昨日は、友人の佐藤さんに教えてもらった講演会に行ってきた。
作家でミュージシャンの町田康さんが、『告白』というご自分の本を朗読されるというので。映画監督の若松孝二さんが淑徳大学の教授だそうで、以前からいろいろな人を招いて講演会が開かれているらしい。
町田康さんの本は以前に1冊だけ読んだことがあったのだが、なかなか文体のリズムに乗れなくて苦戦したのだった。でもとりあえずその『告白』という本が図書館にあったので、借りて帰る。出だしの3行を読むと、その本が面白いかどうかわかったりするのだが(もちろんそうでない本もある。『モモ』なんか延々辛くて、でも途中で突然面白くなるし、『指輪物語』もかなり長く辛い状態が続くらしい)、『告白』は面白い。リズムに乗れないということはまったくなかった。町田康さんの文章のリズムが変わったのか、それとも私が変わったのかはよくわからんのだが。
で、町田康トークイン愛知淑徳なので、当然会場は愛知淑徳大学の中の記念会堂講堂というところ。入場無料。新聞にも小さく出ていたのだが、気づく人はたぶん少ないと思う。
時間は夕方の4時40分~6時10分ということだったので、家族の夕食の支度をすませてから出かけた。といってもおでんを鍋にいっぱい作っただけなのだが。それなら自分も帰ってからすぐ食べられるし。
愛知淑徳大学というのは星が丘にあるのだが、玄関がまるでお城のようで、シンデレラがドレス姿で駆け下りてガラスの靴を忘れていっても、ちっとも違和感がないような豪華さだった。ガラス窓越しに見た図書室もなかなか充実している。文芸雑誌が、地下街の本屋さんのように窓際にこちらを向けて並べられている。いいなあ。
しかし、そのようなきれいな校舎を見た後だからか、記念会堂講堂は、普通なのにえらく質素に見えてしまった。天井が低くて少し圧迫感がある。
私は後ろから6列目の机の168番の席に座った。はじめはけっこう空いていたのに、講演が始まる頃にはかなりの人数が入っていた。学生さんも多いのだが、私のようにどっからどう見ても学生ではあり得んような人も多かった。講演が始まる前にまたスケッチ。私のすぐ前の席に若干挙動不審な男の人が座る。
講演開始前に注意事項の説明。写真撮影と録音の禁止などなど。トイレ休憩はないので、1部と2部の間にダッシュで行ってくださいと言われる。でも実際は1部と2部が切れ目なく続いちゃったので、瞬間移動したとしても無理だったのだが。
まず驚いたのが、町田康さんが思ったよりずっと小柄で華奢な感じの方だったこと。服装のせいかもしれないが、身体つきがどちらかというと女性っぽいように見えた。
で、『告白』という本のあらすじ。私もまだ出だしの数十ページしか読んでいないので、内容は知らないも同然。この小説は、河内音頭ではスタンダードナンバーになっている「河内十人斬り」という事件を題材にして書かれたものだということだった。松永という家に乗り込み乳幼児を含む家族親族ら十人を殺害した城戸熊太郎という男の年代記のようなものらしい。私が読んでいるあたりでは、その熊太郎はまだ子どもだ。
あらすじの説明の後、332ページ~朗読された。ところどころアドリブが入る。例えば「ボケッ」とか。
で、「ノイズ」についての話。音楽におけるノイズ。映画を撮るときのノイズ。小説を作るときのノイズ。ノイズのない小説はつまらないということを繰り返し言われる。
小説においてのノイズというのは、例えばストーリーの展開にさして必要ではない登場人物とかだったりするのだが、小説の新人賞に応募されてくる作品などの中には、このノイズがまったくないものもあったりするらしい。
私はそのノイズとはまた別の意味で、小説にノイズを感じることがあって、ノイズのある小説は苦手なのだが、これは町田さんが言われたのとは全然違うことだった。でも今回の話の中で、「何かに集中しているとノイズは聞こえているのに聞こえなくなる」と町田さんが言われ、それで納得がいった。きっとストーリーの中に完全に入り込める小説にはノイズを感じないのだ。読んでる間中ずっと、頭の中でジージーとかビービーとかノイズが聞こえてる小説もある。誰の何とは言わないけれど。
あと、小説を読むということは、読んでいる人の心がいろいろな位置に動くということだとも言われる。自分1人の考えや行動では行けない場所に行くということ。自分では感じられない感情を感じるということが、小説を読むということでもあり、小説を書くということでもあると言われる。
つまらないフィクションというのは、自分の心が移動していくことがないフィクションであり、つまらない読書というのは、自分の位置はまったく動かずただ見上げたり見下げたりするだけの読書だとも言われる。
このノイズと、自分の位置が移動するフィクションというのが、今回の講演のポイントかもしれない。あ、私がそう思ったというだけのことだが。
その後、映画監督の若松孝二さんとの対談。はじめのうち、何となく会話がかみ合わなかったのだが、途中から徐々に話がうまく展開するようになっていった。ここでもまた「ノイズ」についての話が出る。映画もノイズの部分がなければ何も面白くないと若松さんが言われる。
しかし、この対談のメモなのだが、自分で読み返してみても意味不明なところがかなりある。何が書きたかったんだ、私は。
対談の後、Q&Aのコーナーだった。これまでそんなにたくさん講演会に行ってないから何なのだが、とにかく感心するような質問に出会った経験はあまりない。
質問というよりは自分の知識というか博学というか、自分はこんなにいろいろなものを読んでますというか、そういうのをみんなに言いたいだけのような感じを受けてしまう。質問する人はそんなこと、これっぽっちも思っておられないのかもしれないが、そういうふうに聞こえてしまう。その上『告白』の主人公の名前を何度も「熊次郎」「熊次郎」と言うのよ、この方は。やばいよ、それは。「熊太郎」だし。で、何を質問したいのか、その質問になんか意味はあるのかというような、なんか取ってつけたような質問だし。
その次はもっとひどくて。よく聞き取れなかったのだが、おそらく小説の中に出てくる何かについて「それは本当ですか?」みたいなことを質問して、町田さんに「作品の中に出てくる記述の出典などの知識を求めるのはつまらんことなのでやめなさい」みたいにたしなめられていた。
で、今度は町田さんがさっき朗読したのと本の記述が違っているが、という質問が出て、町田さんは「文章的な表現と音声的なひょうげんは違うから」と言われたのだが、質問者は読み間違えてるみたいに思っているのか、何度も言うものだから、町田さんが「わかってます。それはわかってます。私が作者ですから」みたいに答えておられた。ううむ。
次の質問者は若松監督に会えたことが非常に嬉しいということを繰り返して言われていて、信貴山縁起絵巻に描かれている雲がノイズみたいなものではないかというようなことを言われたのだが、質問が的確でなかったのか、若松監督ファンだということが影響したのか、なんか若松監督の答えは別の方向に行ってしまった。
最後は自分も将来作家になりたいという人で、フィクションを書いていて、フィクションであるのに、そこに自分が重なってくることはあるかというような質問。それに対する町田さんの答えが、「保坂和志さんの『小説の自由』という本の中にそれに対する答えが出ていて、自分もその通りだと思うので、私がここで言うよりもその本を読んでください」だった。ううむ。これに対してこの質問者はどう斬りかえすかと思っていたら、「私が書いた小説をきょう持ってきています。プレゼントします」と言われる。びっくりびっくり。若いきれいな女の人だったので、受け取ったかもしれないな、町田さん。
なかなか面白い講演会だった。Q&Aというのは、必ずしもいい質問とか鋭い質問でなくても、その講演者のいろいろな面が見られたりするのだなと納得してしまった。気をつけよう。(何にだ?)
作家でミュージシャンの町田康さんが、『告白』というご自分の本を朗読されるというので。映画監督の若松孝二さんが淑徳大学の教授だそうで、以前からいろいろな人を招いて講演会が開かれているらしい。
町田康さんの本は以前に1冊だけ読んだことがあったのだが、なかなか文体のリズムに乗れなくて苦戦したのだった。でもとりあえずその『告白』という本が図書館にあったので、借りて帰る。出だしの3行を読むと、その本が面白いかどうかわかったりするのだが(もちろんそうでない本もある。『モモ』なんか延々辛くて、でも途中で突然面白くなるし、『指輪物語』もかなり長く辛い状態が続くらしい)、『告白』は面白い。リズムに乗れないということはまったくなかった。町田康さんの文章のリズムが変わったのか、それとも私が変わったのかはよくわからんのだが。
で、町田康トークイン愛知淑徳なので、当然会場は愛知淑徳大学の中の記念会堂講堂というところ。入場無料。新聞にも小さく出ていたのだが、気づく人はたぶん少ないと思う。
時間は夕方の4時40分~6時10分ということだったので、家族の夕食の支度をすませてから出かけた。といってもおでんを鍋にいっぱい作っただけなのだが。それなら自分も帰ってからすぐ食べられるし。
愛知淑徳大学というのは星が丘にあるのだが、玄関がまるでお城のようで、シンデレラがドレス姿で駆け下りてガラスの靴を忘れていっても、ちっとも違和感がないような豪華さだった。ガラス窓越しに見た図書室もなかなか充実している。文芸雑誌が、地下街の本屋さんのように窓際にこちらを向けて並べられている。いいなあ。
しかし、そのようなきれいな校舎を見た後だからか、記念会堂講堂は、普通なのにえらく質素に見えてしまった。天井が低くて少し圧迫感がある。
私は後ろから6列目の机の168番の席に座った。はじめはけっこう空いていたのに、講演が始まる頃にはかなりの人数が入っていた。学生さんも多いのだが、私のようにどっからどう見ても学生ではあり得んような人も多かった。講演が始まる前にまたスケッチ。私のすぐ前の席に若干挙動不審な男の人が座る。
講演開始前に注意事項の説明。写真撮影と録音の禁止などなど。トイレ休憩はないので、1部と2部の間にダッシュで行ってくださいと言われる。でも実際は1部と2部が切れ目なく続いちゃったので、瞬間移動したとしても無理だったのだが。
まず驚いたのが、町田康さんが思ったよりずっと小柄で華奢な感じの方だったこと。服装のせいかもしれないが、身体つきがどちらかというと女性っぽいように見えた。
で、『告白』という本のあらすじ。私もまだ出だしの数十ページしか読んでいないので、内容は知らないも同然。この小説は、河内音頭ではスタンダードナンバーになっている「河内十人斬り」という事件を題材にして書かれたものだということだった。松永という家に乗り込み乳幼児を含む家族親族ら十人を殺害した城戸熊太郎という男の年代記のようなものらしい。私が読んでいるあたりでは、その熊太郎はまだ子どもだ。
あらすじの説明の後、332ページ~朗読された。ところどころアドリブが入る。例えば「ボケッ」とか。
で、「ノイズ」についての話。音楽におけるノイズ。映画を撮るときのノイズ。小説を作るときのノイズ。ノイズのない小説はつまらないということを繰り返し言われる。
小説においてのノイズというのは、例えばストーリーの展開にさして必要ではない登場人物とかだったりするのだが、小説の新人賞に応募されてくる作品などの中には、このノイズがまったくないものもあったりするらしい。
私はそのノイズとはまた別の意味で、小説にノイズを感じることがあって、ノイズのある小説は苦手なのだが、これは町田さんが言われたのとは全然違うことだった。でも今回の話の中で、「何かに集中しているとノイズは聞こえているのに聞こえなくなる」と町田さんが言われ、それで納得がいった。きっとストーリーの中に完全に入り込める小説にはノイズを感じないのだ。読んでる間中ずっと、頭の中でジージーとかビービーとかノイズが聞こえてる小説もある。誰の何とは言わないけれど。
あと、小説を読むということは、読んでいる人の心がいろいろな位置に動くということだとも言われる。自分1人の考えや行動では行けない場所に行くということ。自分では感じられない感情を感じるということが、小説を読むということでもあり、小説を書くということでもあると言われる。
つまらないフィクションというのは、自分の心が移動していくことがないフィクションであり、つまらない読書というのは、自分の位置はまったく動かずただ見上げたり見下げたりするだけの読書だとも言われる。
このノイズと、自分の位置が移動するフィクションというのが、今回の講演のポイントかもしれない。あ、私がそう思ったというだけのことだが。
その後、映画監督の若松孝二さんとの対談。はじめのうち、何となく会話がかみ合わなかったのだが、途中から徐々に話がうまく展開するようになっていった。ここでもまた「ノイズ」についての話が出る。映画もノイズの部分がなければ何も面白くないと若松さんが言われる。
しかし、この対談のメモなのだが、自分で読み返してみても意味不明なところがかなりある。何が書きたかったんだ、私は。
対談の後、Q&Aのコーナーだった。これまでそんなにたくさん講演会に行ってないから何なのだが、とにかく感心するような質問に出会った経験はあまりない。
質問というよりは自分の知識というか博学というか、自分はこんなにいろいろなものを読んでますというか、そういうのをみんなに言いたいだけのような感じを受けてしまう。質問する人はそんなこと、これっぽっちも思っておられないのかもしれないが、そういうふうに聞こえてしまう。その上『告白』の主人公の名前を何度も「熊次郎」「熊次郎」と言うのよ、この方は。やばいよ、それは。「熊太郎」だし。で、何を質問したいのか、その質問になんか意味はあるのかというような、なんか取ってつけたような質問だし。
その次はもっとひどくて。よく聞き取れなかったのだが、おそらく小説の中に出てくる何かについて「それは本当ですか?」みたいなことを質問して、町田さんに「作品の中に出てくる記述の出典などの知識を求めるのはつまらんことなのでやめなさい」みたいにたしなめられていた。
で、今度は町田さんがさっき朗読したのと本の記述が違っているが、という質問が出て、町田さんは「文章的な表現と音声的なひょうげんは違うから」と言われたのだが、質問者は読み間違えてるみたいに思っているのか、何度も言うものだから、町田さんが「わかってます。それはわかってます。私が作者ですから」みたいに答えておられた。ううむ。
次の質問者は若松監督に会えたことが非常に嬉しいということを繰り返して言われていて、信貴山縁起絵巻に描かれている雲がノイズみたいなものではないかというようなことを言われたのだが、質問が的確でなかったのか、若松監督ファンだということが影響したのか、なんか若松監督の答えは別の方向に行ってしまった。
最後は自分も将来作家になりたいという人で、フィクションを書いていて、フィクションであるのに、そこに自分が重なってくることはあるかというような質問。それに対する町田さんの答えが、「保坂和志さんの『小説の自由』という本の中にそれに対する答えが出ていて、自分もその通りだと思うので、私がここで言うよりもその本を読んでください」だった。ううむ。これに対してこの質問者はどう斬りかえすかと思っていたら、「私が書いた小説をきょう持ってきています。プレゼントします」と言われる。びっくりびっくり。若いきれいな女の人だったので、受け取ったかもしれないな、町田さん。
なかなか面白い講演会だった。Q&Aというのは、必ずしもいい質問とか鋭い質問でなくても、その講演者のいろいろな面が見られたりするのだなと納得してしまった。気をつけよう。(何にだ?)
町田康さんを知ったのですが、
目の力が強い、大柄な男のイメージ
がありました。実は小柄だったんですか。
意外でした~。
ろみさんの文章が的確で、
読んでいると、その場に居合わせたような
錯覚をおこします
質問者もユニークですね。
(10年以上前に、佐藤愛子さんの講演会に
行ったことがあります。
その時の質問者の方々も強烈でした。確か)
楽しく読ませていただきました☆
講演会を聞きに言って、いろんな質問に
著者が答えているのをきいてると、
本ではわからなかった著者の性格やら育ちなどが
結構みえておもしろいですよね。わたしも
少ないですが、講演会きいて
質問への答え方で好きになった方もいます。
逆に幻滅した方ももちろんいました。。
町田さんの小説、読んでみたくなりました。
詩集は読んだのですが、詞集、だったかな?
なんだか、パンクな言葉が機関銃のようにならんでいて、圧倒された覚えがあります。
がっくし。行きたかったー。
若松さんの映画を見たことはないのですが、若松さんがやっている映画館「シネマスコーレ」で遠藤賢司の映画を昨日見に行きました。
町田さんの小説も詩も好きですが、映画出演では石井ソウゴ監督(漢字でないのでカタカナ)「爆裂都市」(確かこの名前で合っている? 主役でした)とあがた森魚監督の(名前は失念しましたが)映画にちょいと出ていました。
このレポートで雰囲気みたいなものを楽しめてよかったです。
それにしても行きたかった!
小柄というか普通だったのですが(前の方におられた教授さん方と同じくらいだった。あ、全員大柄だったということもあり得るか)、私もとても大きな人を想像していたので、それに比べるとずっと小柄という感じだったのです。ちなみに椎名誠さんはホントにでかいです。関係ないけど。
☆みやじまさんへ
Q&Aは難しいですね。聞く方も答える方も。素人の箸にも棒にもかからんような質問に、きちんと誠実に答えてくれたり、ユーモアをまじえながら上手く答えてくれたりすると、ホントに感激するんですけどね。
日本人は下手そうですもんね、そういうの。
☆はなびーるさんへ
文章の書き方に癖があるので、本によっては出だしが辛かったりしますね。いったんそのリズムに乗ってしまえば、どうってことなく読み進めることが出来るんですが。
今読んでる『告白』はどちらかというと読みやすいのではないかと思います。ただね、分厚いです、半端じゃなく。
☆仲仲治さんへ
わあ、ごめんなさい。
私も直前に教えてもらったので、告知もせずにすみません。
どうも各私立大学では、時々こういう講演会をやってるみたいです。ただ新聞に告知が出てても、何故かものすごく小さい。
若松孝二監督は淑徳大の教授なので、そちらの関係からいろいろな人を呼んできては、講演会が開かれているようです。今度、友人に教えてもらったときは、ただちに告知しますね。
ホントにごめんなさい。
講演は、本当によく通いました。
真っ黒けで、でかくて、かっこいいですよね。
奥さまの渡辺一枝さんの本も好きでした。
今は、片山健と飯野好和の講演会に
行ってみたいです。
名古屋駅のホームでした。
私と息子らはホームから降りていこうとするところで、椎名さんは上がってこられたところで、すれ違ってから「あれ?」と私が気づき、息子らとそろって握手していただきました。
国防色(カーキ色と言おうよ、せめて)のトレンチコートで、ぼさぼさ頭で、とにかくでかくて、本に載ってる写真とまったく一緒。
今度は美輪明宏さんに会ってみたいです。