『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

マルタ旅行番外編 2 旅の衣裳計画

2025-02-04 17:10:49 | 旅行
旅行が決まると、すぐに、その時期土地の気温気候を調べて、何を着て何を持っていくかを考えるのも楽しみの一つです。
とはいっても、着るものはウクライナワンピース一択なのですが・・

昨年3月の南イタリア、シチリアは比較的気温も温かかったので、ウクライナワンピース5着・・という大荷物に。
行く先々ごとに、似合う袖の刺繍の色や模様を考えると、どうしてもこうなってしまって。・・・でも写真ではあんまり差はない。みんな生成りのウクライナワンピースだから。まあ、自己満足のためですね。
ただウクライナワンピースはしっかりとした手紬の麻生地なので、優に一着、1キログラムはある。加えてブーツ3足、ハイヒール1足、ともうこれだけでも結構な重量で、結局帰国時は重量ギリギリとなりシチリアの塩を買うのをあきらめたという苦い思い出が。

今回は冬で、汗にもならず、アウターや小物で変化もつけられるので、前回の反省もあり、選びに選んで色合わせのしやすいブルー系の2着のみにしました。一着は着ているので、トランクの中には1着だけ。ちょっと心配ではありましたが、いざとなったら現地で何かワンピースを買う理由にもなるしね、と決断。

インナーの薄手コットンタートルもグレーとロイヤルブルーの2枚だけ。
スパッツも無印の厚手コットンのものを2足。

ブーツもベージュと朱赤の一枚革のスウェードブーツ2足。
通気性が良く、歩きやすく普段も良く履いているもの。
これは去年の南イタリア、シチリアの時と同じ。
細かくパンチングされているベージュの春ブーツは裏を3回くらい張り替えて、もう10年くらい穿いている。
靴は壊れたり、濡れたりすることもあるので、必ず2足(以上)持っていく。
真夏以外はスゥエードブーツが定番。

旅行とはいっても、登山する訳ではない。普通の街並みを歩いたりするくらいなので、普段と一緒。普段から靴はもう歩きやすいものしか履いていないので、それで大丈夫。

ミュンヘンに居た頃、隣人のオーボエN君は、何処へ行くにもスーツと革靴で、スキーに行く時もそうだったので、びっくりしたけれど、私も似たようなところがある。
私はカジュアルテイストが好きでジーンズを穿くこともあるけれど、スニーカーを履いている自分は想像できない。

甲野先生はボタンが嫌いというか苦手ということもあり着物。
他者にはわからない好みの感覚というのは本当に人それぞれ。
改めて掘り下げてみるに、多分私にとってのスニーカーは先生のボタンと似たようなところがある。

・・話が逸れてしまい失礼しました。

アウターは、ユニクロのカーキのポータブルダウンジャケット。これがとても優れもの。外は寒くても屋内や電車内は暖房で暑いこともあり去年まではフルート持参の時など電車で苦労していたのですが、これは脱いでもコンパクトにまとまり、荷物の中に納まるし、何より軽いので、旅行前から重宝していました。その上、とても暖かい。そして確か5千円前後だった。コスパ最高です。

もう一つは去年の旅でも活躍した黄色のダウンベスト。
同じく念のためのマスタード色のレインコート。
アウターはこの3つ。

小物は朱赤のロングマフラーと長い指先が出る手袋。これも普段から使っているものですが、ハチミツ色のヴァレッタの街には絶対似合うはず・・と真っ先にトランクに。実際、最初の2日はお天気も悪かったので、ぴったりでした。

もう一つはターコイズブルーのストール。黄色のベストにはこっちだね、とこれもトランクに。

そして元生徒さんのYちゃんと編集者のTさん夫妻からいただいたチベタン帽。甲野先生と私のご縁の関係で出会った二人です。耳から垂れ下がる三つ編みフリンジ?が可愛い。「先生に絶対に合うと思って!」とのことでしたが、実際とても気に入って師走の買い出しの時にも、よくかぶっていました。暖かいのに、通気性が良いのは流石のモンベル。

グレーベースのジャガードなので、いただいた直後から、お揃いになるマフラーを探していたのですが、みつからないままで、旅の中であったらと思っていたけれど、初日のヴァレッタのショッピングの時、紳士もので半額になっているぴったりのグレーのロングマフラー10€を見つけ購入。


後で写真を見ても何処に行ったか判るように、それ以上に、夫々の場所に調和するようにと、毎日何かしらは変化させていました。アクセサリーは4種類のセットを夫々に合わせて2回ずつ使用。最初と最後の4日間は2日ずつ飛行機に乗りっぱなしで着替えないので、実質8日分の組み合わせ。
バッグはいつもの、山葡萄のカゴバッグ。
脱いだアウターやストールをしまうのにも便利でした。
一応用心して貴重品はポシェットに。普段と違うのはこのポシェットくらい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


写真はないけれど、13日、14日の成田、ドバイ、マルタ(セントジュリアン)は青い小花のウクライナワンピースにロイヤルブルーのタートル、ベージュのブーツ。アクアマリンのセット。カーキのダウンジャケット。
機内、車内のみなのでマフラーは無し。



15日のヴァレッタ観光では水色と茶色の幾何学模様のウクライナワンピースにグレーのタートル、ベージュブーツ。ダウンジャケットと朱赤マフラーセット。夜はオペラ劇場でのコンサートなので、カメオを付けて。






16日のハーバークルーズは昨日と同じウクライナワンピースとグレーのタートルだけれど、靴を朱赤ブーツにし、夜は教会でナポリで活躍したイタリアバロックの作曲家達のモテットだったので、アクセサリーをマルタクロスと昨年アマルフィで買ってもらった地中海珊瑚にして変化。
でもアウターも同じなので、ぱっと見はほぼ同じ。






17日は悪天候でほぼステイホームのセントジュリアン。
ワンピースは青い小花(見えないけど)で念の為に持ってきたレインコートが活躍。朱赤ブーツは靴底裏がゴムでタフなのでこの日も。
夫がしているのが、15日にヴァレッタで買ったマフラー。





18日の晴天のゴゾ島は水色茶色のウクライナワンピースに黄色のダウンベスト、ターコイズブルーのストール、そして昨日セントジュリアンのショッピングモールで買ったばかりの若干スタイリッシュなショートブーツで。偶然フェリーとお揃いのコーディネート。






19日は漁師町のマルサシュロックとハジャーイムの巨石神殿ということで、ちょっとワイルドにチベタン帽で。初日にヴァレッタで買ったグレーのマフラーと合わせる。ロングマフラーは縦線効果も。昨日と同じ水色、茶色の幾何学模様刺繍のウクライナワンピース、グレータートルに。夜、教会のコンサートとレストランに行く時はチベタン帽を脱いで、きちんと感を出して。ブーツはベージュのスウェード。沢山歩き回る時はやはり10年履きこんだこの靴。








20日のイムディーナは青小花のウクライナワンピースに青のタートル、黄色のダウンベスト、ターコイズ色のストール、ベージュのブーツ。





21日、22日の帰途は水色茶色幾何模様のウクライナワンピースに青タートル、グリーンアンバーのセット、セントジュリアンで買ったショートブーツ、カーキのダウンジャケットで。赤のマフラーはトランク上部に入れて、成田に着いてから取り出して着用。




ウクライナワンピースを2着にしたことで、若干心細かったけれど、アウターと小物で充分に変化がつき大満足。
帰宅してからのお洗濯もラクだったし、良い事づくめでした。

これまでウクライナワンピースはずっと袖の模様に拘っていて、それを引き立てることしか考えていませんでしたが、今回、その発想から離れて「生成りの麻ワンピース」として取り扱うことを覚えました。それでも、手紬手織りの質感、生地の落ち感など好みだし、裾のさりげない刺繍が見えているだけでも可愛い!と益々ウクライナワンピースが大好きになりました。



マルタ旅行番外編 1

2025-02-03 21:24:12 | 旅行
猫の島としても有名なマルタですが、意外にあまり遭遇しませんでした。
自由猫なので、やはり人間のことはまず警戒していて、隠れているのかもしれません。

そんな中出会えたニャン達、そしてワン達の写真を。

ヴァレッタ・アッパーバラッカガーデンのニャン。



2日目のヴァレッタのベンチでまったりしている時に寄ってきた雀。
餌になるものを何も持ってなくてごめん。



このしばらく後、ベンチの夫々の後ろ側に植わっているオレンジの木があり、沢山の実をつけていたのだけれど、通りがかったおそらく地元の若い二人。
男の子が女の子をフワっとリフティングして女の子が素早くオレンジを一個もぎ取って、嬉しそうに去っていきました。
本当に見事な手際で、きっとしょっちゅうやっているに違いない。
映画の1シーンみたいで素敵だった。

ゴゾ島の坂道であったニャン。

拡大


古代の大型ウニの化石が沢山へばりついていたゴゾ島の海岸であったワン。
フサフサで、日本の秋田犬も入っているそうだけれど、ロシアが故郷とのこと。人懐っこくてお利巧さんでした。





マルサシュロックの裏通りで出会った猟銃や釣具のお店の看板ニャン。





ここがおうち。

ハジャーイム神殿の出口付近で出会ったニャンたち。
餌を与えているおじさんがやってきたところに遭遇。
・・美味しそう・・


「世界猫歩き」にありそうなシーン。
逃げ出さないうちに、と焦って上部が切れてしまったのが残念。
猫の序列を守っているところか?偉いね。

こんな標識も。






イムディーナはモザイクのピピに似たニャン(ライオンかも??)

この姿勢の写真は中々撮れずないのですが、顔周りだけでも、とピピ近影・最新作を。やっぱり似てる!?


ラバトで聖アガサの地下墓地からレストランに向かう途中の住宅で見かけたワン。




その後、夕食に入ったレストラン・ボトギン・パラッツォ・シャーラの入口付近に居た初老のご夫婦と一緒に居た大きなワンとツーショット。
とても人懐っこく、鼻チューもしてくれて大歓迎。
名前はジャクシー、10歳のオスということでナイスミドル?
写真でみるよりずっと大きくてフサフサでした。




写真はないのですが、帰り際に挨拶したら、なんとジャクシーよりも一回りこぶりではありましたが、もう一匹大きな女の子のワンも居てびっくり。
二匹ともお利口さんで、ご主人ご夫妻と一緒に、このお店に良く来ているのだそうです。いいね。

2025年1月21日(火)、22日(水) マルタ・ドバイ・成田

2025-02-03 17:43:32 | 旅行
(日付は遡りますが、旅の記録最終日です。)
帰国の日となりました。
本日も素晴らしいお天気。
7時からの朝食後、荷造りの最後の仕上げと忘れ物チェックをした後、部屋からの眺めを写しました。本当に住み心地の良い部屋でしたし、毎日綺麗に整えてもらっていて快適でした。


チップは現地ガイドのHさんに相場を聞いたら、一日一人当たり1€、二人分2€とのことなので、毎日、Thank you!と書いたメモと一緒に置いておきました。ユーロコインが足りなくて、セントをかき集めてという時もあり申し訳なかったけれど、無いよりは、と。
でも、特にチップを置かなくても問題はなさそう、とのこと。


出発は11時で時間があるので、8時半からは夫々散歩に行くことに。
夫は気になっていたというお向かいにあるカジノのある高級ホテル界隈を、私はいつも暴風の中しか歩いていなかったセントジュリアンの繁華街を夫々散策しました。




時刻となりバスに乗り飛行場へ。
飲み物は写真に釣られて注文したのですが、生クリームではなく、とても甘いメレンゲで、ちょっと失敗・・・


まだまだ時間がありピアノがあったので、「空港ピアノ」をここでもやってきました。

去年ローマでも数曲弾いたけれど、マルタ空港の反響はとても熱く見知らぬ方々から、拍手、アンコールの声もいただき、フランスに帰国するという赤ちゃん連れの女性からは「あなたはピアニスト?」と話しかけられた。
私の腕が上がった、というよりもマルタ空港という小さな島の小さな飛行場ならではの親密さのお陰かと思います。

「ピアノは趣味だけど、仕事でフルート吹いたりレッスンしたりしてます。」
というと、「まあ素敵!フルートも聞きたい!持ってないの?」
「残念ながら今回は持ってない・・」

そう。ここ数回の海外旅行では安いスクールモデルを持参し、吹いてきたのですが、今回は迷ったのだけれど、フリータイムも多く多分夜にそっと吹く時間も気力もないだろう、と判断しフルート無しの旅。実際朝から夜まで外で動き回りバタンンキューの毎日でした。

イェスタディ、ムーンリバー、とお馴染みレパートリーの後はアンコールにお応えして虹の彼方に、星に願いを、と演奏。

ピアノはヤマハで弾きやすい良い響きのピアノでした。


そして、夫にサプライズ。
実は夫はTVでやっている「空港ピアノ」のファン。
夫に右側に腰かけてもらい、ソの音だけ両手の中指で弾いてもらい、それに合わせてチョップスティックスを弾いて連弾しました。
最初はゆっくりで、徐々に「速く!」とテンポを上げて、最後は「終わるよ!」と声をかけての演奏でしたが、ちゃんとついてこられて、最後も一緒にバッチリ決めることが出来ました。
周りからも沢山の拍手をいただき、夫はとても嬉しそう。
今まで一度もピアノは触ったこともなく、いきなりの正真正銘のデビューでしたが、大成功と言っても良い。

帰国してからも、親戚友人一同に動画を送って自慢していた模様。

私的には夫孝行も出来、本当に良かった!
・・・だけではなく、ゴゾ島のレース屋さんで足りなくなって借りた借金をこれで踏み倒せないものか・・という下心があったのですが、こちらはしっかりと請求されてしまいました。チェッ!_| ̄|○。
まあ、今年はお正月早々、「旅先ではもう何もいらないから」とプレゼントをゲットしていたのでしょうがない。
動画は重くて掲載出来ない模様なので残念・・

帰途の飛行機も空いていて一列3席を2人で使えたので、窓からマルタの景色をパチリ。バイバイ、マルタ!








あっという間にドバイ。
街の灯りがゴージャス!






帰途の乗り換えは飛行場内の地下鉄に乗って移動。
とはいっても、切符を買ってというのではなく、エレベーターや歩く歩道と同様に飛行場内の移動手段としてのツールだったのでちょっと安心。
自力で行く時、地下鉄移動だったらどうしよう?と案じていたのですがこちらも案内表示に従っていけば大丈夫ね、と学ぶ。



待合室の時計はロレックス。

登場案内には日本語もありました。
行きはルネッサンスだったけれど、最後は現代。

こんな感じの経路。


眠ったり食べたりしているうちに、成田上空に。



飛行場で時間を潰してバスを待ち11時頃の帰宅となりましたが、バスもガラガラ。

ピピからは、かなりクールな態度で邪見にされてしまいましたが、まあ致し方ない。チュールでご機嫌をとってようやく思い出してくれた様子となりました。

息子が自分用の夕食に土鍋で作っておいた豪華おじや(鮭と豚肉入り)が沢山残っていたので、それを食べほっとする。

「毎朝、葉っぱの裏側にも霧を吹いて」と託した胡蝶蘭も枯れることなく大きな蕾を沢山付けていて、翌日最初の花が咲きました。

家族全員(ピピも)が健康で元気だからこその旅。
そのことに感謝です。
毎回、これが人生最後の海外、と思って行っているけれど、出来ればもう一回くらい行きたいと思います。
それを目標と励みにして、仕事と健康管理共に頑張って行くのも良い健康法なのかもしれません。

2025年1月20日(月)イムディーナ・ラバト

2025-02-01 16:18:23 | 旅行
本日も良いお天気となりました。
朝食時に、すっかり打ち解け仲良くなった今回のツアーの皆様殆どがイムディーナに行くということがわかり、それなら行きのタクシーはシェアしましょう、ということになり、夫と、若手代表40代のNさんのご主人が夫々初めてタクシーアプリ・ボルトに挑戦。
使い方は、添乗員のKさんに教わり、見守っていただけたお陰で、二人とも無事成功し、5分程で、8人乗りのタクシー2台がやってきました。

もし17日が悪天候でなければ、二人だけで行っていたので、これもいわば天の采配。車中のお喋りも楽しく20分弱でイムディーナに。
バスで道中楽しみながら、というのも良いけれど、それだと1時間程かかってしまうし、座れるとは限らないので、良い選択でした。

朝9時には着いていたかも。
「オールドシティー」とも呼ばれ、16世紀にはバレッタに先立ち首都がおかれていた都です。現在では「静寂の街」とも呼ばれています。
・・とはいえ、オフシーズンでも私達も含め観光客は一杯で、中々の賑やかさ。

バロック様式の同道としたメインゲートには狛犬の様にライオンの像も控えています。そこをくぐって入場。


入場してすぐ左手に有名なイムディーナガラスの大きなショップがありもう開店していたので、夫を外に残してササっと入る。
特に何も買わなかったのですが、店主は感じ良かった。
2階の窓からの景色も素敵でした。

その後、紀元前4世紀からの起源をもつという大聖堂に。




どれも格調高く、素晴らしかったが、偶然見つけた入口付近のベンチの下にあったモザイクに釘付け。




・・・猫?・・・??
違うかもしれないが、どう見ても私には猫にしか見えない。その上、フサフサ尻尾、若干筋肉質なところろ、凛々しいお顔、とピピにそっくりでした。

向かい側にある大聖堂博物館も素晴らしかった。
デューラーの銅版画が沢山展示されていて、素晴らしかったです。
アダムとイブがかなりの筋肉質なのにも驚いた。
更には1964年にマルタ共和国の国歌となった曲の楽譜とその作曲者・作詞者に関する展示も。






http://www.kokkanowa.net/malta/

「マルタ共和国」となるまでの強国に翻弄された激動の歴史に思いを馳せた。

その後は様々な路地を歩きまわり、疲れたら階段に腰を下ろして日光浴。



11時を過ぎたところで、カフェ・フォンタネッラへ。
見晴らしの良いテラスで自家製のチョコレートケーキを食べる、というのも今回のミッションの一つ。
お昼時になると混むし、ランチを食べてからだと、とてもここの大きなケーキは食べられないと思い、変則的ではありますが、ケーキをランチ代わりにしてしっかり食べることに。

イムディーナの人気の有名店だけあって、既にテラスは沢山の人が。
でも幸運なことに一か所空いていて、そこでミッションを果たすことができました。すぐそばまで雀がやってきて、ケーキの屑をねだるように啼いている。
ケーキはオレンジフレーバーチョコレートと、レモンメレンゲの2つ。
見ての通りの大きさですが、意外にスルっとお腹に収まり、とても美味しかったです。


広々と見渡せるテラスからの景色

その後は路地を歩き回り、落ち着いた雰囲気のお土産物屋さんで、マルタストーンの小物入れ5€やタイル4€など買い、隣接している街・ラバトへ。

かつて首都であったイムディーナには貴族たちの屋敷が立ち並び活気もあったが、城壁内のイムディーナの街に死者を葬ることが禁じられていたため、ラバトには地下墳墓が多く出来、いわばラバトは死者の為の街だった。
それが今ではイムディーナの方が「静寂の街」と言われるようになり、ラバトには普通の住宅なども立ち並び、人々が暮らす活気に満ちている。
イスラム、アラブの影響も感じられる街並みは確かにロマンチックだけれど、幾分テーマパークの様な気分になったのも確かだ。
もちろん、歴史を経た本物の力は素晴らしく、くらべものにはならないのですが。
ラバトでも行きたかったレース屋さんがあり、前を通ったのだけれど、お店はお休み中。シーズンオフだったからかも。ゴゾ島で最初すごすご引き返した時に念頭にあったのは、ここラバトのレース屋さんだったのですが、ゴソ島で買うことが出来て、本当に良かった!!

地下墓地は、少し怖くもあり、迷ったのですが、まあせっかくなので、とフレスコ画が美しいという聖アガサの地下墓地に。私達が行く前に試みたという同じツアーの方達は、子供達が遠足か何かで集団でいて、とても煩く人数制限もし、とても待たなくてはいけなかったので、あきらめたとのことだった。

元々、それほど行きたかった訳ではなかったので、それならそれでよいか、と行ってみたところ、私達の他にはスペイン人らしき若い女性の二人連れのみ。
管理人兼ガイドの叔父さんも感じ良く、5分程併設している小さな資料館を見て、その後、すぐに案内していただいた。
写真撮影は禁止。湿気のある澱んだ空気にすぐにマスクをするも、フレスコ画の色彩は美しく残されていて、また当時の埋葬習慣、そして家族への想いなども偲ばれ、土地時代は違っても同じ人間なのだな、とこれまた思いを新たにする。

手前の階段から降りて行く。


入口に至る小径



もう一つ地下墓地があったのだけれど、もういいね、ということでこちらはパスして、地下で少し冷えた身体を温め、疲れた足を休ませるために、路上にある日当たりの良いベンチでまったり。30分くらいは居たかも。
今回、このベンチでまったりを沢山やれたのも楽しかった。

ベンチで見上げた空



11時に巨大とはいえケーキを食べただけだったので、早めの夕食を、と目的のレストランに。
もとは楽団が使っていたというお屋敷を改造したというもので、入口すぐの席は中々素敵。でも寒くなってきたので、奥の、バーカウンターやビリヤード台の置いてあるテーブルに席を取る。



ギャルソンは陽気で親切で、日本の何処から?というので、横浜と答えると。
「横浜タイは素晴らしい!」とのこと。
何かと思ったら横浜(ゴム)タイヤ・・・夫もかつて少しだけ関係したことのある会社だったのでびっくりで、嬉しそうだった。
そういえばマルタには日本車が沢山走っていました。
注文は・・昨日食べてとても美味しかったし、帰国したら食べられないだろうから、と今回もウサギ。
ウサギを注文すると、マルタのレストランの人は皆、とても嬉しそうになるのも楽しかった。

ここのお店の味はより郷土料理風で、デミグラスソース味でソースにはビーンズが一杯入っていて、軟骨の部分もホロホロになるまで煮込んであり、とても美味しかったです。


今回はその日のスペシャルメニューに載っていた人参のスープも頼みましたが、疲れた身体に染みわたる美味しさ。

お店を出た頃には、すっかり陽も沈んでいました。

美味しい料理ですっかり元気になり、「静寂の街」を味わうため、再びイムディーナの城門をくぐりました。

人も少なくなり、幻想的な世界はまさに「静寂の街」。








余り綺麗に写っていませんが、夜景と夜空の星も奇麗でした。
肉眼ではもっと沢山の星を見ることが出来ました。






城門を抜けたところで、夫がボルトでタクシーを呼んだら、なんと30秒くらいでやってきました。

タクシーを待っていたベンチ


道も空いていたせいか結構な速さで走ってくれたせいか、15分程でセントジュリアンのホテルに到着。

トンネルの中の様子をタクシーの中から。
日本と同じ右ハンドル。


あすはいよいよ帰国ということで、荷造りをして、就寝熟睡。





2025年1月19日(日)マルサシュロック・ハジャーイム神殿・ヴァレッタ

2025-02-01 09:55:28 | 旅行
本日も良いお天気で、またしても添乗員Kさんと現地ガイドのHさんが声を揃えて「皆さまは本当にラッキーです!!」。

まずはバスに乗り漁師町・マルサシュロックの朝市に。
やはり潮臭さはない。
プランクトンが少ないと、お魚も少ないのでは?と心配になるけれど、その辺のお話はとくになかったので、それなりに生息しているのだろう。








露店が並び活気があり沢山の人でにぎわっていました。
骨董市が大好きなので、こうした日曜市も気分が上がる。
でも、幸いなことに欲しいものは何もなく、すぐに飽きたので、夫と別行動し、路地裏探索し、出会った猫に挨拶し、住宅街など歩き周り、その後猫のエコバッグだけ買って、早めに集合場所に。

既に現地ガイドのHさんも来ていたので、チャンスとばかりに、マルサシュロックでのお勧めレストランを2つ、RISKA(リスカ)とCARRUBIA(カルビア)聞き出す。

その後バスに乗りハジャーイム神殿へ。途中に見えて来る畑の区切りにもこの土地の白っぽい石が積み上げられ使われている。


東京23区の半分という小さなマルタ共和国だけれど、行く先々の土地の個性は全く違っていて、本当に面白く楽しめる。

海の見える丘に立つ巨石神殿・ハジャーイム神殿に。
保護のために大きなテントに覆われています。

気温もどんどん上がってきて、上着を着ていると暑いくらいに。


黄色い大きなカタバミは3月のシチリアでも沢山咲いていましたが、ここももう春の様子でした。


本当はここからセントジュリアンのホテルに戻ってツアー解散というプランだったのですが、参加者各位から「せっかくなのでマルサシュロックでランチしたい!」という声が多く上がったので(もちろん私達も)、特別にまたマルサシュロックに戻ってくれることになり、そこで解散。

丁度お昼時で、お店は何処も満員。
教えていただいたお店のより庶民的で地元の人にも人気というお店(2つのうちのどちらだったか名前は失念)を見つけ、ウェイターに席があるかどうか聞いていたら、同行の大阪から参加された仲良しマダム二人連れが来たので、せっかくなら、と同席することに。
私達よりも少し年長の御二人は何処へ行くのもタブレット片手に色んなことにチャレンジされていて、皆から感嘆されていた方々。
その御二人と色々お話出来たのも楽しかった。世界中色々と行かれているご様子だったけれど、「まあ、ボチボチな」・・ボチボチは沢山という意味だね、きっと。
タコのサラダとマルゲリータピザを頼んだのだけれど、みな量が多く、4人でシェアしてもお腹いっぱいに。足りなかったらまた何か、と思っていたのですが、充分満足のランチとなりました。
私はそれほど好きではないので日頃からあまり食べないのだけれど、タコが日本のものとは全く違ってとても柔らかく、美味しいとのことで、みな大喜びでした。



ピザもチーズたっぷりで最高!
直径50㎝くらいあったような印象。



昼食後は御二人とお別れし、ベンチに腰掛けアイスを食べながら海を見ながらまったり。
逆行で暗くなってしまいましたが、これはお隣さん。
こんな感じでしばらく日光浴していました。



その後は自力でバスに乗り3回目の、そして最後となるヴァレッタへ。
もうヴァレッタが我が町となっている感じが嬉しい。
まだ歩いていない小さな路地などを歩きまわる。




そしてロウア―バラッカガーデンで対岸のスリーシティーズを眺めつつ一休み。


そして17:30にコンサート会場であるセントポール大聖堂へ。
続々と人が集まってきています。




パレストリーナ(1525~1594)のミサ・パパエ・マルチェッリとグレゴリオ聖歌を交互に、というこれも斬新的な試みでしたが、とても良かった。
夫々の曲ごとに、立ち位置の配置を替え、それによって、響きの変化があり、素晴らしいものでした。
演奏はマルタ国立合唱団で、日本人の若い男性も参加されていた。
マルタで好きな音楽三昧で暮らしていけるなんて、羨ましい!。

終演後はすっかり暗くなりました。


大満足で夜の街に。
お腹もすいたので、目をつけておいたマルタ料理のお店に。
路上に大きなビニールテントを張って、中でストーブを焚いてイルロマンチックなお店。


目的はウサギ。マルタの伝統料理でもあります。
ウサギはミュンヘンに居る頃はお世話になったご家庭のランチの定番で、古くなったパンとウサギ肉でつくったクヌーデル(肉団子)のスープをよく食べていて、大好きな味でした。でも、帰国後はもちろんないし、ウサギ肉だけを食べたことはなかったので今回とても楽しみにしていました。

ここは今まで行ったお店の中では一番高級(とはいっても庶民派の中で)でしたが、味も素晴らしかった。

美味しいだけでなく、ウサギを食べると、体調がより整って元気になる気がしました。
合っているのかも。鳥の胸肉が良いとよく聞くけれど、それに似たよりパワフルな成分があるのかも??
夫も「美味しいね!」ととても気に入っていました。

今回は洗練のグレービーソース味。下にはクリーミーで濃厚なマッシュポテトが敷いてあり、フレッシュミントが添えられていました。付け合わせの野菜のグリルも、パンもワインもみな美味しかったです。
量もとても多いので、ここでも一皿を2人でシェアで丁度良かったです。






でも隣に座っていた北欧系のシニアカップルは、どう見ても私達よりも年上でしたが、夫々がまず大きなサラダボウルくらいの器に入ったムール貝のスープを食べ、その後、ご主人は私達と同じウサギを一人で食べ、奥さんは大きなステーキを一人で・・・
そりゃあ、冬でも泳げるよなあ・・という感じのタフさで、違いを実感。


夜のヴァレッタももうこれで見納め。


日曜日は観光地であっても、お休みしているお店が多かったのは、他のカトリックの国と同様。
でも、夜は様々なカフェの軒先でミュージシャンが楽器や歌で音楽を奏で、道行く人にもお裾分け。
大音量でロックがかかっている店もあったけれど、特に周辺からの文句はない模様。

もうすっかり乗りなれたバスでホテルに戻り熟睡しました。