案じられていた台風も温帯低気圧となり、無事開催できました。
(お話)
29才の時、独立し自身の道場を立ち上げてから44年となった。
きっかけはそれまで学んでいた合気道の問題点に気付いたから。
その中では、自分にとって納得のいく答えが見つからなかったので、始めた。
その後、円の動き、〇が良い、と言われているが、人が円の動きに成ろうとしたときは、ワイパーのようになり、途中で止められやすくなることに気付いた。
バットの太い方と細い方を互いに持ち反対方向に回すと・・輪軸の原理(梃子)
人力での円の動きはなめらかのようだが、効率が悪い。
そこで「井桁崩し」で動く気付きを得た。これが自身の気付きの基となった。
鞭の原理というのはそれなりに効果があり、4,5メートルの鞭であれば、手元で時速20㎞出たものが、先端では1200㎞となる。
しかし、これは気配が出るので武術的にはNG。
手裏剣術において、手が汗でべとつくと手から滑り出ず、張り付いて手前で回転してしまうのをなんとかしたいとずっと稽古してきたが、今回カテナリー曲線でかいなを動かすと良いことに気付いた。
マイナーな分野なので、この喜びを分かち合ってもらえる、という人もあまりいないのだけれど・・
9月9日、これを体術に応用したところ、大きな効果があった。
プラスのカーブとマイナスのカーブがあり、カテナリー曲線はマイナス。
翌日10日にはこれに関連し、丸い動きというのをいつも外側ばかりで考えていたことに気付いた。
プラスのカーブは逸れて離れていくので、添わせるためには努力が必要。
それに対してマイナスのカーブは特に意識せずともそのまま行くので、とてもラク。
気持も落ち着く。静かで、好戦的ではなくなる。
武術で「かねができる」という言葉があり、これは物差しで線を引くように正確に出来る感覚を持てるようになる、ということだが、マイナスのカーブであれば、どこに行っても珠で、見かたによっては「囚われている」とも言える。
外は自力、内(中)は他力。
浄土宗、浄土真宗では信仰することすら不要。
「妙好人」は我が身に起きたことは全て必然、と全てを任せきっている。
「保護されている」とも言える。
(野口晴哉氏、御子息の逸話を紹介され)
内観というのは単なるイメージではない。
内観でかいなを短くしたり、長くしたり、消したりすることで・・
(技・気配なく飛ばされる等)
マイナスの円では、ただ添わせるだけ。
プラスではそわせるようにしなければいけなくなる。
保護されている妙好人。
阿弥陀の脚本、シナリオの中に自分が入って全てをゆだねていれば、何の不安もない。
(木刀で円の外に向かって振る場合と、内側での違いを紹介。内側は目視でもなめらかに見える。)
円の表裏の関係。
内側は振っていても気持ちよい。
内観の稽古・・仰向けに寝て膝を立て、左右の足裏の違いを観察することから始める。
人間が客観的に同じでも、感じ方は違うという認識を持つことが第一歩。
足の向きを変えて、感じられる左右の差を揃えていく。
階段の上り下りのやり方。
(技・体重を乗せた相手の片足を持ち上げる)
動滑車の原理。肩が下がって。
物事を内から見るか、外から見るかで全く違う。
受ける方が変われば、相手は必ず変わる。(いじめなど)
脈絡のないことを言い続けるのは難しく3分と続かない。人間はどうしても相手に誘われる。
人は微妙なセンサーでヘタな自分を認知している。
そこからどうやって外れるか。フリではだめ。
上手くしようというのが全くない。
自分が抜けるので観察できない状態。
ある独特の状況に集中。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(個別指導)
1.トランペット
四方襷と胸紐で大きく変化。
指が内側から引かれていく感じに、とのご助言で動きがなめらかに。
(ご助言)
紐は自分で付ける所作をし、その後内観でそれができるようになれば、必要なくなる。
(音、息も)自分から外に出すのではなく向こうから引かれるような感じで。
頭を反転させて後ろ向きで吹く感じで。
自分が浮いているような感じで。
2.カリンバ制作・演奏
制作していると、演奏時の指の動きが悪くなってきてしまう。
指紐で、大きく変化。「ラクです!」とのこと。
より澄んだ響きに。
(ご助言)
自分でやるには最初に結んで輪にしてからからげていく。
手の甲側に蜘蛛の巣状に渡すことで不可が散る。
3.職場でのストレスで声が出なくなったとの相談
祓い太刀と胸紐で変化。
(ご助言)
ドームの中に護られている胎児のように。
声を出そうと思うより、発する。
(ドームの中に)ずっといる感じ。ただ、ずっと在る。
内側で守られている。
ストレスの震源地がまだ残っている。そこから割れて消えてゆく。
全く違う感情の物理的現象を。内と外。
クラインの壺、メビウスの輪。
3次元に居るという認識だが、現実は網膜は面で2次元。
立体に感じるだけ。実はただの平面。
触れているところは全て面。
人間の感覚の基は2次元。
組み立てて3次元にしているだけ。
自分の中の内と外を変える。
「そういうシナリオだった。へえ・・」
自分の中でむりやり納得させるのではなく、本質的な問題点に目を向けないといけない。
4.ウクレレ
3回目の個別指導受講なので、紐をつけたつもりでやってみる、とのこと。
同音の連続が重くなる。
指紐で大きく変化。
5.フルート(白川)
腕の運び方に、今日のマイナスの円、内側を応用したい。あとは先生や受講生に良いとこ見せようと未だに思ってしまって自滅する心をなんとかしたい。
ドンジョンのエレジー冒頭を演奏。
(ご助言)
「・・じゃあ、こちらに立って吹いてみてください。」
ステージ下に居りて吹く。
先生が真上から頭に木刀を軽く振り下ろす。
「これがいつ来るかわからない状態で吹いてみてください。」
一吹き目からまったく違う世界に。
客席からの反応が大きく、驚く。
自分で感じるよりも大きな変化だったのか?
頭上に意識が向くことで雑念が飛ぶせいか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(所感)
台風一過とはいえ、非日常的なお天気の影響もあった気がします。
今回、より深いしみじみとした会となりました。
先生の気付きの「マイナスの曲線、円の内側」というのは、本当にメウロコの驚きでした。(ラフな言葉しか出てこなくて申し訳ありません・・)
内観というのは、難しいですが、この内側に関しては、誰でもすぐに、「思うだけ」でその変化が起こるのではないかなと。
ドラえもんのポケットの様に、懐から野球ボールや、お椀を出されての説明はとても分かりやすかった。
お椀は代々お家に伝わってきたという見事な輪島塗で、欠けてしまったのでここで使おうと思われたのだそう。
「頭に背後から先生の木刀」というのは、19年目にして初めてでしたが、スッと軸が通る感覚も生れ、それも良かった気がします。
楽屋で腕を短くした最新技を受けました。
もちろん、かなり加減してくださったのですが、それでも気が付くと壁が目の前にある、という不思議な状況に。
全く気配がないまま、いつの間にか身体ごと瞬間移動したような不思議な感じ
カリンバは音楽家講座初登場。
昔、関根秀樹先生からアフリカのものをお聞かせいただき、親しんでいたのですが、今回ご自身で作成されたというオリジナル楽器のピュアな音色に感動。
胸がスっと開いて呼吸が楽になるような響きでした。
あとでうかがうと、御神木の楠で作られているのだそう。
少し弾かせていただいたのですが、指先から身体に響きが伝わるのも心地よく、
マスク越しにも楠の清々しい香りが漂ってきました。・・欲しい・・
常連の方が「良い夢みれそう・・」と仰っていたけれど、同感です。
ニッケルハルパ、シンギングボウル、カリンバ、と所謂クラッシック音楽では使われない楽器の響きが持つ魅力は何だろう?とずっと考えているのだけれど、これも、外と内という感覚の違いになるのかな?とも。
原初の「捧げるための音」と近現代の「自分が出す音」の違い?などなど。
こうした日頃触れることの少ない楽器の響きをホールで聞けるのも、この講座の楽しみの一つです。
トランペットの方はこの悪天候の中、三重県よりのご参加でした。
ご参加くださった皆様、スタッフの皆様、そして甲野先生、
ありがとうございました!!
次回は同会場同時刻で、10月18日(火)に開催です。
どうぞよろしくお願いいたします。