今回も時短開催となりましたが、熱心な参加者の皆様のお陰もあり、充実のひと時となりました。
甲野先生の動きはさらに気配のない不思議なものになっていて、沢山の?が飛ぶ。
「人間は、とても優れた感覚を持っているから、『アッ!?』というほんの一瞬の時間でも、何か違和感を感じると危険と判断して、身をよけてしまうんですよ。その時に立っているための釣り合いが崩れ、倒れないようにするために、それを立て直すことに専念してしまう。どんな深刻な悩みを抱えている人でも、転びそうになると誰でも咄嗟にそれを立て直そうとするものなのです。」
納刀での動きの解説をしてくださり、
「身体の全てが留まることなく動き続けている訳です。」
「そうした動きに通常、人は出会ったことがないから、触れた瞬間に、危ない!?、と判断してそれ以上の被害を被らないように、動いてしまうのです。」
・・結果、崩される、というか、最早「勝手に崩れる」という状況・・
初参加のKさんを相手に
「私がこうして、やってやろうとしたときの動きは、感知できるし、予想できるので、みな、止めることができますね。」
と実演。
「でも、・・お名前は?ああ、Kさんですね。kさんの分身、つまり顔を半分ずらしたくらいのところにいるもう一人のKダッシュさんを崩しにいけば・・」
その時の動きが、納刀。
足元から崩されるKさん。
摩訶不思議な世界でした。
「マラドーナが伝説的なゴールを決めた時に、何人もが止めに来たのに、みな総崩れだった、というのは、おそらくボールを蹴って走っている彼の動きが、こうした全てが留まらない動きになっていたので、みな、触れた瞬間に、勝手にバランスを崩して倒れたのではないかな、と思いますよ。その時にマラドーナは決して無理に相手を払ったりしているようには見えなかったそうですから。」
という逸話も。
「音楽でも、この少しだけずらす、というのは大事なことですね。人は気持ちよく予想が裏切られると魅入られるのではないでしょうか。もちろん、そのズレ方が酷過ぎると、それは興ざめとなる訳ですが・・」
後半は、初参加の大学生Aさん。
「心と体への移動の影響について」
こんなこと考えてみたこともなかったので、とても面白かったです。
野球の修行?でアメリカに行く飛行機の中で、急に自分の何もかもが組み変わって、別人のようになってしまった感覚を味わったのだそう。
そして、その後のアメリカでの成果は、かつてない程の目覚覚ましいものがあった、と。
「デジタル化の現代、生身の人間に残された唯一の抵抗手段は実際に移動する、ということです。」(意訳ですみません)
という甲野先生の盟友、精神科医の名越康文先生の言葉を引いての質問。
甲野先生も、2006年、ヨーロッパのダンサーの講習会に招かれた日々を思い出されておいでで、やはり同様の感覚があった、とのこと。
「自分自身が走っている訳でなく、ただ座っているように見えても、実際、乗り物に乗っての移動というのも、相当、大きな影響を及ぼしていると思いますよ。ただ、それに気付く人の方が少ないのですが・・」
気付かなかった私には、とても新鮮なやり取りでした。
その後、アメリカで成果が上がったというのも、「移動」による意識と身体の変容が進み、それを的確にキャッチされたこそではないか?とも感じました。
先生のよく仰る「我ならざる我」にも通じる。
トライアスロンの方には走る時に、微妙に手指を動かすといい、とご助言。
やってみると、本当に腕が軽くなる。
・・フルートも、いつも指は動かしているようだけれど、そういう生の動きではない。
動かしているつもりでも意外に止まっている瞬間も多いことに気付かされました。
「身体全体が留まることなく常に動き続ける」
というのは、かなり至難の技だ。
ピアニストからは左手オクターブの連打。
日本人女性や子供の小さな手にとっては、オクターブというのは大変だと思う。
それを連打なんて、身体に悪すぎる、と他人事ながら思います。
エマニエル・バッハも、「そういうのは、手を痛めるのでやめて、場合によっては弾かない」と書いているくらいだ。
しばし、その様子を眺めた先生は・・
肘周辺のとある箇所を意識するようにとご助言。
それだけでも、ピアノの響きが変化し、連打の音が引き立ってきた。
さらに、その箇所に紐を巻いたところ・・
「不思議なくらい、動くんですけど・・」とピアニストのOさん。
粒立ちもはっきりし、クリアな連打が心地よい。
私がすぐに思いついたのは、薬指からのばすやり方と、「火焔」の手の内で左半身を繋げて、というもので、それも使えるだろうけれど、ずっと、この肘の使い方の方が洗練されている。
「浮き構え」にも通じている腰からの連動も作用しているのだろう・・
最後は、親指を使った回転で、みんなで楽しく実践しているうちに、時間となりました。
出待ちをしてくださった皆様とも色々な会話。
「田植え」をされているギタリストIさんからは田圃から足を引き抜く時のコツ。
ゴム長でやっているのだそうですが、それを裸足にして、足指を開いて踏むようにして、抜く時にはすぼめて、と即答。
・・なんで、そんなこともご存じなのでしょう・・?
少しやってみたくなりました。
子供の頃は、よく水たまりに裸足で入って叱られていたことを突然思い出す。
また五十肩には、脳梗塞になるのを予防しているという効果もあるのだそう。
なので、上手く通過させるのが良い、とのこと。
痛みがあるのは困るけれど、身体とは本当に不思議なものだなあ、と驚きました。
そういえば、20年程前だったか、夫が急に五十肩なって大騒ぎ。
漢方薬など、色々試しましたが、全く効果なし。
気休めに病院から出されたビタミン剤など飲んでいたかも。
それが、ある日突然フっと症状がなくなった。
元々、脳梗塞の多い家系だそうなので、そうした関係もあったのかも。
あの時なっておいて良かったのね、と今頃ほっとしました。
・・・・
写真は、オクターブの連打が凄くラクになる紐。
甲野先生の動きはさらに気配のない不思議なものになっていて、沢山の?が飛ぶ。
「人間は、とても優れた感覚を持っているから、『アッ!?』というほんの一瞬の時間でも、何か違和感を感じると危険と判断して、身をよけてしまうんですよ。その時に立っているための釣り合いが崩れ、倒れないようにするために、それを立て直すことに専念してしまう。どんな深刻な悩みを抱えている人でも、転びそうになると誰でも咄嗟にそれを立て直そうとするものなのです。」
納刀での動きの解説をしてくださり、
「身体の全てが留まることなく動き続けている訳です。」
「そうした動きに通常、人は出会ったことがないから、触れた瞬間に、危ない!?、と判断してそれ以上の被害を被らないように、動いてしまうのです。」
・・結果、崩される、というか、最早「勝手に崩れる」という状況・・
初参加のKさんを相手に
「私がこうして、やってやろうとしたときの動きは、感知できるし、予想できるので、みな、止めることができますね。」
と実演。
「でも、・・お名前は?ああ、Kさんですね。kさんの分身、つまり顔を半分ずらしたくらいのところにいるもう一人のKダッシュさんを崩しにいけば・・」
その時の動きが、納刀。
足元から崩されるKさん。
摩訶不思議な世界でした。
「マラドーナが伝説的なゴールを決めた時に、何人もが止めに来たのに、みな総崩れだった、というのは、おそらくボールを蹴って走っている彼の動きが、こうした全てが留まらない動きになっていたので、みな、触れた瞬間に、勝手にバランスを崩して倒れたのではないかな、と思いますよ。その時にマラドーナは決して無理に相手を払ったりしているようには見えなかったそうですから。」
という逸話も。
「音楽でも、この少しだけずらす、というのは大事なことですね。人は気持ちよく予想が裏切られると魅入られるのではないでしょうか。もちろん、そのズレ方が酷過ぎると、それは興ざめとなる訳ですが・・」
後半は、初参加の大学生Aさん。
「心と体への移動の影響について」
こんなこと考えてみたこともなかったので、とても面白かったです。
野球の修行?でアメリカに行く飛行機の中で、急に自分の何もかもが組み変わって、別人のようになってしまった感覚を味わったのだそう。
そして、その後のアメリカでの成果は、かつてない程の目覚覚ましいものがあった、と。
「デジタル化の現代、生身の人間に残された唯一の抵抗手段は実際に移動する、ということです。」(意訳ですみません)
という甲野先生の盟友、精神科医の名越康文先生の言葉を引いての質問。
甲野先生も、2006年、ヨーロッパのダンサーの講習会に招かれた日々を思い出されておいでで、やはり同様の感覚があった、とのこと。
「自分自身が走っている訳でなく、ただ座っているように見えても、実際、乗り物に乗っての移動というのも、相当、大きな影響を及ぼしていると思いますよ。ただ、それに気付く人の方が少ないのですが・・」
気付かなかった私には、とても新鮮なやり取りでした。
その後、アメリカで成果が上がったというのも、「移動」による意識と身体の変容が進み、それを的確にキャッチされたこそではないか?とも感じました。
先生のよく仰る「我ならざる我」にも通じる。
トライアスロンの方には走る時に、微妙に手指を動かすといい、とご助言。
やってみると、本当に腕が軽くなる。
・・フルートも、いつも指は動かしているようだけれど、そういう生の動きではない。
動かしているつもりでも意外に止まっている瞬間も多いことに気付かされました。
「身体全体が留まることなく常に動き続ける」
というのは、かなり至難の技だ。
ピアニストからは左手オクターブの連打。
日本人女性や子供の小さな手にとっては、オクターブというのは大変だと思う。
それを連打なんて、身体に悪すぎる、と他人事ながら思います。
エマニエル・バッハも、「そういうのは、手を痛めるのでやめて、場合によっては弾かない」と書いているくらいだ。
しばし、その様子を眺めた先生は・・
肘周辺のとある箇所を意識するようにとご助言。
それだけでも、ピアノの響きが変化し、連打の音が引き立ってきた。
さらに、その箇所に紐を巻いたところ・・
「不思議なくらい、動くんですけど・・」とピアニストのOさん。
粒立ちもはっきりし、クリアな連打が心地よい。
私がすぐに思いついたのは、薬指からのばすやり方と、「火焔」の手の内で左半身を繋げて、というもので、それも使えるだろうけれど、ずっと、この肘の使い方の方が洗練されている。
「浮き構え」にも通じている腰からの連動も作用しているのだろう・・
最後は、親指を使った回転で、みんなで楽しく実践しているうちに、時間となりました。
出待ちをしてくださった皆様とも色々な会話。
「田植え」をされているギタリストIさんからは田圃から足を引き抜く時のコツ。
ゴム長でやっているのだそうですが、それを裸足にして、足指を開いて踏むようにして、抜く時にはすぼめて、と即答。
・・なんで、そんなこともご存じなのでしょう・・?
少しやってみたくなりました。
子供の頃は、よく水たまりに裸足で入って叱られていたことを突然思い出す。
また五十肩には、脳梗塞になるのを予防しているという効果もあるのだそう。
なので、上手く通過させるのが良い、とのこと。
痛みがあるのは困るけれど、身体とは本当に不思議なものだなあ、と驚きました。
そういえば、20年程前だったか、夫が急に五十肩なって大騒ぎ。
漢方薬など、色々試しましたが、全く効果なし。
気休めに病院から出されたビタミン剤など飲んでいたかも。
それが、ある日突然フっと症状がなくなった。
元々、脳梗塞の多い家系だそうなので、そうした関係もあったのかも。
あの時なっておいて良かったのね、と今頃ほっとしました。
・・・・
写真は、オクターブの連打が凄くラクになる紐。
先生の抜刀の姿はあまりに美しく、魅入ってしまい、写真のことを失念。すみません。
次回は同会場(鶴見区民文化C.サルビアH.3階音楽ホール)にて7月20日(火)です。・・今度こそ、通常開催できると良いのですが。
どうぞお越しくださいませ!