術というより心の問題だと思いますよ。」
「心」なだけに、それは無自覚な意識下のものだろうし、思考製造でどうこうなるものでもないのだろう。深い深い藪の中を分け入っていかないとわからない。
それにしても、この言葉と全く同じことを一年前、聞いていたことを遅ればせながら思い出しました。
師匠・植村泰一先生からも全く同様のことを言われたのでした。
・・なんだか、もしや・・
私は極悪人なんだろうか・・?
この長引くコロナ禍にいい加減くたびれて、いっそフルートから離れて生きていった方がよほど心安らぐのではないか?と考えることもある。
「新しい生活様式」に合わせて、工夫配慮して開催出来たとしても、もうコロナ以前の心からの笑顔の本番や宴会は味わえないのではないかと感じている。
経済、文化、もろもろ世の中全体がどうなってしまうのか、という不安も相変わらずで。
私の最優先事項は技の追求よりも、安寧な暮らしと家族(含む猫)と自分の健康だ・・
とこの半年ツクヅク感じている。
でも、そんな中、コロナ禍に関する自説はかなり極端ではあるものの、どんな状況下でもぶれずにご自身のバランスを保ち続けていらっしゃる甲野先生の御話しをうかがうのは、とても元気が出るし、凄いなあ、と思うのでした。
次回は同会場で、9月24日(木)です!
・・・・
この日は前の枠も空いていたので、久々にホール練習をしました。
2時から5時半までぶっちぎり。
初代と五代目両方、そしてコンサート用の二本歯の桐下駄と色々な無伴奏作品の楽譜をリュックに詰めて。
やはりホールの音というのは格別。
勝手に、笛が、そして会場が鳴ってくれる感覚を味わえる。
3時間半の間、楽器を取り替えたり、掃除をしたりということはあったけれど、2回舞台袖で一口程、水分補給をしただけでした。
今回変化した吹き方で、確実によりラクになっていることも実感。
甲野先生も仰っていましたが、口元周辺と首にかけての関連はやはり大きい。
本日も全く疲れも感じることなく、下駄箱の片付けと掃除を。
あと一か月弱で62才になるのですが、26才の頃よりも、ずっとパワーアップしているのが面白いし、嬉しいです。