『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

立ち方の変化

2023-09-22 11:38:34 | 気付き
フルートを吹く時に左足を前に出したのは、もう20年ぶりになるかもしれません。

元々は、よくあるメソード通りに、左足を前にして胴体から左に捻って吹いていた。

甲野先生と出会って、抜刀術をお教えいただいた瞬間に、「これだ!」とひらめき、それ以来ずっと左足は後ろ。

講座などで、よく「で、左足が後ろなんですね。」等も聞かれたけれど、その都度こう答えてきた。

「今のところは。裏の裏はまた表ということもあるので、これが正しいとは決して思っていません。それにただ左足を後ろにすればよい、というものでもないので。大事目的は体幹をねじらないようにするということです。」

これは最初から思っていて、『身体から革命を起こす』にも掲載していただいたが、見た目だけでは、その中でどのようになっているかはわからない、と今も思う。

とはいえ。

素振りの時はどうしたって、右足が前になるのと同様の理由で、私の右足も前、左足は後ろだった。

それが、ここにきて「左右が協力し合わない手」「ソの字立ち」で、変化。

これらの構え方をすると、左足が前になっても体幹はねじれない。

ソの字立ちによって骨盤が決まる、という感覚があるので。

何故、こんなことを試そうと思ったかというと、最近お世話になっている整骨院の方との会話。

「何か日常生活で気を付けると良いことってありますか?」

「そうですね。一番良いのは、とにかく同じ姿勢を続けないことですね。固まってしまいますから。」

右下親不知抜歯後の歯茎の引きつれもかなり減ってきて、それに伴い、右半身のだるさも軽減してきました。

でも、ついつい練習に夢中になって時間を過ごしてしまうと、以前よりも疲れが残るように。

完全に回復していないのに、3,4時間同じ姿勢でロクに休まず吹いていれば、そりゃあそう。

そんなこともあっての質問でしたが、これが意識変革の大きな一言に。

早速試したところ、いける!?

もちろん、その動きに大いに参考になったのは先日の動画。

今は基本は以前同様、右足前、左足後ろですが、時々その前後を変えても吹いています。
リフレッシュするのは確か。しばらくこれで。

あと昨日試す中で、「左右が協力し合わない手」による体術の応用で音色を変化させ高音などにも有効なやり方を発見。

これもそういえば、裏の裏はまた表。
表面のテンションは使わず、内側奥で。その後調整としてテンションを使う。
内側がないままやるのとは大違いになる。

もう一つはレッスンの折の気付き。

引いてから当てて緩めるのではなく、緩めてから当てて、必要があれば引く。
引っ張る口元のアンブシュアは力みや緊張に繋がると思う。
名手S氏などはその教本の中で「間違ったアンブシュア」とまで言いきっている。
私も概ねその意見に賛成だ。
でも、そうはいっても、唇の形状によっては、ややひっぱらなければ音が出しにくい人も居る。当て位置が唇までかかってしまう人も居る。その場合重要なのは、順番。
笛を当てる前に引っ張ってしまうので、固定されて柔軟性が損なわれるのではないかな、と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・そういえば、本日で65歳となりました。

遂に「前期高齢者」の仲間入り。
老齢年金、介護保険、というずっと他人事と思っていた言葉が急に身近に。

今日まで元気でフルートを吹き続けてこられたことに感謝です。

皆さまありがとうございます!

写真はピピのお辞儀? そして告知2つ







鹿島神流 国井善弥 範士

2023-09-20 23:19:25 | 気付き



先月の音楽家講座の後からずっと観ている動画です。

フルートの構え方も、大きな影響を受けました。

「ソの字立ち」という言葉を初めて知ったのは20年前、稽古仲間に野口整体の資格を持っている方がいて、施術する時に有効な立ち方というので教えていただいた。でも、それはもうその時だけで、「へー、こんなに違うんですねえ」で終わっていた・・

それが鹿島神流由来のものであると知ったのが先月の音楽家講座の折。

遅ればせながら、国井善弥範士の写真や動画をネット検索して、見入っていました。

さらには、甲野先生のメルマガにあった踵の話。

そういえば、宮本武蔵も『五輪書』の中で踵は強く踏むべし、と言っている。

本当に、身体というのは不思議です。

昨年11月から「左右を協力させない」ということを盛んに仰っていた甲野先生。

それに伴って、私の奏法も大きく変化してきました。

とはいっても、5月までは、まだまだ過去のやり方を引きずっていた。

5月末に親不知を抜歯して、ロクに吹けない期間が約3か月。これが結果として以前のやり方や癖を振り落とすのためには良かったのだと思います。

以前はまだまだ身体表層のテンションを使って吹いていた。
それがなくなり、表面はむしろ緩めて、より内側が使えるようになってきた。

ここに至る最も大きな要因は魔女トレ・西園美彌先生に伝授していただいた身体の奥底と繋がる「触れ方」だと思う。あの経験がなければ、ここまで大きく変化することはできなかったと思います。

ということでまだまだ先はあるとの自覚はあるものの、以前よりは奥が使えるようになってきたというのが嬉しいです。

余談ではありますが、前回甲野先生に御教えいただいた、フルートを構える時の左手の取り扱い方は、そのまま椅子から相手を起す時の技として使えるということにも気付いた本日。

試した生徒さんもびっくり。

これは、「左右を協力させない」というお話から、この4月にも薄っすら気づいてはいて、稲毛音楽室でも試して驚かれていたものですが、それがさらに進化。

実感なく力が発揮される、という意味では体術も楽器演奏も同じってことで。




(告知)






抜刀術による構え、他

2023-09-04 14:05:04 | 気付き
(抜刀による構え)
前回の音楽家講座の折の甲野先生からのご助言により、さらに左手の工夫が進み、見た目にも違和感のない動きの中での構え方が出来るようになりました。

もちろん、手だけではなく、足腰全てが協調参加してこその構え方。
かつ協力し合わない左右の手で。

先日、ピアニストに試していただいたところ、大きな効果が。

身体の中、奥底のまとまりが変わってくるので、当然といえば当然なのですが、あまりの変化にびっくりしました。



(口開けの儀式)
これは元々、サックス奏者から受けた悩み相談が元になって思いついた解決方法なのだけれど、口を開けて咥えるリード楽器のみならず、金管、木管、フルートにも大きくかかわるやり方ということにようやく気付きました。

サックスの方からは、大いに感謝され、効果があったとの報告が。
先日はピアノにも有効ということもわかりました。
音の粒立ちが変化。

抜刀術による構えの前に、これを行うと更に良い。

これをやると、魚の取り損ねた小さな小骨までなくなり、アンブシュア周辺がトロリとよい塩梅になる。口回りの緊張は全身に微妙に影響しているということも実感。

さらに、ワイン、ビールお茶はもちろん、食べ物までより美味しく感じられる。
最初から味全体が見渡せる感じが面白い。
美味しいと満足感も増すので、ダイエットにも良いかも。

ピアニストから「先生!こんなこと誰も言ってないですよ。特許とってくださいよ。」と冗談交じりに言われたけれど、まあそうだろうなとも思う。

でも、「特許」というならば、甲野先生や御子息・陽紀先生、魔女トレの美彌先生などの術理や教えこそが「特許」ではないかと。

私のものは、「ほんの思いつき」。
しかしながら、これも基本の「部分でふんばらない」があればこそで、そうでない場合には、「なんのことやら」で終わると思うので、ここには記せない。



(秘密兵器)
これは、あまりにあんまりで怪しまれという理由で記載できませんが、身に付けるアクセサリーだけでも響きと音色は変わるし、紐一本だけでも瞬時に身体が変わることを思えば、まあそうだろうね、とご理解いただけることもあるかな?ないかな?
でも一般的には怪しまれてもしょうがないなあ・・・
といったちょっとディープなもの。



随分と減少したものの、まだ右半身の違和感は抱えたまま。
でも、上記の3つの新たなやり方で、以前よりは、ずっとマシな演奏が出来るようになったのは、有難い事です。

吹けなかった夏を乗り切って、更にフルートが楽しくなった!



(固定告知)




雷と豪雨と抜刀術

2023-08-01 22:46:13 | 気付き
午後1時すぎ、駅に着いた途端に、雷が鳴り始め、豪雨になりました。

あの熾烈な暑さが一息つき、乾ききった地面が潤うのは有難いけれど、途切れることのない大太鼓の連打の様な雷は本当に怖かった。

8月の幕開けは、中々ドラマチックです。

ここのところ、何人かの経験者に、今の私のやり方をお教えする機会があり、喜んでいただけることとなったのだけれど、それにつけても改めて考えてしまうのは

「メソードって何だ?」

ということ。便利なものではあるし、当座、なんとかしなくてはいけないので、それはそれでの役割はあるのだろうけれど、問題は「それしかない」と思わせてしまうところではなかろうか・・

私からの提案も「これも数多くの選択肢の一つです。選択肢を増やしてみてください。結局のところ、自分にとってのメソードを自分で見つけるのが一番です。」で締めくくる。

。。なんて多少偉そうなことを口走ってしまいましたが、ここに来て、やはりまだまだ色々と縛られたままだったのを実感している。

別に誰かに縛られていた訳ではなく、縛っていたのは自分自身。

これまで一度たりとも疑っていなかった、そしてこれだけは変わらないだろうね、と思っていた右手の取り扱いが大きく変化。

きっかけは例の「左右を協力させない」という使い方からきた抜刀術の検証。

掬い手にして楽器を構えてから肘から先だけを返して、肩を上げないようにする、というのが、甲野先生に出会って以来、つまりこの20年、ずっとやってきていた私の右手だった。

普通にやると上がってしまう右肩が、これで落ちたままなので、とても効果があったやり方だ。

まさか、これが変わることになるとはね。

これをやり始めた頃の私はまだまだフルートを横に構えていたので、これが必須だった。

でも、今や、よりフルートは斜めになり下を向き、ということで、何もわざわざ掬手で掲げ挙げて、とやらなくても、抜刀術そのまんまの手でいいじゃん、ということになったのでした。

思えば20年前、初めて腰帯をし、刀を下げ、抜いた瞬間に感じた自由さをそのまま大切にすればよかったのに・・

まあ当時は今よりもずっと滞りだらけだったから「ねじらない」ことの効用にしか気が付けなくても致し方なかったけれど。

右手も左手も、刀を取り扱うまんまの所作。
刀を抜き放ったところがフルートの場所、で丁度良い。
このゴールデンエリアであれば肩はささない。

ということで、天変地異という言葉がぴったりの本日とシンクロさせての抜刀術方式の構となりました。

暑いし、まだ右半身はだるかったりするし、とウダウダしている時間の方が多いのですが、それも今日の雷と雨で祓ってもらった心地もする。

そういえば、甲野先生の抜刀術はまさに「祓い」。

あれこれ祓って気持も切り替えて、この8月も乗り切っていきたいと思います。


構え方・続き

2023-07-20 22:24:01 | 気付き
結局はみな抜刀術の型に集約されていたのだな、との思いは更に強まった。

20年前に刀を抜いた瞬間にかつてない程の深い息が入ってきて、刀が軽くなったというのが最初の感動。

その刀がフルートなら?とそれから様々な研究工夫を重ねてきたのだけれど、やはり、まだまだ刀とフルートは別物だからという根強い思い込みと、過去に培ったフルートの「吹き方」を手放せないまま20年経ってしまったということを思い知らされた。

ずっと、「身体をねじらない」「滞りを作らない」「肩を上げない」とやってきたけれど、肝心要の「浮きをかける」は結局現在に至るも、おろそかなままでの工夫。

手に伴った足腰の動きに関しても、結局は片足重心にしてもう片方を動かすというものにとどまっていたことに気付かされ猛反省。
今までは左重心で右を、そして昨日からは右重心で左を動かしていた。

そうではなく本当に観音開きにするためには浮きをかけて左右双方同時に動かさねばならない。
とはいえ、今の私のレベルではそれはまだまだハードルが高い。
でも、右だけでも左だけでも、「片手落ち」というか「片側落ち」だった・・
と気付いたことがせめてもの進歩・・

本日からは、左右、の順で時差をなるべく小さくして行っている。

そうすることでより観音開きとなり、おそらく骨盤の変化の影響で、肋骨、胸郭の開きが変化。

古武術的な膝を緩める立ち方はもう20年前からやってきていて、これにより腰周辺がより動くようになり、胴体の脇、背中、つまり横と後ろに広がるようになり、肺は奥底から開くのだけれど、それで良しとしまっていた。

私や私がご指導した生徒さん達の一番の演奏上の特徴は「ウルサイ息音がしない」ということで、よく驚かれるのだけれど、この構え方だからこそではないかと思う。

今回これに加えて左右の開きによる観音開きとなったことで、前方にも膨らむようになり、鎖骨のあたりまで使えて、肺の上部まで使えるようになり、息増量。

この感覚は初めてのもので、ちょっと戸惑っている。
イメージは小鳥の胸。そしてオペラ歌手の胸。

よく反り腰で胸を張るのが「良い姿勢」とされていることも多いけれど、それとは全く違う。これだと上部ばかりで奥底には入らないし喉がしまる。

一言では説明しずらく、矛盾だらけだけれど・・

この吹き方で思い出したのは生前の師匠のレッスンの一言。
数年前の、コンサートの本番中に気付かれたというもので、詳細は書けないけれど、しみじみと

「お腹の支えなんかじゃあなかったんだよ~~」と仰った。

誤解があってはいけないけれど、これは決してお腹をないがしろにしているものではなく、これも、やり込んだ方ならではの、あれこれ踏まえた上での一言。

でも、「腹に力を入れて」というものでは全くないことだけは確か。

その「お腹なんかじゃない」というとある部分をお教えいただいていたっけなあ、と思い出した。まさにそこが活動しているのが感じられたのでした。

「白川はすぐ忘れるからなあ」と横で先生が苦笑されているような気もした本日。

でも、昔御教え頂いた時には、多少の違いはあったものの、それほど効果はなく、なんとなくいつのまにか立ち消えてしまっていた教え。まだそのレベルではなかったということだ。

それがようやく、そうか、このことだったのか・・と。

また、フルートはどうしても身体の前面にくるので、両腕を前に出す発想だったけれど、そうではなく、これも抜刀と同じ感覚で。

左手は鞘に添えて足腰と共に後ろに引き、右は斜め前方に。
刀を抜きつける軌道そのままに。
刀、つまりフルートの重さを右腕で引き受けて。