『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

第117回音楽家講座in鶴見 ~甲野善紀先生を迎えて~ 5月9日(火)

2022-05-12 02:30:24 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
昨日の暑さから一転、肌寒い荒れ模様のお天気となりましたが、こういうお天気の方が、この音楽家講座にはしっくりくるような気もします。

今回は、前回からあまり間隔が空いていなかったこと、連休明けだったことなどもあり、お申し込みが少なかった。

想定はしていたけれど、流石に心配に。

でも、間際になるとお申し込みも増え、一安心。
今回は、私も個別指導を受けることができました。

・・・・・・

(お話)
自分の表の意識を消し飛ばしてやると同時に、完全に飛ばすのではなく、表の意識がありながら弱くなる。

『剣の精神誌』は自分にとっての代表作だが、「無住心剣術」のことを鈴木大拙が注目していた。

江戸時代に生まれ、数代しか続かず、絶えてしまった。

幕末に白井亨はこの「無住心剣術」に深く憧れていた。

「赤子の所作と心に学べ」は老子の教えだが、(このように)余計なことを考えない。

5月2日に田島さん(空気投げ研究者)がこの感覚に触発され突然強くなった。

腹にどっしりとしたものがあって、全てに無理がなく、下腹と手が繋がって、ただ自然にやっているだけ。

こんなことも起きるのだ、と興味深く思い、それでは「弱い自分のままいってみよう」と
疑いを知らない子供が、ただ無邪気に行くような感じでやると田島さんが崩れる。

「(天下)水より柔弱なるは莫し。」(老子)

防がれる感じが何もなくなる。

多くの技・・・自分で自分をどう意識しているか、無意識の色々な働きもあるし、自分の中でどういうことが起きているか?

手の上げ下げ、紐のかけ方も左右で(その効果が)違う。

手順・・ある形の中で影響している。

無意識の内に身体が持っている働きを、どういう風に技の中にいかすかが大事。

手の右と左の違い。(利き手というのではなく、人間に元々備わっている違い)

どの手順でやるのか?

親指がどこにあるのか?でも大きく違う。

左右の手の重なり方でも違う。

スランプの時は途中の手順を点検してみるのがよい。

(現代のものはそうではないが)古い柔術では、左右の働きが違うというのは普通に認識されていた。

違う世界が見えてくる。

「かいな先」を使う。(上腕骨内側上顆)
ぶつけるとジーンとするところ。
これをリーダーにして使うと身体のアソビの取れ方が全く違う。

もう片方の腕を手の甲で寄せる。
(掌で寄せるとただ身体が傾くだけとなる)

スポーツの「勝ちに行く」とは違う。
こうした出来を占う気持ちは迷い。
出来る出来ないが気にならないで、「ただやる」

鷹取の手の内で、怖さがなくなる。

「誰にも100%効く薬」というのは麻酔と毒薬くらいで、普通の薬は人によって効果も反応も差があるが、(こうした手の内による)身体の状況は誰にも100%効く。

身体のことというのは、判っては来ても(むしろ)謎は深まるばかり。

今くらいの知識で30年、40年前に戻れたら・・・

人間の身体の不思議さは、微妙な意識も一緒に働いているので、「客観的・科学的」にというのが、そもそも無理。

心理状態がどう結びつくか。

人が人として自分を自覚して。

「自分が気持ちよく機嫌よく」を絶えず求めている。

科学の網にかからないことを求めている。

・・・・

(個別指導)
1.日常生活での靴の選び方について

靴に関してはサポートするタイプが良いというのと、そうではない方が良い、という2つの意見があるけれど、どちらも良くない。裸足が一番。

(裸足で歩くことにより、)地面と争わなくなった足裏は犬猫の肉球のように柔らかくなる。

外で裸足が難しいのであれば、家の中に「みちのく山道」など各所に置いて、その上を裸足で歩くようにする。

そうした環境の中に居ることで身体が変わる。

足を覆うのも良くない。
マンサンダル、下駄、草履などが良い。
でもやはり裸足がベスト。

地下足袋の底を抜いて、という手も。(職質を避けるため)

一本歯の下駄で歩くと、バランスが整い、荷物が軽くなる。

蓬莱下駄もよい。

その状況に自分を置いて対応する。

木刀で返し(燕返し)をやって、

「返すかもしれない」というくらいのぼんやりとした感覚でやっている。
踏ん張っていない。自分で認識していない。

ユジャ・ワンもおそらくそうだと思うが、自分がやっている感じがなく、何かに委ねている感じ。

何かに自分がそこに居る、やっている自分を認識しているけれど「普通」ではない。
「出来ないかもしれない」という自分を自覚せずに。

「プラス思考」ではない。これは無理に思っているところがあるから。

そのあたりの自分の中の迷いのなさをどう引き出していくか。

自分の口を貸して他の何かに言ってもらう。

そこに居る自分をまた認識する。

委ねるものが進化させることになる。

そのレベルをどうやって上げていくかを検討中。

「正しい」「良い」はあり得ない。

「基本の大切さ」はそう簡単にわかるものではない。

バリの影絵・・・才能のある無しが判るのに20年かかる。

自分の中でネイティブな言語のように会得していく。

その段取りをどうやって試行錯誤することが上達する上で大切。

心理的なことは目に見えることとは違う。

「力み」は部分的。

溝に落ちた車を持ち上げようとしたとき、圧倒的などうしようもなさで、
新品の鼻緒が切れた。

耐える間もなく身体が脅威を感じる。

人間は圧倒的な重さの差を(触れる前、触れた瞬間)感じることが出来る。
「とてもムリ!」と。


この辺から子供になっていく・・(と体術)

セドリック効果

想えばそうなる。(他者をまきこむ思念)

そのへんの紙きれを「切符」と信じて車掌に見せて無賃乗車というユダヤ系ポーランド人の話。

自分の身体と対話できるようになる。

手ごたえを感じられる人生は生きるに値する人生。

絶えず研究し、様々なことに出会った時、どう対応していくか。

生きていくこと・・意味があると思える。

様々なことを工夫することに手ごたえと喜びを感じる。

自分にとって心地よく納得いくように。

しょっている業もあるので、簡単ではないが。

21歳の時に気付いた「人間の運命は決まっていると同時に自由」



2.慢性の肩の痛み
   払い太刀

3.裏の意識を発動させるには?(ダンサー)
 
両指を前方でまわしてから向かい合わせる稽古法。

グーパー

どちらでもなく、なんとなく全体を把握する。

自分を全部捨てる。

3通りの技
・構造的に強くする
・何かにやってもらう
・幼児になりきる

自分がどの位置にいてどういう風にしていくか。
「助手」のレベルを上げるというのも袋小路に行ってしまうようで。

(「幼児になりきる」での技は)自分の心もきれいになる気がする。

意識はあるけれど疑わない自分が居る。

疑わない自分が居る、は難しいが、音楽家には親和性があるのでは?

ただ子供が楽しんでやっているように。

得のある人がやるとヘタでも涙が出る。
曹洞宗のお坊さんの刑務所での話。(第116回参照)
人は色んな生き方があっていい。

どんな行為であってもより納得できるところの場の雰囲気で伝わるものがある。
昔、ボクサーの長谷川穂積に「これ程気配がないものは初めて」と驚かれたが、今は当時よりももっと気配がなくなっている。



4.特に低音が聞こえにくい、という難聴の相談

難聴は頸椎の4番が関係している。
楽器演奏の姿勢、そして固定化しない身体の使い方が大事。
祓い太刀


5.山登りのために「虎拉ぎ」と「火焔」の手の内を詳しく知りたいという相談

「虎拉ぎ」・・丸太を持っているようにして手を内旋、肘は外旋。
腕全体が雑巾が絞られるように。

「火焔」・・掌でこねるように。頭脳線で折れる感じ。

詳しい動画はこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=H2j2cEH_ltg

登山、階段だけでなく、高い声も出しやすくなる、と発声も。



6.フルート(白川)
 ゆっくりの曲に比べてテクニカルなものは楽器を安定させるために、固定化してしまって、響きの差が気になる、という相談。
シランクスとドンジョンの小品をそれぞれ数小節演奏。
やはり音楽家講座での演奏はまだまだ緊張してしまう。

左手は煙がすっと昇るように、右手は水が落ちていくように、とのご助言。
そういう感じで、指を動かすという・

不思議なことに、この言葉を聞いた瞬間に身体が変化。
というか心への影響がとても大きかった。
身体の感覚としては、新たな繋がりの経路が自覚出来た。
真ん中ではなくやや左の身体の正面よりの内側にスーっと繋がる何かしら。
妄想?だとしても、実際、その後の演奏の変化はおそらく過去最高。

「左右の働きを変えることで固定化されず、循環していくようになります」と帰途うかがう。それまでは、例えれば桒形虫の角的な左右だった。


7,最後に時間が過ぎていたのだけれど、ダンサーの方からの質問で、虎拉ぎを使わないで、遠くから段差のあるステージに昇る、という試みを先生が。

いわば、手の内を使うやり方は「構造的に強くする、繋げる」というもので、
そうではなく「何かにやってもらう」「幼児になる」のやり方で初めて先生も試みられた。

虎拉ぎや、火焔よりもさらに遠い距離なのに、まるで普通の出来事のようにスーっと上っている。全く力感もなく、不思議な情景。

こうした瞬間に立ち会えることが出来、感動。

「何かクレーンのようなもので掴まれて運ばれるような感じ」と先生。

さらには、景色が全く違って見えるのだそう。

会場からステージまでのの木目の幅がギューっと縮まって見えるのだそう。

ご参加くださった皆様、お手伝いくださった皆様、そして甲野先生、

ありがとうございました!

写真は「火焔」を説明されている先生の手。


・・・・
追記
ご教授いただいた新たな感覚を色々と試しました。
難しかった箇所が、まるで昔から出来ていたような感じで、スルっと吹けて、もちろん響きも変化。・・不思議です・・


次回は6月22日(水)同会場同時刻です。
どうぞお越しくださいませ!





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