☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

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「 平和で安全な社会 」 は 誰が守るのか  

2015-10-08 14:07:43 | 今日の光明法語

安全保障関連法がようやく成立した。

心から安堵したのは勿論だが、同時にこの日本に今なお

根強い空想的平和主義を改めて思い知らされた。

国民の意識は ひと頃と比べれば ずいぶん変わったといわれてきた。

しかし、今回われわれが見たのは、それは本当のことだったのか、

と改めて問い直したくなるような現実であった。


いい歳をした大人が、「 戦争をしてはいけない 」 「 戦争は

悲惨だ 」 などと、したり顔に語るシーンなどを眼にしつつ、

その度に、結局この種の人たちは この七十年、何も現実を

見ようとはしてこなかったし、考えてもこなかったのだ、

と思わざるを得なかったのである。


 この安保法制の次は いよいよ憲法九条改正だとされる。

確かにその通りとは思うものの、しかしそのためには この空想的

平和主義の誤りを正す運動が、もっと徹底して展開されねば

ならないとも考える。


「 戦争をしてはいけない 」 と主張するのは自由だが、

それをいうならこの日本ではなく、むしろ中国や北朝鮮に対して

いうべきで、彼らは その異常な軍事力拡張や核開発を

どう考えるのか、と逆に問うてみる必要があるからだ。


 と同時に、今回は 「 徴兵制になる 」「 若者が戦場に送られ

る 」 といったトンデモ宣伝が行われたことも銘記されるべき

ことだった。


報道によれば、今回の法案に反対する母親グループが、

「 誰の子どもも殺させない 」 などと一万九千筆のメッセージを

自民党本部に届ける、といったパフォーマンスもあったというが、

まさに反対のためには何でもする、という戦術が見境なく

駆使されたのである。


 これ自体は、反論する気すら起こらないほどのバカげた主張で

あったが、一方、筆者は こうした考え方の根本にあるものは、

明確に否定しておく必要がある、とその時 思わざるを得なかった。

というのも、「 自分は そんな危険な目に遭いたくない 」

「 自分の子供をそんな所に行かせたくない 」 と考えるのは

自然ではあるが、だからといって、ならば皆がそのように

いい始めたら、果たしてこの社会はどうなるのか、と

逆に問うてみるべきだと思ったからである。


 問題は戦争だけではない。恐ろしい細菌や疫病の蔓延に対し、

その前線に立つ医療関係者、悪質な犯罪者集団に立ち向かわねば

ならない警察、また大火災の際の消防隊員等々、

彼らが それを言い始めたら一体どうなるのか、ということだ。


ならば、かかるケースや関係者に対しても、 「 そんな危険なことは

すべきではない 」 と声を 揃えるのか。そうすれば、その帰結は

結局 自分に返ってくるという事実がどうして見えないのか。

それを指摘せざるを得ないのだ。


 自分の子供を危険な目に遭わせたくないという母親の気持ちは

わかる。しかし、その子供が大人になっても、自分さえ安全で

あればと考え、いやな仕事を他人に押しつけることしか

考えなくなっても、それでよいと考えるのか。


 筆者がここでいいたいのは、そうした考え方だけでは、

この平和な社会、安全な社会は 保てないということだ。


あの福島原発の事故が起こった際、皆が一斉に逃げ出していたら、

この日本はどうなっていたか。しかし、誠に有難かったことに、

あの時 現場の東電社員たちは 自己の持ち場を捨てなかったので

ある。危険を顧みず 公のため、そして この国のために、

身を挺して行動してくれたのだ。


 この社会は こうした勇気ある人たちの覚悟と行動により

守られている。しかし、今回 声高に叫ばれた反対論は、

そうした人々の覚悟と行為を、正面から否定するにも等しい

発言だったといわねばならない。

これは 自らの手で、自らの大切な社会基盤を掘り崩す反社会的

「 自傷行為 」 でもある。こうした考え方の危険性を、この際

併せて指摘しておきたい。


( 日本政策研究センター代表 伊藤哲夫 )

〈 『 明日への選択 』 平成27年10月号  〉


http://www.seisaku-center.net/node/875