ショルダーバッグにリングメモ のち ビール な雑記帳

空の下が好き。ちまちました生きものが好き。妄想できる時間が好き。それからそれから…

必ず春は来る

2011-03-21 | others

経験したことのない揺れに怯えた日から一週間以上経つ。

その日、仕事のなかった私は、横浜のとある建物の中にいた。

何分くらい揺れていたのか。船酔いのような感じになり、これはただごとではないと思ったが、東北地方の海岸沿いが大変なことになっているのはあとで知ることとなる。

 

横浜駅まで行ったら、電車はすべて止まって混乱してるし、通路に座り込んでいる人も結構いた。駅の大型テレビに映っていた津波の映像に鳥肌が立った。

同居人は会社にいるはずだが、携帯電話が全然つながらない。実家も同じく。

まわりの人の話では、道路は大混雑とのこと。歩いて帰宅するには20kmはキビシイ距離。停電しているところもあると聞いた。余震も続いていた。

自分に「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせながら、まずは比較的空いていそうなトイレを探してデパートの一角へ。

デパートはすぐに営業中止になったけど、周りの客と一緒に入口近くで途方にくれていたら、従業員の人たちが折りたたみ椅子を出してくれて、「電車が動くまでいていいですよ」と。感謝!

その後、中にいた50名くらいの客(私はただの通りすがりだったけど)は、社員食堂に案内してもらい、飲み物やデパ地下弁当までいただいた。

従業員だって大変だったろうに、とても温かい対応で、気持ちが救われた。

横浜そごうさん、ありがとうございました! 必ず買い物で恩返しさせていただきます!

 

23時頃、やっと帰れる電車が動いたとの情報で帰路へ。でも、帰宅は深夜1時過ぎになってしまった。

同居人びおごん氏の顔見たら、一気にちからが抜けた~。

徒歩で会社から帰っていた彼は、私の実家の様子も見に行ってくれていて、これまた感謝。

 

帰宅困難者という経験だけで打ちのめされそうになった自分の弱さを思い知る。

その日は良くない興奮と余震でまともに寝られなかったけど、慣れた布団で横になれたことが幸せだった。

 

まだまだ見えない不安の中、暮らしていくしかない私たち。

被災地のかた、心や身体を痛めたたくさんの人、みんな生きる光を失くさないでほしい。

私はおろおろするばかりの人間だから、自分にも言い聞かせているんだけどね。

 

 

今日はびおごん氏と春探しの散策へ。5kmくらい歩いたかな。

途中で出会った、野鳥や春の野の花や虫たちに心が和みました。

春の光がとても暖かかったな。

 


感謝の日

2011-03-06 | ふらっとお出かけ

気づけば歳をまたひとつ重ねていた。

一週間前のことだ。 

誕生日は、感謝の日でもある。と、つくづく思うこの頃。 

家族に、そして生きてきた中で出会った素敵な人たちに、感謝。 

  

そんなわけで先週は、いちばん身近な感謝する人たち(両親と同居人びおごん氏)と一緒に、三浦半島の先っぽのほうへ車で出かけてきた。 

以前行った魚料理のおいしい店で食事会をするために♪ 

  

現地で車を降りて、港周辺から海を見下ろせる高台あたりまで少し散歩する。

以前ほどパワフルに行動しなくなった父だけど、高低差のある道を結構おもしろがって歩いてくれた。

母は、狭い路地や、ちょこちょこ現れる寺社に、とても懐かしさを感じると言っていた。そういえば、私が子どもの頃に遊びに行った母親の実家のあたりに似ているかも。

  

昼過ぎに入ったお目当ての店は、ちょうど席が空いて、刺身・焼き物・煮物とやっぱり変わらずおいしい魚料理をゆっくり楽しむことができた。

(食べ終わって外に出たら、1時間くらい待つだろうという列ができていてびっくり。タイミングよかったな)

 

近くの市場ではちょっと買い物を。

その後は、広大な大根畑の中をしばしドライブ。

大きな風車のある公園に寄って、帰路へ。

  

びおごん氏と私にとっての三浦は、季節ごとに車で出かける慣れた場所。

でも、両親にはちょっとしたツアーだったみたい。

「すごく楽しかった!」

と、子どものように喜んでくれたのがとてもうれしい日でした。