去る日曜日の午後、中距離列車に乗って、友人の父君を追悼する会に出席した。ご本人にお会いしたことは無いのだが、その友人とは同じ店で毎週月曜日R&Bやfunkを7年以上一緒に演奏した仲なのだ。その他様々な所でも演奏したし、共通の友達が多いから、仕事以外のつき合いも多い。
隣りのコネチカット州での追悼会は、借り切られたホテルの一室で淡々とも言える雰囲気の中で行われた。故人を偲ばせるのは、テーブル上の数点の写真と、スライド画面に次々と映し出される映像。友人は間違い無くこの父君に似ている。
この故人は若干24歳でピアニストとしてカーネギーホールで華々しくデビューしたものの、当時は不治の病だった灰白髄縁を患い、プロとしての演奏活動を断念せざるを得なかった。しかしまるでそれをバネにしたかのように、作曲家、クラシック音楽の評論家として生涯精力的に活動されたそうだ。
と同時に、6人の自分の子供と、なんと11人の養子を育てたのである。"Because they need a home" と思い、数十年間に渡り、17人の人間を夫婦二人だけで育て上げた。
一度も出会ったことが無い人だが、関わってきた人達の話だけを聞いていて、これほど何かを想ったことは無い。眼に見えるもの、耳で聴こえるもの、鼻で匂うもの、皮膚で触れるもの以外に、この世には人から人へ伝わるものが満ち溢れている。
隣りのコネチカット州での追悼会は、借り切られたホテルの一室で淡々とも言える雰囲気の中で行われた。故人を偲ばせるのは、テーブル上の数点の写真と、スライド画面に次々と映し出される映像。友人は間違い無くこの父君に似ている。
この故人は若干24歳でピアニストとしてカーネギーホールで華々しくデビューしたものの、当時は不治の病だった灰白髄縁を患い、プロとしての演奏活動を断念せざるを得なかった。しかしまるでそれをバネにしたかのように、作曲家、クラシック音楽の評論家として生涯精力的に活動されたそうだ。
と同時に、6人の自分の子供と、なんと11人の養子を育てたのである。"Because they need a home" と思い、数十年間に渡り、17人の人間を夫婦二人だけで育て上げた。
一度も出会ったことが無い人だが、関わってきた人達の話だけを聞いていて、これほど何かを想ったことは無い。眼に見えるもの、耳で聴こえるもの、鼻で匂うもの、皮膚で触れるもの以外に、この世には人から人へ伝わるものが満ち溢れている。