いきがかり上いたしかたなく・ぶろぐ

寄る年波には勝てないし難しいことは出来ないし、行き掛かり上致し方なくブログに頼ります。

流行っている

2005-02-21 01:02:16 | 超短編
 会社から出たところで足を止める。亀だ。

 甲羅の長さ20センチ以上はありそうな緑がかった灰色の亀。そいつが電柱の陰からこちらを覗いている。近づくと、亀は亀とも思えぬ速さで逃げ出した。思わず後を追う。亀が向かっているのは、ちょうど私の家のある方角だ。

 いくら速いといってもそこは亀なので、追いつくのは簡単なのだが、亀がどこへ行こうとしているのか知りたくて、亀の歩く速度に歩調を合わせる。家から会社までは、バスの停留所で二つ分の距離。以前は自転車で通っていたのだが、最近は健康のため歩くようにしている。

 スナック「半月」の前を通り過ぎる。葉子ちゃんへのプレゼントが鞄の中に入っているのだが、寄り道すると亀を見失う。立ち止まり、「半月」のドアと亀を見比べる。亀がふと立ち止まり、振り返ってこちらを見る。私はまたあわてて亀の後を追いかける。

 やがて亀は一軒の家の中に入っていく。顔を上げる。え? 私の家?

 玄関のドアが開く。妻と2人の娘が、お互い顔を見合わせ笑いながら、
「お帰りなさい」と言う。
「お父さん、お母さんの誕生日覚えてたんだ」
 娘たちに背中を押されて家に入る。
「ねえねえ、お母さんにプレゼントは?」
「え、あ、ああ」
 私は鞄の中から、葉子ちゃんにあげるはずだった口紅を取り出す。妻には少し派手かもしれない。

 妻が床に向かって何か喋っている。
「ありがとうございました。では、振込みはこの間お聞きした口座の方でよろしいですか」
 妻の足元にいた亀がゆっくり首を振り、ことことと向きを変えると玄関に向かって歩いていく。娘たちがその後をスキップしながらつい ていく。

「あ、あの、あれは?」
 妻は葉子ちゃんに渡すはずだった口紅を箱から取り出すと、少し眉間に皺を寄せる。妻にはやはり派手かもしれない。
「何? ああ、あれ?」
 妻は口紅をリビングの隅のゴミ箱に放り込む。
「あれはね、流行ってるのよ」

 何がだ……。
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