『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

第97回 音楽家講座 in 鶴見

2020-08-25 20:25:28 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて













まだまだ蒸し暑いですが、時折吹く風には、もう秋の気配が。

今回も、この状況下参加される皆様の熱意も相まって、しみじみと良い時間を過ごすことができました。

ソーシャルディスタンスをとって、ということで体術の体験が出来なくなったのは残念ですが、それでも、先生の杖、抜刀、そしてさらに進化された影抜きの技を間近で拝見できるのは、貴重です。

詳細は参加者みなさまの個人的なこともあるので、書けませんが、歌、クラリネット、ピアノ、とみなその場で大きく変化されました。

「違和感を大事にする」

「人間、0からよりもマイナスからの方が良い。手に怪我したままお皿を洗うのは大変だから、なんとか治したいと思うでしょう?」

びっくりしたのは、「違和感」に伴うエピソード。

一種の強迫性障害の人のお話。

自分の左脚にとても違和感を持ってしまって、我慢できない程気持ち悪い。
でも、当たり前のことながら、どんな医者に相談しても左脚を切断してくれる医者は居ない。

そこで、ドライアイスを大量に詰めたドラム缶に左脚を突っ込んで、凍傷で壊死させて、ようやく切断することができてすっきり、というお話。

事実は小説より奇なりとはいうけれど、人間の感覚というものは、本当に色々なのだなあ、と驚きました。

例えば、ゴキブリだったら(もちろん中には好きという人も居るかもしれないけれど・・)共通認識としてやはり忌み嫌う。

それが同じレベル、もしかしたらそれ以上に自分の左脚が嫌なのだから・・



・・・・・・


今回も紐の効果を改めて感じました。

主宰者としては、「また紐ですか?」という気持ちがずっとあったのですが、私の理解が多少は深まったせいか、なんというか「紐」が登場した時の捉え方が変化していることに気が付かされた。

フェーズが変わった、というか、なんというか。

実際に凄いのは紐ではなく、その紐に反応して変化しているその人夫々の身体だ、ということにようやく思い至ることができたから。


私の「アンブシュアを作らない」と「触れ方」に関しても検証していただくことができました。


過分な可能性を示唆してくださったけれど、あくまでも可能性で・・

とはいえ、変化が加速しているのは確実。

「あとは・・技術というより心の問題だと思いますよ。」

「心」なだけに、それは無自覚な意識下のものだろうし、思考製造でどうこうなるものでもないのだろう。深い深い藪の中を分け入っていかないとわからない。

それにしても、この言葉と全く同じことを一年前、聞いていたことを遅ればせながら思い出しました。

師匠・植村泰一先生からも全く同様のことを言われたのでした。

・・なんだか、もしや・・

   私は極悪人なんだろうか・・?


この長引くコロナ禍にいい加減くたびれて、いっそフルートから離れて生きていった方がよほど心安らぐのではないか?と考えることもある。

「新しい生活様式」に合わせて、工夫配慮して開催出来たとしても、もうコロナ以前の心からの笑顔の本番や宴会は味わえないのではないかと感じている。

経済、文化、もろもろ世の中全体がどうなってしまうのか、という不安も相変わらずで。
私の最優先事項は技の追求よりも、安寧な暮らしと家族(含む猫)と自分の健康だ・・
とこの半年ツクヅク感じている。

でも、そんな中、コロナ禍に関する自説はかなり極端ではあるものの、どんな状況下でもぶれずにご自身のバランスを保ち続けていらっしゃる甲野先生の御話しをうかがうのは、とても元気が出るし、凄いなあ、と思うのでした。


次回は同会場で、9月24日(木)です!

・・・・
この日は前の枠も空いていたので、久々にホール練習をしました。
2時から5時半までぶっちぎり。

初代と五代目両方、そしてコンサート用の二本歯の桐下駄と色々な無伴奏作品の楽譜をリュックに詰めて。

やはりホールの音というのは格別。

勝手に、笛が、そして会場が鳴ってくれる感覚を味わえる。
3時間半の間、楽器を取り替えたり、掃除をしたりということはあったけれど、2回舞台袖で一口程、水分補給をしただけでした。

今回変化した吹き方で、確実によりラクになっていることも実感。

甲野先生も仰っていましたが、口元周辺と首にかけての関連はやはり大きい。

本日も全く疲れも感じることなく、下駄箱の片付けと掃除を。

あと一か月弱で62才になるのですが、26才の頃よりも、ずっとパワーアップしているのが面白いし、嬉しいです。




触れ方

2020-08-20 11:55:48 | 気付き
「触れる」と一言で言っても、その触れ方には様々なクオリティがある。

息子が飼い始めた猫・ピピとの交流の中で気付いたのは、猫は触れ方の名人だ、ということ。

眠っている時に、フワっと鼻先を近づけたり、こちらの手にすっと触れたり。

そのどれもが一瞬のことなのだけれど絶妙で、こちらの形状を崩さない触れ方だ。

一種のためらいが感じらつつも的確。

そういえば、「ためらいの倫理学」(内田樹)という本もあった。

「自分は間違っているかもしれない」というためらいを持つことこそが知性、という論旨だったか。

猫はなんと知的な触れ方が出来るのだろう!

この猫の触れ方で思い出したのは甲野善紀先生。

先生の技を受けると、もうブーンと振り飛ばされるくらいのエネルギーが伝わってくるのだけれど、その接触面は、まさにフワリとしていて、その瞬間に、触れた他者の身体も最早自分の身体の一部ではないのか?と思える程、違和感なく馴染む。



失礼かもしれないが、猫か先生か、というくらい触れ方が似ていると思った。

・・人間でこのような触れ方ができるのは、多分先生くらいではないかと思う・・


「触れ方」が大事、というのは昔から知っていた。
触れ方ひとつで身体全体が変わる、というのも。

しかしながら、やっているつもりでできていなかった。
まだまだフルートに「ここに来い」と強引な触れ方をしていた。

触れ方ひとつで変わるのは自身の身体はもちろんのこと、エネルギーの伝わる効率も、ということにようやく思い至った。

なんと今まで強引でガサツな触れ方をしていたのだろう!

まあ、フルートに対してなのですが、反省しきりとなる変化がありました。

それもこれも、明け方の夢で気付いた「事前にアンブシュアをつくらない」による変化です。

猫がフっと触れてくるように、甲野先生の様に・・
というのはとてもハードルが高いですが、それらがお手本。

ためらいがちにそっとフルートの歌口に触れる。

今まで出していた音はなんだったの?

というくらいの変化に。

・・・・

写真は「人じゃらし」で遊ぶピピ。
お盆休みのひと時、また一緒に過ごせて楽しかった!
器用に前脚と口で操ります。
もちろんじゃれるのは私!


本日の手芸 ネックレスからのリメイク

2020-08-17 21:33:47 | 手作り
エジプトごっこをするために、久しぶりに様々な土産物雑貨を収納している引き出しを物色しました。
すっかり忘れていた木彫りのネックレスをみつけました。
これも木彫りの猫と同じく、イシス神殿に向かうファルーカの中で購入したもので、確か500円もしなかった。
手彫りの動物たちが可愛いので、4本購入しました。
自室のカーテンのタッセルにしてもいいな、と思ったものの、それっきりに。
改めて眺めると、茶色の木のビーズと黒いガラスの小さなビーズのコントラスが美しい。

白い麻のシャツとパンツに合わせるといいかも?
身に着けてみると、中々良いので、もう一本をリメイクしてブレスレットとイヤリングのチャームにすることに。

アンティークのコスチュームジュエリー、特にトリファリにはまった時期があり、その時もセット(パリュール)を集めることに燃えていた。

ヌビア人の木彫りのパリュール。

思いつくまでには一年以上かかったけれど、とりかかったらあっという間の手芸でした。

半分の長さになるところで切って、手が通る長さまでのビーズを残して、余ったビーズは取り去る。

長く残った糸の部分を数回、固結びにして、結び目に接着剤を一滴たらして、乾いてからはみでた糸をカット。

あっという間にブレスレットが2つ出来ました。

長いビーズには銀のチャーム用の金具を通して、上部をやっとこで曲げて輪に。

余ったビーズには手芸用の細い針金を通して、軽くねじって指輪にしました。

これが一番、手間がかかりましたが、楽しかった。

木製はもちろんですが、小さなガラスビーズは全て不ぞろい。
だからこそ、味わい深いのね、と改めて感動。

全部身に着けると、うるさいかな?と思いましたが、全身白にすると、そうでもない。

「動物さんたち大集合だワイワイ(@岡崎体育)」のパリュール休み明けのレッスンに付けていこうと思います。








エジプトごっこ

2020-08-16 01:07:10 | テーブルコーディネート
「・・ここで着ないと、もう一生着ることはないんじゃない?」

この言葉に乗せられたか、本来こういう恰好が好きなのかは定かではありませんが、このところのとんでもない暑さにも後押しされて、夫の部屋着は去年の春エジプトに旅行した時に購入したグレイのガラベイヤとなりました。

これがなかなかよく似合う。

もちろん私もトルコブルーのガラベイヤ。

ストンとした丈の長いワンピースで締め付けもなく、素材はサラっとしたエジプト綿なので、涼しく快適です。

いずれもナイル川クルーズでのガラベイヤパーティーのためにアスワンのホテルで購入したものです。

せっかくガラベイヤを着たので、テーブルセッティングもエジプトのクロスに。

これは現地でこうした雑貨を買う機会に恵まれなかったので、後日ネットでみつけてウサを晴らしたもの。

ナイル川のパピルスの茂みに遊ぶ水鳥、縁取りにはロータスの花と蕾の意匠。

この柄を眺めているだけで、ゆったりと過ぎていったナイル川の船旅のひと時が思い出されます。

でも観光立国のエジプトは、このコロナ禍で経済大打撃を受けていて、エサをもらえなくなったラクダ等が餓死しているとの報道もある。

私達が乗ったラクダ達は無事だろうか?ラクダ使いのおじさんは元気だろうか?と胸が痛みます。

でもまあ沈んでばかりもいられないので気持ちを切り替えて「エジプトごっこ」。

爪楊枝入れもいつものマイセンから、カイロの飛行場でようやくショッピング出来た時にみつけた螺鈿細工の小箱に変更しました。

木彫りの素朴な猫はイシス神殿に向かうファルーカ(帆掛け船)の中で、ヌビア人の少年から買ったもの。日本円で50円くらいでしたが、素材は白檀で、今も良い香りを放っています。

残念なことにエジプト料理の素養もないし、テーブルセッティングにエネルギーを使い果たしたこともあり、いつもの適当なありあわせメニューですが、エジプト土産を見ながらガラベイヤ姿で食事するだけでも気分は上がる。

しばらく旅行は難しいので、時折、こうやって色々な国に行ったつもりのおままごとをやっていこうかな・・

ここだけの話ですが、夫のグレイのガラベイヤ姿、誰かに似ているなあ、とずっと考えていて、ようやく判明。

・・これにフードが付いていれば完璧なのに・・

「ねずみ男」でした!






庭仕事

2020-08-12 14:35:54 | 手作り
6時に起きて7時から2時間程、庭の雑草取りや枝切りをやりました。

新たに購入した、よく切れる枝切り専用ののこぎりはオスマン帝国の刀みたいでカッコイイのですが、これが大活躍。

もう脚立に乗っての作業は危険な年齢、ということで、思い切って大きく育っていた月桂樹や紅葉を背丈くらいにしました。
小さな庭なので、これくらいの方がむしろバランスも良い。

思いがけない収穫は玄関先に勝手に生えて育っている茗荷。
丸々として美味しそうです。

そろそろなくなってきたので、月桂樹の小枝も。
葉の裏表をスポンジでごしごし洗ってからキッチンシンク上の扉に逆さづりして乾燥させます。

そして、カミキリムシ。
黒い背中に白い斑点が美しい。
スタイルもシュっとしていて、なかなかダンディです。

小さな子供でも居れば喜ぶのにね~、とつぶやきながら、珍しいので捕獲。

庭仕事用の手袋をしていれば、そんなに怖くない。

虫を捕まえると「夏休みだね~」と思える。

入れ物がなかったので、もう捨てる予定だった景品のガラスタッパー容器にタマネギの入っていた網をかぶせて虫かごに。

キュウリが好きかどうかはわかりませんが、月桂樹の葉っぱと一緒に入れてやりました。
ハチミツもかけた方が喜ぶか?とも思いましたが、ベトベトしそうなので、キュウリのみ。

そういえば、キュウリにハチミツかけるとメロン味に、という話があるけれど本当かしら?

息子が小さい時は、カブトムシやらなんやら飼ったこともありますが、それ以来の虫。

最初はかぶせたネットにしがみついて、なんとかかみ切ろうとしていましたが、あきらめたのか、今はキュウリの上に。

1時間ほどつきあってもらってから庭に放してやりました。