白川真理 フルートコンサート
ゲスト:宇高靖人(ギター)
2022年3月26日(土)19時開演(18時30分開場)
鶴見区民文化センターサルビアホール3階音楽ホール
http://www.salvia-hall.jp/about/#access
全席自由・完全予約制 3000円
(フルートソロ)
・ファンタジー第1番 イ長調
(『無伴奏フルートの為の12のファンタジー』より) G.P.テレマン
・パッサカリア(『ロザリオのソナタ』より) H.ビーバー
・無伴奏フルートソナタ イ短調 C.P.E.バッハ
・組曲第4番変ホ長調BWV1010(『無伴奏チェロ組曲』より) J.S.バッハ
・・・・・・・休憩15分・・・・・・
・カプリチオ第1番ハ短調
(『無伴奏チェロの為の11のカプリチオ』より) J.ダッラーバコ
・カプリチオ第3番変ホ長調
(フルート&ギター)
・ウクライナの風(初演) 白川真理
・浮雲 ギターソロ作曲:宇高靖人
・水月
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回は基本無伴奏ばかりだし、ギターは名手の宇高さん、そして馴染みのある会場、ということで、フルートソロのリハの時間は特に取らず、デュオの3曲とアンコールのシチリアーノだけ、合わせて、立ち位置決めをして控室に。
午前中に一通り練習した後は、リハがないので、その分、昼食後も家でゆっくりして、ヘッドマッサージとハンドマッサージ機を同時に付けて、寛ぐことができました。
共演の人数が多い場合は、こういう事も出来ないだろうけれど、今回は、これで。
出番までの30分、何をしたかというと、ひたすら舞台袖からステージ中央まで楽器とドレスの裾を持って歩く練習。さらにお辞儀をして、テレマンの冒頭を。
やはり、これだけだと、質的変換はなく、ここで「連続的影観法」の練習、つまり頭からの命令に逆らって出鱈目を吹く、というのをやると、やはりガラっと質的変化が起こる、というのをやっていました。
宇高さんもびっくりされていた。
それをギリギリまで繰り返し、本番。
2年3か月ぶりの本番。会場にはこの嵐のようなお天気の中、いらしてくださった40名程のお客様。
おまけに、最初のテレマンのフレーズは、今日のプログラムの中では一番テクニカルで難しい、ときている。まあ、敢えてそうしたのは自分とはいえ、一種賭けでもあった。
舞台袖で開演5分前のベルが鳴った時は、胸の奥の方でドキドキとするのが感じられたのだけれど、不思議なことに、それは以前の様に表面ではなく、かなり奥。
ドキドキしていない訳ではないのに、水面下でそれが起きている、という感じ。
なので、呼吸や身体への悪影響は全くなかった。
つまり当事者感がない。こんなことは生まれて初めてで驚きました。
そして、ステージへ。
下駄に載せた足と下腹部を繋げ、数日前に気付いたコモドドラゴンの前脚で、腕、手指も下腹部に、そして足指にと繋げ、それを壊さないように(これが大事だった!)左手で楽器を持ち、右手でドレスの裾をつまみあるきやすいように持ち上げる。
そして、ここで「間の呼吸」。
(これは陽紀先生からお教えいただいたもので、一言で済んでしまう教えなので、書けなくてすみません。気になる方は、どうぞ先生の個別指導へ!)
これが、緊張してはやる気持ちを鎮めるのに、とても役に立った。
感謝の気持ちでお辞儀しつつも、ここで繋がりを壊さぬよう細心の注意を払う。
そして演奏。
懸案のテレマン冒頭は、満点とはいかなかったけれど、それでも、大きな破綻もなく、良いスタートを切ることができました。
跡はこの流れに乗るだけ。
細かいいくつかのミスは数か所あったものの、ほぼ、思い通りに気持ちよくステージで過せた本番でした。
その上、途中で、客席で聴いている自分が居る様な気さえした。
そのように思い込みたかっただけかもしれませんが、こんなことは私にとっては初めて。
自分はアシスタントに徹して、別の主役を呼び込みやってもらう・・
アシスタントは細心の心配りで、その場を整えるだけ・・
と仰る甲野先生。
今回、自分ではない「何か」、「Something great」にやってもらうというところまでは行っていなかったとは思う。
でも「自分を飛ばす」そして、「我ならざる我を発動させる」
という感覚にはかなりにじり寄れたのではないか、と思う。
この会場ならではの響きを聴けるのが嬉しかった。
演奏しつつも「へえ、そうやるんだ??ロットってこんな風に聴こえるんだ?」という感じで、客席で聴いている自分も居て、その演奏に耳を傾けている、という感覚というのは、ただただ不思議なものだった。
何もかもが初めてのコンサート。
こんなに寛いでステージに立ったのは、生まれて初めてだ。
だって、当事者じゃないのだから。
後半の宇高さんとのアンサンブルも、お互い、本番だからこそ生まれるより細やかな表現、熱いセッション。
温かな客席の雰囲気に助けられ、しみじみとした良い時間を過ごすことができました。
今回のコロナ禍の自粛期間を経たことで、お題目ではなく、お客様との共同作業での演奏であることを改めて認識。
大きく変化したことは、ずっと聴いてくださっている方々にも顕著にわかったそうで、その反響が嬉しかった。
初めて聴いてくださった方からも、心に染みた、という声もあり、まあ、面と向かって批判する方もいないにしても、やはり、心の底から喜んでくださっているのがわかり、嬉しい。
とはいえ、録音を聞き返してみると、師・植村泰一先生の「魂に染みる音」には程遠い。
まだまだ浅い。
今は、まだ「我ならざる我」、つまり「我」の範疇だから、それほど大物の主役ではない、ということなのだろう。
「我ならざる我」から「我ならざるSomething great」に、というのが次の目標。
裏方は・・中止になったら、お願いした方に悪いから、と今回受付は夫、ステマネは息子。
時系列に業務内容を記した紙を渡して、何度かレクチャーはしたものの大丈夫か?と案じていたのですが、二人とも奮闘してくれて、大きな問題もなく勤めてくれました。
まあ、二人とも会社勤めの社会人(夫はリタイアしたばかりですが)。
私よりもずっと様々な事は心得ていて気も利くのね、ということを、これまた生まれて初めて知ったのでした。
・・しばらく、ごはんを少しだけ贅沢にして恩返しせねば・・
お越しくださった皆様、そして宇高さん、本当にありがとうございました!
ゲスト:宇高靖人(ギター)
2022年3月26日(土)19時開演(18時30分開場)
鶴見区民文化センターサルビアホール3階音楽ホール
http://www.salvia-hall.jp/about/#access
全席自由・完全予約制 3000円
(フルートソロ)
・ファンタジー第1番 イ長調
(『無伴奏フルートの為の12のファンタジー』より) G.P.テレマン
・パッサカリア(『ロザリオのソナタ』より) H.ビーバー
・無伴奏フルートソナタ イ短調 C.P.E.バッハ
・組曲第4番変ホ長調BWV1010(『無伴奏チェロ組曲』より) J.S.バッハ
・・・・・・・休憩15分・・・・・・
・カプリチオ第1番ハ短調
(『無伴奏チェロの為の11のカプリチオ』より) J.ダッラーバコ
・カプリチオ第3番変ホ長調
(フルート&ギター)
・ウクライナの風(初演) 白川真理
・浮雲 ギターソロ作曲:宇高靖人
・水月
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回は基本無伴奏ばかりだし、ギターは名手の宇高さん、そして馴染みのある会場、ということで、フルートソロのリハの時間は特に取らず、デュオの3曲とアンコールのシチリアーノだけ、合わせて、立ち位置決めをして控室に。
午前中に一通り練習した後は、リハがないので、その分、昼食後も家でゆっくりして、ヘッドマッサージとハンドマッサージ機を同時に付けて、寛ぐことができました。
共演の人数が多い場合は、こういう事も出来ないだろうけれど、今回は、これで。
出番までの30分、何をしたかというと、ひたすら舞台袖からステージ中央まで楽器とドレスの裾を持って歩く練習。さらにお辞儀をして、テレマンの冒頭を。
やはり、これだけだと、質的変換はなく、ここで「連続的影観法」の練習、つまり頭からの命令に逆らって出鱈目を吹く、というのをやると、やはりガラっと質的変化が起こる、というのをやっていました。
宇高さんもびっくりされていた。
それをギリギリまで繰り返し、本番。
2年3か月ぶりの本番。会場にはこの嵐のようなお天気の中、いらしてくださった40名程のお客様。
おまけに、最初のテレマンのフレーズは、今日のプログラムの中では一番テクニカルで難しい、ときている。まあ、敢えてそうしたのは自分とはいえ、一種賭けでもあった。
舞台袖で開演5分前のベルが鳴った時は、胸の奥の方でドキドキとするのが感じられたのだけれど、不思議なことに、それは以前の様に表面ではなく、かなり奥。
ドキドキしていない訳ではないのに、水面下でそれが起きている、という感じ。
なので、呼吸や身体への悪影響は全くなかった。
つまり当事者感がない。こんなことは生まれて初めてで驚きました。
そして、ステージへ。
下駄に載せた足と下腹部を繋げ、数日前に気付いたコモドドラゴンの前脚で、腕、手指も下腹部に、そして足指にと繋げ、それを壊さないように(これが大事だった!)左手で楽器を持ち、右手でドレスの裾をつまみあるきやすいように持ち上げる。
そして、ここで「間の呼吸」。
(これは陽紀先生からお教えいただいたもので、一言で済んでしまう教えなので、書けなくてすみません。気になる方は、どうぞ先生の個別指導へ!)
これが、緊張してはやる気持ちを鎮めるのに、とても役に立った。
感謝の気持ちでお辞儀しつつも、ここで繋がりを壊さぬよう細心の注意を払う。
そして演奏。
懸案のテレマン冒頭は、満点とはいかなかったけれど、それでも、大きな破綻もなく、良いスタートを切ることができました。
跡はこの流れに乗るだけ。
細かいいくつかのミスは数か所あったものの、ほぼ、思い通りに気持ちよくステージで過せた本番でした。
その上、途中で、客席で聴いている自分が居る様な気さえした。
そのように思い込みたかっただけかもしれませんが、こんなことは私にとっては初めて。
自分はアシスタントに徹して、別の主役を呼び込みやってもらう・・
アシスタントは細心の心配りで、その場を整えるだけ・・
と仰る甲野先生。
今回、自分ではない「何か」、「Something great」にやってもらうというところまでは行っていなかったとは思う。
でも「自分を飛ばす」そして、「我ならざる我を発動させる」
という感覚にはかなりにじり寄れたのではないか、と思う。
この会場ならではの響きを聴けるのが嬉しかった。
演奏しつつも「へえ、そうやるんだ??ロットってこんな風に聴こえるんだ?」という感じで、客席で聴いている自分も居て、その演奏に耳を傾けている、という感覚というのは、ただただ不思議なものだった。
何もかもが初めてのコンサート。
こんなに寛いでステージに立ったのは、生まれて初めてだ。
だって、当事者じゃないのだから。
後半の宇高さんとのアンサンブルも、お互い、本番だからこそ生まれるより細やかな表現、熱いセッション。
温かな客席の雰囲気に助けられ、しみじみとした良い時間を過ごすことができました。
今回のコロナ禍の自粛期間を経たことで、お題目ではなく、お客様との共同作業での演奏であることを改めて認識。
大きく変化したことは、ずっと聴いてくださっている方々にも顕著にわかったそうで、その反響が嬉しかった。
初めて聴いてくださった方からも、心に染みた、という声もあり、まあ、面と向かって批判する方もいないにしても、やはり、心の底から喜んでくださっているのがわかり、嬉しい。
とはいえ、録音を聞き返してみると、師・植村泰一先生の「魂に染みる音」には程遠い。
まだまだ浅い。
今は、まだ「我ならざる我」、つまり「我」の範疇だから、それほど大物の主役ではない、ということなのだろう。
「我ならざる我」から「我ならざるSomething great」に、というのが次の目標。
裏方は・・中止になったら、お願いした方に悪いから、と今回受付は夫、ステマネは息子。
時系列に業務内容を記した紙を渡して、何度かレクチャーはしたものの大丈夫か?と案じていたのですが、二人とも奮闘してくれて、大きな問題もなく勤めてくれました。
まあ、二人とも会社勤めの社会人(夫はリタイアしたばかりですが)。
私よりもずっと様々な事は心得ていて気も利くのね、ということを、これまた生まれて初めて知ったのでした。
・・しばらく、ごはんを少しだけ贅沢にして恩返しせねば・・
お越しくださった皆様、そして宇高さん、本当にありがとうございました!