小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

「メルルーサのえらにかけて!/時には人間も通る」(06/15~21)

2009-06-25 02:28:21 | 週間日記
今年も元気な裏のあじさい 06/20 12:59


水曜夜になりました。先週日記です。

●6月
15日(月)朝寝てたら弟から電話で急遽撮影に~帰り、ササイでフォアローゼス1000円~完了宣言のムック、追加で調査少し
16日(火)部活大会のため塾は中止~同級生Mト君と雷文へ。話題の未表記メニュー・かしら入りラーメンも
17日(水)朝はいつもの原稿~前日Mト君と話題になった満帆太田店、こじめん野菜増し
18日(木)昼の仕事はずっと録音起こし~夜、OBのMマ君、Mダ君登場
19日(金)中1塾は計画していた「国語・リテラシー」として「新聞投稿欄まとめ」を実施~~ウィスキーがなくなったので出撃。ついでに奈良・永華で味噌ラーメン。ウィスキーは西友でアーリータイムス998円だったかな~Mト君絡みの新プロジェクトの一角、OBのMマ君登場~何回かに分けてみた、新藤兼人『絞殺』(1979)をみおわる
20日(土)朝、起きたらMト君から連絡があり、五家寶Nラ君が実演販売をするというのでみにいく。これはかなりおもしろかった~昨年も行ったMixi経由横浜方面、Xさん、Pさん、こちらは東京からのWさんと横浜スタジアムでBスターズ:ホークスは球場新記録という9本塁打の派手なゲーム。やっぱり野球観戦はいい。江夏にフォームが似てる大隣がみられたのはうれしかったし、金城のヒットもよかった。ゲーム前と後にビール、球場では吉野家・豚丼~往路読み始めた福田和也『悪の読書術』、復路で残りわずかになったので帰ってから読了~帰りの代行は、コース変えてみたが料金は同じだった
21日(日)起きてだらだら馬券買っても当たらず~畑のシソ入りきゅうり、タマネギ冷奴、親じゃがバターなど製作。直前に父親が二階に上がり、降りてこないので死んだかと思ったら寝ていた~しばらく放っておいたルイス=セプルタベ『カモメに飛ぶことを教えた猫』読了

【カウンター09】
ラーメン2/74(迷った末、クリエイティブなあり方に敬意を表して雷文・かしら入りは外飲に含む) 他外食1/21 外飲み1/40 読了書2/10 自宅映画1/10 生野球1/1 購入ウィスキー2/36

こねこの話では、Bチームの1名が死んでしまいました。
理由はわからない。前の日まで元気だったのが急に元気がなくなったら、次の日には死んでしまいました。
ほかのこねこと違って逃げない。だったので、中学生の多くがなでていたので、言いづらい。死んじゃったんだ、すみません、と伝えた。
「えーっ、私たちが触っちゃったからかな」と驚くのに、理由はわからない。わからないけど、触っちゃったから死んだということはない、逃げないっていうのは、やっぱりほかのこねこより弱かったのかも知れないけど、何が理由なのかはわからない。たとえば、19世紀英中印の三角貿易や、#1つの明るい曲はト長調なんていうのは答えが決まってるからいいけど、わからないことをわからないと伝えるのはよっぽどむずかしい。

「メルルーサのえらにかけて!」
チリ出身、ドイツ・ハンブルグ在住の作家の小説に出てきた、世界中を旅してバルト海でかわいいカモメと出会ったこともある「向かい風」という海の猫は、何かいうたびに「カマスの歯にかけて!」「フカのひれに誓って!」なんていう。それで、カマスやフカはいいのだけれど、メルルーサってどんな魚だ。この「わからない」はわくわくする。ねこなんてわからないことだらけじゃないか。

先週触れた言葉で、一番驚いたのはすでに何度も取り上げている毎日夕刊『水脈』の荒川洋治から、「散文がつくる世界」。
「日本で見かける文章の、九九%は、散文である」と書いてから「散文以外の世界を知らないまま人も言葉も動く」とベストセラーの状況などに触れた後、いきなり「散文は、異常なものである」と、これはヴィトゲンシュタインのような言語と事象のずれを異化し、ネット言語の社会性という、これはどちらかというと耳新しくないテーマで休んだ後、これまた唐突に梅崎春生「庭の眺め」(『幻化』一九六五)の一説が登場する。これはもう、引用するしかない。

……庭に鳥や猫が入ってくる。「時には人間も通る。一度などは、馬が通過したこともあった」。
 これにはおどろく。「人間も通る」。「馬が通過」する。その接続のようすがおもしろい。空気だけでなく、不思議な水の流れのようなものを感じる。軽やかに書いているようにみえるが、散文を書くことはたいへんなんだろうなとも思う。よろこびだけではない。人が社会にかかわるときの、哀調のようなものが散文には感じられる……
(略)
……散文が意識の全体を支配すると、生き方や感覚は、どう変化するのか。何が損なわれるのか。何が見えてくるのか。そのことはまだわかっていない。散文は理解されていないのだ。

そうか、散文はたいへんなんだ、理解されていないんだ。
わかる三角貿易やト長調より、わからない散文がいい。なんてったって哀調だ。

「エイのしっぽにかけて!」

(BGMはAccuradio Latin Infusion から、Imeemで集めたAjico http://www.imeem.com/people/FwgvvZ_/playlist/UnzN5zSr/artist-ajico-music-playlist/。CDも持ってるアルバム「深緑」は2001年のベストワンだった)

五家寶職人Nラ君の実演販売 06/20 11:16


こうみると野球観戦はかなり不思議な風習 06/20 20:51


傍観者≒空気入れ 06/19 15:42


「ティーのしっぽが通る」 06/19 13:03


ひるねにドクダミにおわない 06/19 13:02


午前中の休憩 06/22 10:47
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