秋の彼岸の赤花火
09/23 14:54
誕生日週の週間日記はなんとか木曜更新。すでにお祝いメッセージなどいただきありがとうございます。
●9月
21日(月)午後から もやし原画展 のため会場清掃作業。終了後、参加のオーナーmatt君、主役ことなさん、OBのMマ君、Mダ君と雷文へ。帰りは、会場七ツ梅でやってた熊谷のフォークグループ、自画自賛とやらのライブに寄って、ファミリーバイキングに来ていた弟一家の車で帰還
22日(火)matt君のところに和歌山から若手食のプロ希望者Aンさん、大宮から食の巨人Hイさんが来るというのでぽてとやちゃんぽん~七ツ梅~いったん帰って作業などし、晩はmatt宅へ。母の命日だったので、自転車借りて帰宅し帰った姉の息子と恒例深夜墓参り~居間の片付け
23日(水)夕、電話打ち合わせ~居間の片付け~原稿
24日(木)原稿やら作業やら
25日(金)OB・Mダ君を呼び競馬関連調査作業。Mダ機、雀龍門インストールにも成功~軽トラ関連で近くの親戚へ~塾
26日(土)朝シャワーでさんま9号~ホームピック~耳鼻科~午後、翌日の体育祭準備。玉入れの円描き作業で異様に消耗する~帰ったら父親がおまえの分のだんごとっといたぞというので、今度は夕方の墓参り~長崎ちゃんめんでちゃんめん~七ツ梅であがた森魚ライブ「キネマの約束」は映画にモティベートされた構成が見事。この大ホールはすごいロケーションだ=深夜風呂でこの日2尾目のさんま10号
27日(日)朝から体育祭。同級生やら何やらたくさん会った~神社自治会館で慰労会~マンガ持ってMマ君が登場~ダイジェストで確認。馬券はオールカマー4830円だけ的中
サッカーはCL2ゲーム、スタンダール:アーセナル、インテル:バルサ。購入ウィスキーはアーリータイムズ1本。前回忘れた劇場映画とともに調整
【カウンター09】まとめて
ラーメン1/101 他外食1/37 外飲み1/65 アウェイ飲み2/17 音楽ライブ1/5 劇場映画(前週調整)1/30 自宅サッカー2/32.2 購入ウィスキー1/56 さんま2/10
おかげさまで9月26日。46歳になりました。
昨年の45歳には「“45”(rpm)」の方針として、
●ネット内
1)「週間日記」は遅れない
2)「読書、音楽、映画」の強化
3)社会的発言の増強
●ネット外
1)文芸復興
2)音楽自演
昨年の記事
と大風呂敷を広げたのですが、まったくできていません。
なので、46歳ではこの重点目標を継続課題として、まず結局張り替えてさえいないアコースティックギターの弦あたりから取り組もうと思います。
今、巷をにぎわせるビートルズに、ポールの、これは近田春夫が嫌いといいそうなブンチャッ、ブンチャッの When I'm Sixty-Four という、これは悩んだ末に映画ベスト90でジョージ・ロイ・ヒルの1本として選んだジョン・アービング原作『ガープの世界』のオープニングで使われた佳作;そういえば昨年 「"The World According to ..."(~による世界の成り立ち)」というタイトルで書いたことがありました:がありますが、ただ、64歳まで生きていたら "When I was forty-six..." と思い出せることが多い、そういう一年にしたい、というにとどめます。
でも、どうせかわりばえのない一年なんだろうな。だいたい、過去の出来事を「あれは○歳の時」と思い出すことは全然なくて、「1989年」とか「ナリタブライアン三冠馬になった年」とか「○○が中3の時」とかで思い出すことしかないから、「46歳の時」なんてどうでもいい。
だからきっと来年には同じことをいってる。だけど、きっとそうやって過ごす一年の方が、「あの年は~だった」っていう年よりずっといいはずです。
といいつつ、「46」で忘れられない話を。昭和40年代にロッテ・オリオンズのエースとして活躍した成田文男の話で、野球物語では畢竟の傑作近藤唯之『背番号の運命』に出てきたのを小学生の頃読みました。
1964(昭和39)年、後に名球界入りした山崎裕之(上尾高)、慶応で4番を打った外野手井石礼司とともに球団代表の前に来ていた成田は、山崎には名内野手の長嶋、千葉より若い「2」を、井石にはヘイ際の魔術師・平山と同じ「25」を用意しているときいた後、代表にこういわれる。
「ああ、成田君か―君の背番号はまだきめていないんだよ。そうだなあ、40番以上だったら何番でもいいよ」
悲しみに熱くなった成田は代表にいったという。
「46番にしていただきたいと思います」
成田が選んだ「46」とは、修徳高のエースとして出場した第46回甲子園大会。その「46」を背負ってロッテのエースとなった成田は、やがてエースナンバー「18」に替えた。
成田の「46」を物語った後、いわゆる近藤節がうなる。
「背番号は符牒ではない。人生だ」
46歳になって、成田の「46」のような数字を持たないこと。それは決して悪いことでないと思う。
"When I was forty-six..."
といいかけて何も思い出せないような、そんな一年がいい。
(ここんとこビートルズばっかりきいてたので、いろいろCDを引っ張り出してきいた。仕事したりしながら今日きいたのは、ルース・ファー~キャット・パワー~アル・クーパー~ドッヂーで、今はこれは秋らしい一枚、コステロ+バカラック)
リクエストあったので、どうやってもうまそうには撮れない海苔巻いただんご。味のりがなく焼き海苔になった。誕生日にはいつもだんご 09/26 13:18
4名全員同じフレームに入ることはあまりありません 09/29 10:50
不思議な授受乳1 09/29 10:44
不思議な授受乳2 09/29 10:47
世代交流 09/29 12:11
誕生日の朝、おとなと中学生 09/26 06:52
誕生日の晩、おとな。今年もよろしく 09/26 18:21
09/23 14:54
誕生日週の週間日記はなんとか木曜更新。すでにお祝いメッセージなどいただきありがとうございます。
●9月
21日(月)午後から もやし原画展 のため会場清掃作業。終了後、参加のオーナーmatt君、主役ことなさん、OBのMマ君、Mダ君と雷文へ。帰りは、会場七ツ梅でやってた熊谷のフォークグループ、自画自賛とやらのライブに寄って、ファミリーバイキングに来ていた弟一家の車で帰還
22日(火)matt君のところに和歌山から若手食のプロ希望者Aンさん、大宮から食の巨人Hイさんが来るというのでぽてとやちゃんぽん~七ツ梅~いったん帰って作業などし、晩はmatt宅へ。母の命日だったので、自転車借りて帰宅し帰った姉の息子と恒例深夜墓参り~居間の片付け
23日(水)夕、電話打ち合わせ~居間の片付け~原稿
24日(木)原稿やら作業やら
25日(金)OB・Mダ君を呼び競馬関連調査作業。Mダ機、雀龍門インストールにも成功~軽トラ関連で近くの親戚へ~塾
26日(土)朝シャワーでさんま9号~ホームピック~耳鼻科~午後、翌日の体育祭準備。玉入れの円描き作業で異様に消耗する~帰ったら父親がおまえの分のだんごとっといたぞというので、今度は夕方の墓参り~長崎ちゃんめんでちゃんめん~七ツ梅であがた森魚ライブ「キネマの約束」は映画にモティベートされた構成が見事。この大ホールはすごいロケーションだ=深夜風呂でこの日2尾目のさんま10号
27日(日)朝から体育祭。同級生やら何やらたくさん会った~神社自治会館で慰労会~マンガ持ってMマ君が登場~ダイジェストで確認。馬券はオールカマー4830円だけ的中
サッカーはCL2ゲーム、スタンダール:アーセナル、インテル:バルサ。購入ウィスキーはアーリータイムズ1本。前回忘れた劇場映画とともに調整
【カウンター09】まとめて
ラーメン1/101 他外食1/37 外飲み1/65 アウェイ飲み2/17 音楽ライブ1/5 劇場映画(前週調整)1/30 自宅サッカー2/32.2 購入ウィスキー1/56 さんま2/10
おかげさまで9月26日。46歳になりました。
昨年の45歳には「“45”(rpm)」の方針として、
●ネット内
1)「週間日記」は遅れない
2)「読書、音楽、映画」の強化
3)社会的発言の増強
●ネット外
1)文芸復興
2)音楽自演
昨年の記事
と大風呂敷を広げたのですが、まったくできていません。
なので、46歳ではこの重点目標を継続課題として、まず結局張り替えてさえいないアコースティックギターの弦あたりから取り組もうと思います。
今、巷をにぎわせるビートルズに、ポールの、これは近田春夫が嫌いといいそうなブンチャッ、ブンチャッの When I'm Sixty-Four という、これは悩んだ末に映画ベスト90でジョージ・ロイ・ヒルの1本として選んだジョン・アービング原作『ガープの世界』のオープニングで使われた佳作;そういえば昨年 「"The World According to ..."(~による世界の成り立ち)」というタイトルで書いたことがありました:がありますが、ただ、64歳まで生きていたら "When I was forty-six..." と思い出せることが多い、そういう一年にしたい、というにとどめます。
でも、どうせかわりばえのない一年なんだろうな。だいたい、過去の出来事を「あれは○歳の時」と思い出すことは全然なくて、「1989年」とか「ナリタブライアン三冠馬になった年」とか「○○が中3の時」とかで思い出すことしかないから、「46歳の時」なんてどうでもいい。
だからきっと来年には同じことをいってる。だけど、きっとそうやって過ごす一年の方が、「あの年は~だった」っていう年よりずっといいはずです。
といいつつ、「46」で忘れられない話を。昭和40年代にロッテ・オリオンズのエースとして活躍した成田文男の話で、野球物語では畢竟の傑作近藤唯之『背番号の運命』に出てきたのを小学生の頃読みました。
1964(昭和39)年、後に名球界入りした山崎裕之(上尾高)、慶応で4番を打った外野手井石礼司とともに球団代表の前に来ていた成田は、山崎には名内野手の長嶋、千葉より若い「2」を、井石にはヘイ際の魔術師・平山と同じ「25」を用意しているときいた後、代表にこういわれる。
「ああ、成田君か―君の背番号はまだきめていないんだよ。そうだなあ、40番以上だったら何番でもいいよ」
悲しみに熱くなった成田は代表にいったという。
「46番にしていただきたいと思います」
成田が選んだ「46」とは、修徳高のエースとして出場した第46回甲子園大会。その「46」を背負ってロッテのエースとなった成田は、やがてエースナンバー「18」に替えた。
成田の「46」を物語った後、いわゆる近藤節がうなる。
「背番号は符牒ではない。人生だ」
46歳になって、成田の「46」のような数字を持たないこと。それは決して悪いことでないと思う。
"When I was forty-six..."
といいかけて何も思い出せないような、そんな一年がいい。
(ここんとこビートルズばっかりきいてたので、いろいろCDを引っ張り出してきいた。仕事したりしながら今日きいたのは、ルース・ファー~キャット・パワー~アル・クーパー~ドッヂーで、今はこれは秋らしい一枚、コステロ+バカラック)
リクエストあったので、どうやってもうまそうには撮れない海苔巻いただんご。味のりがなく焼き海苔になった。誕生日にはいつもだんご 09/26 13:18
4名全員同じフレームに入ることはあまりありません 09/29 10:50
不思議な授受乳1 09/29 10:44
不思議な授受乳2 09/29 10:47
世代交流 09/29 12:11
誕生日の朝、おとなと中学生 09/26 06:52
誕生日の晩、おとな。今年もよろしく 09/26 18:21
遅ればせながら46才のお誕生日おめでとうございます。
9月26日は天秤座ですね。
風水的には僕と同じ「風」のグループでした。
「風」は一つの場所に落ち着かず、流れる性質。
そして周りに影響を与えながら、生きてゆくんですね~!
同じグループは仲がいいといいます。
さらに相性のいいグループは「火」のグループ。
牡羊座、獅子座、射手座
相性の悪いグループは「土」のグループ。
牡牛座、乙女座、山羊座
・・・と言うわけで、これからも5才違いですが決して長すぎる年齢差とも思えません(笑)ので、よろしくお願いします。
そう、天びん座は「風」とありますね。火、地、風、水のなかでは、やはり「風」でうれしいです。
5歳と思って、正やんの±5を調べると、1946年は吉田拓郎、杉田二郎、1956年は石橋凌、長淵剛の名があってなるほどと(4~12月)。
杉田二郎と正やんは伊勢崎でいっしょにみました。
これからもよろしくお願いします。