塾おしえごの鬼瓦師鬼義が25日付の毎日新聞埼玉版(期限付ネット版)で紹介されていた。
最初に会ったのは中1の時だから、もう25年。いろんなものを持て余していた10代後半(当時の「日本教育新聞」連載記事)を経て、当時のわが塾が二階を借りていた瓦業者の組合長を通じて鬼師となった。
やがてわたしが参加した深谷市の産学官プロジェクト(当時の紹介マンガP5。作画は鬼師の中学2年後輩)(企画商品)(「深谷ねぎ」副産物のマスターピース)から、旧七ツ梅深谷シネマにつぐ2番目の店子(工房)となり、50歳近くで結婚したわたしの披露宴のお返しをつくってもらったり(当時の新聞記事)胸があつくなる正直なお祝いあり、そのうち先に父なった鬼師は1年遅れで父親になったわたしが「父親講座」に行こうぜと誘うと、「おれは二人目だからそんなもん行きませんよ、筋トレでもしといてください」と指導する。
思えば鬼師には、多くのことをおそわった。そしていよいよ「伝統」に関して、伝統の中でもがいていた者だからこその見解に達している。
わたしも鬼師と同じように、自分たちの所業を「伝統」とだけいってふんぞり返るものを信じない。伝統が売物の商品を紹介する時、できるだけ「伝統」と語らないようにしてきたつもりだ。
だから「それも『伝統』」と語るに至った鬼師を、何より祝福しようと思う。
伝統を相対化したわれらの先は荒野だが、それは伝統にどっぷりの沼より輝いた荒野だ。
取材対象に驚き、自分の考えをしっかり書き、読者に問いかけるた斉藤記者の記事はすばらしい。新聞記事の、いやメディアの手本といえ、ともすれば締切だからとコメントの決め打ちさえしかねない自分の仕事を反省したい。
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