無 明
かく天使生長の家にて歌いたまう時、
一人の天の童子あらわれて問いを設けて云う。
『願わくは人々のために、人々のさとりのために、
無明の本質を明かになしたまえ』と。
天使答えて云う ー
無明はあらざるものをありと想像するが故に無明なり。
真相を知らざるを迷と云う。
快苦は本来物質の内に在らざるに、
物質の内に快苦ありとなして、
或は之を追い求め、
或は之より逃げまどう、
かかる顛倒妄想を迷と云う。
生命は本来物質のうちにあらざるに
物質の内に生命ありとなす妄想を迷と云う。
本来物質は心の内にあり。
心は物質の主にして、
物質の性質形態はことごとく心の造るところなるにもかかわらず、
心をもって物質に支配さるるものと誤信し
物資の変化に従って
憂苦し懊悩し、
われとわが生命の円満完全なる実相を悟ることを得ざるを迷いと云う。
迷は真実の反対なるが故に無明なり。
迷は実在に反するが故に非実在なり。
迷若し実在するものならば
迷より生じたる
憂苦も懊悩もまた実在ならん。
されど、迷は実在の虚なるが故に
憂苦も懊悩もただ覚むべき悪夢にして実在には非ざるなり。
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