いきがかり上いたしかたなく・ぶろぐ

寄る年波には勝てないし難しいことは出来ないし、行き掛かり上致し方なくブログに頼ります。

温泉だらだら合宿2日目

2005-09-21 18:01:34 | 出来事
「やまびこ」の中は携帯がつながりにくい。玄関の外まで出ると入るのだが。ちなみに私の携帯はvodafone。「やまびこ」よりもうちょっと奥にある実家のあたりではdocomoよりよく入るくらいなんだがなあ。

ということで、事前にメールをくれたのに届かず、1日目の夜に突然、私の父と母が袋いっぱいのみかんを持ってやって来た。2日目は父が車であちこち連れて行ってくれるそうで、2日目の夕食を食べに行くお店の情報をインターネットで探してプリントアウトして持ってきてくれたので、それもみんなで見る。

ということで、翌日は朝10時頃迎えに来てくれるということになったのであった。

しかし1日目は夜中までしゃべっていた。こんなんで起きられるのだろうかと思ったのだが、さすが私もそれなりの年寄り。それなりに早く目が覚めた。宮島さんのお嬢さんはまだ眠そうだったので、宮島さんと2人で朝から風呂だよ、風呂。

2つある温泉は日替わりなので、1日目とは違う広い方の風呂に入る。ここは中に打たせ湯と寝湯がある。もちろん露天風呂もサウナもついている。朝の露天風呂は気持ちがいい。こっちの風呂には源泉があるので入りたいのだが、2、3人入っている人がいて、しかもずーーーーーっとしゃべっておられて、なかなか空きそうにない。あんなに長く入っていてのぼせないんだろうかと思ったら、実は源泉はぬるめなのであった。

朝の露天風呂は気持ちいい。裸でうろうろしてベンチに座ったり、中には寝転んでる人もいて、本当に最高。

風呂から上がれば朝ごはん。朝ごはんは大きなホールでバイキング形式になっている。おかずの種類がめちゃめちゃ豊富というわけではないが、それでも焼き魚も湯豆腐も茄子の煮物も出し巻き卵もある。これで、パンとコーヒー、紅茶、ミルク、ヨーグルトなんかがあると申し分ないのだが。(上野のHOTEL PARKSIDEの朝ごはんはよかったよ~)贅沢すぎやね、それは。

10時過ぎに父が迎えに来てくれて、ちょっと小学校の運動会に顔を出してから実家に寄ってお茶とゼリーで早くも休憩。

その後、日本・モンゴル民族博物館に向かう。写真は博物館の前で芝生を刈り取り作業中のヤギの皆さん。この他にお父さんヤギらしきお方が、別の場所に繋がれていた。子どもヤギの皆さんだけは放し飼い。親さえ繋いでおけば大丈夫なんだろうか。

ここで友人にお土産を買う。買ったのはゴビ砂漠の石。ゴビ砂漠はモンゴルの国土の約30%を占めているらしい。ゴビというのはモンゴルの言葉では「まばらな短い草が生えている土地」という意味だそうで、ということは砂ばっかりではないということなのか?

で、博物館の方に「砂漠なのに石があるんですか?」と小学生のような質問をしてしまったのだが、「ゴビ砂漠には石もごろごろしているし、岩もあります」ということだった。箱に中に入っている石を1個1個見比べ悩む。かなり貴重な石が混ざっていることもあるらしい。しかし、ゴビ砂漠の石……。私なら喜ぶのだが。どーなんでしょ。ものすごく安いし。

常設展示の他に、世界のおもちゃも展示されていた。少しだけだが触って遊べるようになっていて、けっこう面白かった。複雑なつくりのおもちゃもいいかもしれないが、昔からある簡単な構造のおもちゃもいい。幾つもある展示品の中から、大好きな亀を探す。さすが亀はデザインが可愛いので、いろいろなおもちゃになっていた。

さて、この日本・モンゴル民族博物館で一番心に残ったのは何かということなのだが。私たちのほかにある親子連れが展示を見て回っていて、ちょうどモンゴルの住居ゲルが展示されているところで耳にしたその親子の会話。
お母さん「ほら、これがモンゴルの家」
子ども「ふうん、モンゴルってだれ?」

それまでに見て回ったことすべてと、それ以後に見たことのすべてが、この子どもの一言で吹っ飛んでしまった。子どもはえらい、ホントに。

お昼は豊岡の「ぼてじゅう」で食べた。宮島さんは(ここのみたいなふわふわの)明石焼きは初体験だったそうだ。ぼてじゅうの明石焼きはとても美味。他に豚キムチ焼きそばや大葉入りのお好み焼きも食べる。こんなに食べきれないと言いながら完食。やばくないですか?

その後、豊岡市立コウノトリ文化館を見学。こんな可愛いポストが立っていた。

コウノトリは予想以上にでかかった。剥製も大きいのだが、実物はさらに大きい気がした。それが羽をばたばたさせながらケージの中を歩いている。木の上にもとまっている。あの大きさなら、赤ん坊なんて楽々運べそうだ。

剥製はあちこちに幾つも置かれていた。これは入り口を入ってすぐのところにあった剥製。

他にこの付近に住んでいる魚などの展示されている部屋もあった。父が「亀がいるかも」と言うので見に行ったがいなかった。壁際に空っぽの大きな水槽がある。水は少ししか入っていなくて、その水も汚れているのか、水槽の隅の方に油が浮いている。汚いなあと思っていたら、宮島さんのお嬢さんが「スッポンがいる」と言われた。スッポンと言えば亀の仲間ではないですか。しかし、いったいどこに?

なんと、その汚い油のように見えたのはスッポンの背中部分だった。水の中に平べったくなって潜っていたのだ。

その後は知り合いのギャラリー蔵人庵へ。こんな私の絵も気に入って置いてくださっている。ここの飼い犬や飼い猫の皆さんはたいへんフレンドリーなのだ。ギャラリーのオーナー小林さんお手製のところてんをごちそうになる。ちゃんと天草から作られた本格的なところてんだ。

そしていよいよ夕食なのだが、その前に宇沙戯舎(うさぎや)に連れて行ってもらう。このお店には可愛い食器とか洋服とかアクセサリー、雑貨などが置いてある。喫茶室もあるようなのだが、私は洋服をいろいろあわせてみた。しかし、最近の洋服はなんでみんなこんなに小さいのだろう。あ、私がデブなのか。リネンのスモックを買ってもらった。もうちょっと痩せればいろいろ可愛い洋服も着られるのだが。

期待の夕食は宇沙戯舎さんのすぐ近くにあるこんにゃく懐石のお店一粒(いちりゅう)。大きな道路のすぐそばにあるのに、このお店のところだけ何だか違う空間になっている。こんもりと茂った木々の間に細い道があって、足元に点々と小さな明かりが灯っている。とても不思議な雰囲気。

なんとこのお店に、私の絵が飾られていた。最近はまったく描いていないパステル画なのだが、父が持っていたのをとても気に入ってくださったということで、お嫁に行ったらしい。ありがたいやら恥ずかしいやら。


そしていよいよお料理が次から次へと運ばれてきた。どの料理にもこんにゃくが使われている。もうそれを聞いただけでも「ダイエット」という文字が頭に浮かび、なんかえらく安心してしまうなあ。

黒豆そっくりなこんにゃくとか、とろけるような食感のお刺身、透き通るようなきれいなお寿司、こんにゃくのゼリー。どれもこれも珍しいしたいへん美味。

それにしてもなんか1日中ずっと食べてばかりだったな。こんにゃくだからと油断していて、本当に大丈夫なのだろうか。かなりやばそうな気がするな。
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4 コメント

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おつかれさま! (蔵人庵小林です。)
2005-09-22 08:55:24
あれから、うさぎやさんへ、いかれたのですね。私もすきな、あこがれの店です。  このあたりのツボをおさえての二泊三日はお見事です。ゆっくりしていただけなくて、すみませんでした。ひろみさんの絵は、好評です。 これからもよろしくおねがいします。またのお越しを、楽しみにしております。
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モカちゃんも可愛いですね~ (林本ひろみ)
2005-09-22 18:48:02
フクちゃんも可愛いですけど、モカちゃんもとても可愛くて、会えて嬉しかったです。あの横座りがたまりません。どちらもおとなしくてとてもよい子ですね。



子どもの頃は犬が苦手だったのですが、大学にものすごく動物好きな人がいて、その人の影響でかなり平気になりました。でも、もちろん恐そうな犬はダメですけど。



久々にまたパステル画を描いてみようと思っています。ただかなり画風が変わってしまっているかもしれませんが。そのうち、父の方に送りますので、またよろしくお願いします。



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コメントありがとうございます。 (眼張)
2005-09-22 23:36:07
 

この記事読んで、今、とても驚いています。



「やまびこ」なんか聞いた事あるなぁ~と思いながら、読み進んでいくと「日本・モンゴル民族博物館」、え~~~、私の田舎じゃん。



私の実家、博物館から1キロもない距離のとこです。多分。と言うのは、10年程田舎に帰ってないんですね、だから正確な場所知らないんです。



と言う事は、同じ町の出身ですか?

それに年齢も近いです。私は今年年男ですけど、同級生のほとんどが来年50歳になります。

でも、中学は違うのかな?どこかで遭っていたかもしれませんね。



こんなことってあるんですね。

 

     (*^▽^)ゞ

 

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うわ、びっくり (林本ひろみ)
2005-09-23 01:03:17
日本・モンゴル民族博物館の近くということは、資○中学校ですか? 私は出合の坂道を階段にして百数十段上ったところにあった但○中学校に通っていました。



ただ私は小学校6年生で転校してきたので、当時はまだ町民になりきってなかったですけど。

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