『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

・・いろいろ急に・・・いろいろ告知です!!

2021-03-27 17:57:34 | 音楽・フルート
コロナ禍になって早一年。

コンサート、宴会、旅行がみんななくなってしまって、レッスンとスーパーに行く時だけ外出という日々がずっと続いていました。

でも、猫(ピピ!)は居てくれるし、掃除や家事も沢山出来るので、家の中も整って、居心地が良い。

フルート練習も好きな時に好きなものを吹くという感じだし、本も随分読めるようになりました。

それなりに適応したという感じ。

そんな中、ここにきて、一昨年の滞っていた仕事が、どんどん進み始めました。
そして、それに付随して、さらに色々な仕事が増える。

この感じは、コロナ禍以前は、まあ普通で、いわば、イケイケどんどん状況でした。

でも、一年間まったり、ふんわりと過ごしてきた身には、結構ズシっと応えるものでもありました。

本日、ようやく何もない休日で、夫も居るので、ピピの朝ご飯も任せられる。

ということで、久々になんと10時間も眠ってしまいました。

お陰で、疲労回復も出来、すっきり。


ようやく4月28日に一昨年の還暦記念リサイタルのプログラムと同じ曲目を収録したCD『エーテルブルー』(共演・pf.砂原悟、Vc.山本徹)が発売されることとなりました。トリオとフルートソロのCDです。


2月からボチボチとやっていたのですが、数日前、ようやく様々なミックス音源の確認と、マスタリング音源の確認が終わったところ。

ブックレットだけは2019年に出来ていたのですが、それを少し修正。

このために、結構夜なべ仕事が続いておりました。
何度もドロップボックスで送られてくる音源を聞き比べる作業というのは、とても耳が疲れて、ボーっとしてしまいます。

断言しても良いのですが、聞くより、吹く方がずっと楽で、楽しいです。

特に一年以上も前の自分の演奏は、なんというか、今のものとは全く違い、稚拙さばかりが目立ち、気になる。

でも、共演者の御二人の音を改めてじっくり聞くと、なんと素敵!?とそのアンサンブルが出来たことが本当に幸せだったし、そう感じられる音は出している。

さらにマスタリングエンジニアKさんの名人技のお陰もあり、良い作品になったと思います。

リリースに先立って、4月10日発売の専門誌「ザ・フルート」で、この「エーテルブルー」と昨年末にだした「水月・浮雲」のことも告知宣伝してくださることとなり、なんとスペシャルインタビューということで冒頭のカラーページ3ページで取り上げてくださることになりました。先週の水曜日に編集長のMさんとカメラマンのMさんが拙宅まで取材に。

その数日後、記事原稿をお送りくださり、それを修正校正したのですが、いざ書き始めると、あれもこれも言いたい、とかなりの長さになってしまいました。

今度はそれを3ページに収めるための修正。
ダブっている表現を削除し、なるべく切り詰めた文章を工夫。
内容も取捨選択し、徹夜でようやく1000文字減らすことができました。

その後、午前中だけ少し眠り、午後からは音楽家講座。
ここで英気を養いましたが、やはり外出はそれなりにくたびれる年に。

翌日、木曜日にようやく記事が完成し、最後の写真校正となりました。
ロットの写真も沢山掲載されます。

雑誌が出た後は、Web頁でも公開されるそうですので、その折にはまたご案内いたします。

また、2週間前には大学時代の恩師・青木明先生からお電話が。

緊急事態宣言で延期になっていたコンサートを4月2日(木)に開催することになったとのこと。

「水月・浮雲」を吹いてくださるというので、楽しみに伺う予定で、着物は白大島ね、と決めていたのですが・・

「・・ねえ、せっかくだから、君吹きなよ!」

とのお達しが。
最初は、「いや、先生の演奏で聴いてみたいです!」と抵抗したのですが、先生は他にも色々と吹く楽曲があって、とのことで、このような次第に。

急なことでもあるし、宣伝にもなるから敢えてで、いいじゃない?、と伴奏はカラオケCD。
宇高さんとじゃないのが残念ではありますが、それはまたいずれ、きちんと。

伴奏音源での演奏は、何度か仕事でやったこともあるのですが、コンサートで、というのは初めてで、ちょっと戸惑いもありますが、まあ音源を出した当事者なんだからやらないとね。


ということで、早速3階収納庫のドレス置き場に。

そういえば、1年と4カ月、ロングドレスを着ていない。
その上3キロも太ってしまった。

・・・入るかな??

と恐る恐る手に取ったのはくすみピンクのもの。

桜の季節にぴったりですし、なんといっても背中が紐で調節できる優れもの。

かつてないくらいに、紐は伸びましたが、着ることが出来て一安心。

アクセサリーもパールで揃えて、下駄も履いて、久々に練習しました。
・・なんだかとても懐かしい感じ。


そして、やはり、久々の本番がとても嬉しくて、記念撮影を。



「出来たら送るよ~」
と仰っていたけれど、チラシもまだ来ず、詳細は不明ですが、「水月・浮雲」を演奏させていただく予定です。

何より、86才?の青木明先生の演奏が聴けます。

4月2日(金)19時開演(開場18:30)で

場所は新宿ドルチェ楽器(パウエル)のアーティストサロンで、ビルの8階です。
西新宿郵便局の斜め前あたり。

基本無料なのですが、簡単なプログラムを1000円でご購入いただきたい、とのことでした。

まだまだ感染拡大の最中ですので、是非どうぞ!とは中々言い難いのですが、

ご無理のない範囲で、どうぞ!


12枚の豪華ブックレットの殆どはロットの写真ですが、最後はやはりこれで
2019年1月・王子ホールのリサイタルでの3人。
    ピピもチェックしてくれました?




このブログを始めた頃は、まだこの作品がどうなるかわかっておらず、モヤモヤとした霧の中。
ちゃんと出すぞ、という願いも込めて、3人の写真をブログに使いました。
長い「生みの苦しみ」を経てようやく世に出る私達の「エーテルブルー」。
感無量です!

着物

2021-03-26 01:41:37 | 着物
3年近く遠ざかっていたリバウンドからか、着物がまた楽しくなってきました。

とはいえ、もう何か欲しいという感じはパタっと消えて、今は手元にあるものを、とにかく、せっかくなので、なるべくみんな着てやろう、という「使い切り」の構え。

ずっとしまわれっぱなしの着物はなんとなくいじけていて、哀れな気配が漂う・・

そんな、しまわれっぱなしの一枚に袖を通すことに。

母が白大島と同じ時に、購入したのは覚えているけれど、なんだかちょっとガチャガチャしていて私の趣味ではなく、やはり2,3回40代の頃に着て、あとはしまいっぱなし。

紫の地に絞りと紅型風・紅型?(よくわからない・・)のカラフルな染めの小花の総柄。

両方だと、ちょっとくどい。



でもバブル当時、この手の着物は流行っていたらしいです。

この着物を最初に来た時の強烈な想い出がある。

銀座の小さなとあるクラブに集う法曹界関係者ばかりで組んでいるバンドがあって、最初はゲスト出演でフルートを吹いていたのだけれど、そのうち、「私も歌わせて!」と結局はメンバーになって遊んでいた時期がありました。

「夜のクラブ活動」というやつです。

ママがとても音楽好きで、特別料金で遊ばせてもらっていました。
リサイタルの時には大きな花束もくださった・・
徐々に仕事が忙しくなって、「退部」してからは、ずっとご無沙汰してしまいましたが、この状況下、どうなっているのか?と案じられます。


着物マイブーム真っ盛りの頃だったので、一度、この絞りの着物を着て行った。

まだまだ元気で、終電を逃すこともあり、タクシー乗り場に向かって歩いていたら、

道端に占い師のおじさんが居て、

「お疲れ様!」

と声をかけられました。

咄嗟のことだったので、

「お疲れ様~」

と返したのですが、後で考えると・・

もしや、銀座のお姉さまに間違えられたのかしら?

着物姿、そんなに決まってた?

と上機嫌になりました。

なんて良いおじさん・・でも、占い師としては、失格かもね。


今回の帯は、自分で買った洒落名古屋。



大和の駅ビルに入っていた庶民的なお店を冷やかしていて、便利そう、と見つけたものです。

40代の頃は重宝していたのだけれど、今回はちょっと後悔。

やはり、この年で、これを締めるとちょっと格落ちする。

値段というよりも、帯の生地が薄いので、進化してしまった胴体の貫禄に負けるのね。
昔はこの薄さと軽さが丁度良かったのに・・

母はこの着物に枝垂桜の袋帯をしていてたのですが、それだと改まりすぎるので、外してみたのだけれど、ちょっと失敗。

帯締めは秋に葡萄をイメージして締めていたものですが、初めて春にしてみました。
菫に見立てれば良い、と思いつき。

帯揚げはちょっと外しの差し色で明るい水色に。



そしてコンセントを狙うピピ。



着物は着物部屋の蛍光灯の下で写したので、ちょっとくすんでしまいましたが、もっと鮮やかな菫色。









第104回 音楽家講座 in 鶴見 3月24日(水)

2021-03-25 14:53:50 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
桜が咲き始めた良いお天気の一日でした。

先生は「・・Wブッキングしてしまいました・・」

午後から江東区で。なんと合気道の志ある若者たちに請われての講座。

それも、合気道のレジェンドともいえる大物のお孫さん、というから驚きです。

こうした伝統武術の世界も新たな流れが生まれているようです。


ようやく緊急事態宣言も解除され、通常通りの開催。

個別指導の時の時間配分にさほど神経質にならずにすむのはありがたいです。

前半のお話では・・

脳と腸の話。

「脳は、そもそも生物学的には腸の子供みたいなものなんです。」

これは私もTVでみて知っていた。腔腸動物から進化し、脊髄、脳と生まれてきたのだそう。

面白いのは、先生の「親子」という発想。

それも仲の悪い親子。

子である脳は、どんどんと暴走しがちで、腸である親のいう事など、聞かない。

でも、腸は親なので、子供である脳が大変になると、それを案じて具合が悪くなる、とか。

さらには、最近、鼻の奥にある器官が発見されたというお話も。

何故それが今まで見過ごされていたかというと、死んでしまうと、それはただの膜のようになってしまって、わからなかったのだそう。

生きている時だけ存在している器官って何だろう?魂みたいなもの?と妄想は羽ばたく・・

演奏でも、脳の関与がないものが良いのだろう。

「自分で演奏している気がしない」

「我ならざる我」

これらの言葉は、もうここ何年も、ずっと先生が仰り続けている。

手首の外側に関する知見と実証も。



私は最近のモデルチェンジに伴って気になり始めた足指の取り扱い方について質問。

様々な身体操法でも「足は大事」と言われているし、私もベタっと立つのではなく、指先で、とやってきたけれど、ここにきて、ついついその足指に力が入ってしまって、それが気になっていた。

と、先生は合気上げ?というのか?を二通りやってくださった。

一つは、通常の合気道で行われているもので、それは、まあ、力持ちなら抑えられるのではないかという方向性がわかるもの。

もう一つは先生のオリジナルで、もう何が何やら。
気が付くと運ばれている。

「こう、掴まれたものをもらって・・」

と解説されたが、その時のむしろフワリとした手の感じとそれなのに、いや、それだからこそなのだろうが、そのエネルギーの強さに驚いた。

「もらって」という言葉がその後はずっとリフレイン。

思えば、「自動音量調整装置」を作るときの手の内に力みがあり過ぎたから、足指にまでその影響が出ていたのだ、ということも自覚。

おそらく、それは他の手の内でも同様だろう。

「もらって・・」という心がけで手の内を作った方が、より身体が繋がるじゃないのよ、と講座の間、なんども確かめていた。

「手の内」は誰もがその指の恰好にすればある程度はできるもので、だからこそ「手の内を明かす」という言葉もあるけれど、そのクオリティには相当差があるのだなあ、きっと・・と今更ですが感じた次第です。

また足指に関しても、「まず足指ありき」ではなく、「結果としての足指」ということ。

先生にうかがったところ、足指を意識的にどうのこうのして、ということは一切してこなかったのだそう。

これは、呼吸の考え方にも通じている。

身体の種々の動きに付随して、足指の状態も変化するのだろう。

あと、ギタリストからの「本調子で弾けるようになるまで30分くらいかかる。さっとすぐに良いパフォーマンスができるようになるにはどうすれば?」という問いに

日頃やっているのと反対の手の恰好をさせる、という提案。

やり込んでいる人ほど、同じ感覚で持ってしまうから、身体は退屈してしまっている。

それを普段やらない反対の動きを事前に少しすることで、身体がハっとして、ちょっと喜ぶ?というようなお話も面白かった。

これは、先日の「過去の捨て方」の気付きにも通じていて、ああ、そういうことだったのか、と納得。

・・今度は生徒さんにも、反対向きに構えてもらおう・・

・・・・

後半の個別指導は4名

武術をやっている方からは、真似することに関しての質問。

型を真似る、とはどういうことか。

いきなりの深い問いで始まりましたが、先生の答えは・・

左右の指を正面に向け、同じ方向にぐるぐるまわす。

それをそのままにしつつ指が向き合うようにすると・・

これも、以前、何度か身体の感覚を箸なうために御教えいただいていたものだ。

最初、左右が百方向ならどうというもともない動きだが、これが最初同じだと、向き合った時は逆となって、とてもやりにくい。

「そのままただ動いていればいいのに、すぐに脳が介入してきて、あれ?となりますよね。」

さらには、正面の動きで左右同じ時計回りだとしても片方が3時開始、もう片方が9時開始で動くと身体の真ん中での動きは片方が下降し、もう片方は上行するので、逆の動きに感じられてしまう、というのも面白かった。



ピアニストには指紐と鎖紐の四方襷で、毎回その効果には驚かされる。
粒立ちが明確になりクリアに。








四方襷は、かけ方の手順も大事で、必ず右肩からなのですが、試しに左肩からやってみたら、驚くほど、見た目にもグズグズに見えて面白かった。



ご本人も「弾ける気がしない」。

弾いていただいたところ、音も別人のようにベトっと。

右と左が違うだけなのに、本当に不思議です。


クリスタルボウルの響きも素晴らしかった。
ホールだと、より残響が残るのだろうけれど、聞こえなくなってからも、まだきっと鳴っているんだろうな、と耳とは別の器官が聴きとっているような感覚。
ずっと聴いていたいと思う響き。

この響きを味わっている先生のご様子も興味深いものでした。

「これは、動物も寄ってくるでしょうね。湖とかだと、魚なんかも集まってくるんじゃないですかね。」

ヒーリングとして、何人か、寝そべっている人達の中心で行うのだそう。
世の中、色々な世界があるものだ。
こうしたヒーリング系のものを操ると、色々もらってしまって、それを自分では全て、天に上げているつもりでも、やはり中々難しく、残っているので、それを落とすためには、時々自然の中で叩いてやると良いとのご助言。

あと、手指の動きで色々と操作する。

この時の先生の手指のしなやかさは本当に美しかった。
何か別の生き物の様。

「真言の印でも、勝手に手指が変わっていくようじゃないと効果がないように・・」

との説明に、不可思議な世界の存在を垣間見た心地。



オフィスのデスクワークでの足のむくみをなんとかしたい、という質問には、即
「裸足で」

でも、ドレスコードがあって、スリッパに履き替えていても叱られるという厳しい環境(ひどい!)とのこと。


それならば、とひざ下の紐。

最初は片足だけだったのですが、とたんに浮いてみえた。






これは浮きを書けるのにとても良い装置と直感。

フルートにも良いに違いない。ドレスの下に仕込めるし。

問題はきつく巻いてはいけないので、緩いと紐が落ちてくること。

絆創膏か何かで止めるといいんじゃないでしょうか、と先生。

他にも色々ありましたが、とりあえず、覚えていることを。

今回も楽しい時間となりました。

ご参加くださった皆様、ありがとうございました!

次回は4月28日(水)です。


過去の捨て方

2021-03-20 23:22:40 | 気付き
意味深なタイトルですみません。

フルート奏法に関しての話です。

ご遠方の方のリモートレッスンでの気付き。

かなり吹ける方なのですが、ご自身のやり方に違和感を感じるようになり、新潮社の

『身体から革命を起こす』(甲野善紀・田中聡 共著)に掲載された私の記事に感銘を受けた、とコロナ禍になる前は、新幹線に乗ってレッスンを受けにいらしていました。

一か月に1度、数か月に一度だったのが、リモートになり、より頻繁に。

もちろん、リアルレッスンが良いのはいうまでもありませんが、私の様な、身体の取り扱いからフルート演奏を研究しているやり方は、リモートならではの、面白さと効用があることを毎回発見しています。

大概の経験者はフルートを口元に持っていく時から既に、過去に培ってきたやり方で
「フルート」を吹こうとしてしまうので、中々、そこからの脱却が難しい。

実際、私自身も 40代の時、公開レッスンで大失敗し、「このままではやってけない。
これは根本的に何かが違っているんじゃないか?」と奏法を探し求めていた時、友人の紹介でチェコのフィンダ先生に出会ったことで、メウロコ。

そのレッスンは・・

頭部管だけで半年。さらにHの一音を出すだけで1年、という感じだった。

根本から変えるのだからそりゃあ大変だ。

フィンダ先生も、普段はチェコで、来日した折だけのレッスンだったので、猶更。

その上、当時はまだ甲野先生にも、植村先生にもご縁は繋がっていなかった。

今の私が当時の私と会えるものならば、こうして、こうして、こうして、ほらね、とばかりに教えてあげられるのに、と思う。

なので、生徒さんの気持ちと状況もとてもよくわかる。

「フルート、と思うから戻っちゃうんです。フルートじゃない持ち方にしてみましょうか?」

これが、今回、驚くほどはまりました。

キィの上に指を置くのではなく、捧げ持つように、それも今回の「浮き構え」とそれによる「音量自動調整装置」の二つを使う時「指先」を使う方法で。

こんな手指では、絶対フルートにならないので。

それで頭部管、そして組み立てて。

さらに右手はそのままで、左手だけキィーを押さえてGis。

本日はここまででしたが、かなりの成果が上がりました。

「‥少ない息なのに、フルートが中心から鳴っているような感じで音が出ました。こんな風に吹けるなんて!」

ととても喜んでいただけました。

私も過去、そういう風に練習すれば良かったのになあ、と「一抹の苦い想い出と共に過去を懐かしむ」・・

これは再現部の演奏におけるモイーズの言葉ですが、懐かしむだけではなく、今の自分の奏法を顧みて振り捨てるのにもちゃんと有効だ、ということにもすぐに気が付きました。

「フルート」だと思うと、まだまだ間に合わせてなんとかしていることが多いことに気付かせてくれた本日のレッスンでした。

それにしても、

「指先か否か」

「では指先とは一体何処か?」

というお題は、相当研究してもし尽くすことはないのではないか、と思います。

あとおまけの気付き。

「自動音量調整装置」は、ピアノ演奏にも有効でした。
最初は息を使う訳ではないのに、不思議で、錯覚?と半信半疑でしたが、考えてみれば、息以前に背中を中心として身体全体のテンションが変化するので、なるほど、と合点。

今更ですが、この「自動音量調整装置」こそ、まさしく私が2003年、甲野先生を追いかけよう、と思ったきっかけとなった、先生の言葉に通じているのだ、とようやく認識。

その言葉は・・

「息は身体の動きに付随するものです。」

着物

2021-03-18 01:11:34 | 着物
銀座の王子ホールなのだから、やはりお洒落していきたいよね、と、今回はもう絶対に着物と決めていました。

音楽家講座では、山葡萄の下駄と籠に合う紬、小紋、ですが、せっかくなので、畳表の草履にオーストリッチというちょっとおばさん・・じゃなかった、落ち着いたセットに合わせて訪問着に。

もうおばあさんの年なんだから、たまにはこんな感じも良い。

でも、この訪問着も紬。

多分、母が持っていた着物では、これが一番上等ではなかったかと思います。

母は4人姉妹で、みな仲良しで、よく一緒に買い物にいったり、旅行したりしていました。

「これはね、繭から糸を紡ぐところから、こつこつと手織りするまで、全部田舎のおばあさんが一人で作った白生地からあつらえたのよ。」

ということは聞いていた。

通常は紳士用の反物なのを半分こして、婦人用の着物が2着出来る、ということで、仲良く4人で2反購入し分けて、それぞれに好みの色に染め、柄なども古代友禅?で描いてもらったのだそう。

4姉妹といえば、若草物語や細雪があるけれど、4姉妹って華やかでちょっと憧れる。

母は次女。姉妹で今も元気なのは一番末っ子の叔母一人になってしまって、もうみな逝去してしまったけれど。

最初に逝ってしまったのは、3番目の叔母で、胃癌だった。

葬儀の時には、この紬を纏って旅立ちました。
一番仲良しの叔母で「ちゃま、ちゃま」とおばちゃまのちゃまということで呼んでいた。

ちゃまの紬は無地のきれいな薄紫で、とても似合っていました。

まだ私が大学生の頃のこと。

念のためにと、その時はまだ元気だった母に聞いてみた。

「ママも、あのお揃いの紬にする?」

「あれは、もったいないから、真理にあげる。私は、青海波の紫の江戸小紋でいいわ。
そんなに良いものでもないけれど、あれは、若い頃最初にパパに買ってもらった着物だから。」

ということで、2000年、母が仙骨の癌で逝った時は、実際、そのように取り計らった。

・・・

紬なのに訪問着、というのはいわば掟破りで、そういうのが好きだったのか、とちょっと意外な気もしましたが、石庭の絵柄がちょっと渋すぎる気もして、2回、結婚式に来ただけ。





その1回目は甲野先生の武術関係で親しくなった編集者と私の生徒さんとの結婚式。
その2次会の乾杯の時、なんと赤ワインをザブンと浴びてしまいました。

でも、その時参加されていた史上最強の呉服屋の若旦那が、

「大丈夫!落ちます!!」と断言してくださって、実際、翌日すぐにお預けし、見事に蘇って戻ってきて、ほっとした、というエピソードも増えました。


そして、仕上がったものを届けていただいた際に初情報も。

「そうじゃないかなあ、とずっと気になって見てたんですが、あの着物はやはり加藤改石のものなんですね。」

「それは誰?」

とここで、色々と御教えいただいたのでした。
母はおばあちゃん、といっていたと思うのだけれど、私の記憶違いでおじいちゃんだったのかしら?

二匹の蚕が作る丸くて大きな繭から作った糸なので、とても丈夫な紬。
牛首紬というのがあるのは、着物の雑誌で知っていましたが、これがそうだったとは・・とその時、初めて知りました。

・・ワインをこぼしたお陰で・・

https://www.daimon-ya.jp/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%94%B9%E7%9F%B3-%E7%89%9B%E9%A6%96%E7%B4%AC/

釘も通さないので「釘抜紬」とも言われているそうです。

確かに、大島や結城とは全く違う、いかにも紳士ものに相応しい弾力と艶のある丈夫な生地。

着物熱に浮かされていた40代の頃にはあまり似合わなかったのですが、今の年齢には丁度良い。

螺鈿の袋帯を合わせました。



袋帯を締めるのは5年ぶりくらいで、ちゃんと出来るか不安だったのですが、手が覚えていてくれて無事に完了。

帯締めと帯揚げで春の色に。