小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

「どこかに美しい村はないか/これ以上討論を続けることについて採決する」(06/01~07)

2009-06-11 19:40:42 | 週間日記
意外に上昇志向な集団 06/09 10:56


おっと、毎週更新は達成。木曜の先週日記です。

●6月
1日(月)朝、しばらくほっといた佐藤正午『アンダーリポート』読了~昼は仕事~ラーメンを食べようと四華郷に行ったがなぜか開いていず、何となく熊谷の街に出て永楽でラーメン+餃子~ブックオフに寄り新書5冊購入は書名メモ:高田理恵子『グロテスクな教養』、瀧井宏臣『農のある人生』ここまで350円で以下105円、福田和也『悪の読書術』、森浩一『地域学の進め』、千住博『絵を描く喜び』~西友でティーチャーズ1080円やキャネット~帰っていろいろしようと思ってたがすぐ寝てしまう
2日(火)昼は原稿、晩は塾
3日(水)朝、寝てたら父親が来て、叔父が死んだらしいので入院先の長瀞まで運転できるかというので、途中叔母も一人乗せて行く。腎不全~帰ってずっと原稿、途中連絡など~深夜、弟と叔父と従弟がいるお寺へ
4日(木)昼は原稿~叔父の通夜
5日(金)叔父の葬儀。朝は火葬場で先月ウー救助の植木屋兄弟と兄の奥さんに会ったら兄弟のいとこが亡くなったらしい。前日、通夜の時、亡くなった叔父の娘でなんと臨月の従妹とは同級生である救助植木屋の話をしていた~2日間、叔父の話のほか、しばらくぶりや初めての親戚からいろいろ話をきいてためになる~晩は塾。中学同級生の息子が来ないので電話すると中学生の本人が出て「お葬式だってきいたんです」。さすがは農村社会、近所情報が早い
6日(土)朝からずっと原稿。競馬もメインだけ~同級生M君の幼稚園PTA仲間で、この間、取材にも協力してもらったMさんが単身赴任の農村を去るので幼稚園PTA、子ども含めた送別会に
7日(日)朝からずっと原稿。競馬もメインだけ~同級生M君が餃子を食べに来ないかというので行く

【カウンター09】
ラーメン1/70 外飲み1/35 アウェイ飲み1/10 読了書1/7 購入ウィスキー1/33

昨日の10日水曜から木曜朝までの記。
昨年は24人中22位という成績で、げげっ、というしかない負け分の支払いと、撤退を考えつつもこれで引いたら二度と勝てん、と意を決し、POGドラフトのために、大塚に出かけようとしたら、今年最初のゲリラ豪雨に襲われた。庭で遊んでいたねこども、それぞれ軒下にたったかた。
ずっと仕事してる馬券の鬼;しかし当該POGは一昨年の大敗で昨年中断:と電話し、今北埼玉ゲリラだよ、これじゃ車までたどり着くまでにびっしょりだよ、何ていってたらゲリラは去り、馬券の鬼より「じゃあ、リスク回避のためタッグで5頭ずつにしませんか」とオファーがあり、よしそれだ、でも、馬券の鬼、頼りになるかな、と雨上がりの農村を駅まで車で走る。さすがはゲリラだ。駅周辺に雨の痕跡はない。

熱いドラフト会議と恒例の勝者ふるまい反省会で世はふけ、大丈夫かなと思って赤羽に行ったが最終は5分くらい前に発っていた。最終で帰っても、駅から代行1200円だからと1000円ネットカフェ朝までにして、サントリーの新たな第3のビールを一本買い駅前で。ラーメンでも食うかと、確か母方の叔父の勤務先で成人式のスーツを買いに来たことがあったとアーケードを通り、見つけたラーメン屋で味噌ラーメンを食べていると、年配のマスターと若者二人連れが昼に交流レースを勝ったメイショウバトラーの話。近くの店のママらしき年配レディも静かにきく競馬談義になんとなく加わって、若者の一人も日曜にドラフトに行くというPOGの話も含め20分くらいしただろうか。見知らぬファンとのこういう話は競馬ファン冥利につきる。何度も寝ている駅前のネットカフェで、PCのスイッチを入れたら次の瞬間は朝六時前だった。

混み始めた上りを見送って、高崎線下りのボックス席を一人で占領してバッグの3冊から読み始めたばかりの瀧井宏臣『農のある人生』を広げると、茨木のり子の『六月』という詩の言葉が心に飛び込む。

・・・
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬をたてかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれ色した夕暮れは
若者のやさしいざわめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となってたちあらわれる
・・・

思い出したのは少し前に毎日夕刊で読んだ次の言葉だ。

・・・
帰りたい:肉声再生・プレーバック ナーンセンス!=玉木研二
 これ以上討論を続けることについて採決する。 1969(昭和44)年5月

 ある時代のある世代が、前後の世代には理解できない固有の言葉や論理を持つのは不思議ではない。竹の子族と呼ばれた少女たちが中高生の親になり「近ごろの子は何考えてんだか」とぼやくように。

 しかし、40年ほど昔、「全共闘世代」なるものが編み出した言葉遣いや理屈、流儀はいったい何だったのだろう、と今さらながら思う。

 24日の土曜の夜、フォークゲリラのメッカ(もともとは大阪に始まったといわれる)東京・新宿駅西口。集会やデモの学生たちと若い男らが衝突、なぐるけるの応酬になった。学生が「討論集会で話をつけよう」と叫び、全員手と足を引っ込め、輪になって座った。そういう時代である。毎日新聞は「裁判が始まった」と、やりとりを掲載している。

 <学生=いきなりこの“右翼”がなぐってきた。
 “右翼”=おれもなぐられた。右翼だからといってなぐっていいという法があるか。
 学生多数=ナンセンス>

 こんなやりとりが30分ほど続き、議長の学生が冒頭の言葉を発した。「ええかげんやめようや」ではないのである。挙手の結果、論戦は午後9時15分終了と記事は報じている。

 この年1月に東大安田講堂が陥落。5月時点でも全国の43大学でなお紛争は続き、10万の学生が授業を受けられないでいたが、潮目は明らかに変わって、学園紛争と若者の政治の季節は終幕に近づいていた。

 さて40年。あの夜なぐり合った若者ら。老いてなおどこかに所を得て「ナーンセンス!」「よし!」なんて叫んでいるか。(専門編集委員)

毎日新聞 2009年5月28日 東京夕刊

・・・

茨木作がいつ書かれたかは知らないが、おそらく、フォークゲリラとそう変わらない頃だろう。玉木記者が書くように、この時代の言葉を読むといつも思う、茨木は世代的にはずっと上だが、この時代に発せられた「言葉遣いや理屈、流儀はいったい何だったのだろう」と。
そういう時にいつも感じるのは、この時代の信じる力の強さだ。茨木はコミュニティの、フォークゲリラはコミュニケーションの可能性を信じて疑わない。

40年が過ぎた私たちの村や街は、40年前より多くのものを手に入れてきたし、ある意味では“うつくしい”ともいえる。手に入れたものたちがまだ手に入れていなかった頃をなつかしむのはおかしいし、時間は40年前には戻らない。
そして、40年間に手に入れていないものもたくさんあるだろう。手に入れたもののうつ美しくないものは少しずつ捨てて、手に入れていないものを組み立てる。それが進み過ぎた社会の役目ではないか。

「したしさとおかしさとそうして怒り」

(BGMとしては、Yahoo動画でみられるのがうれしい西武:阪神を隅に置きながら、Accuradio Singer Songwriters をかけるという贅沢さ。なんといってもただだ、手に入れたものは多い。せっかくDH桧山が打ったけど、さっき下柳が打たれた。Singer Songwriters は Rhett Miller というのから Ray LaMontagne というの。よし新井が打った。Singer Songwritersはコステロ~エルトン・ジョン~ヴァン・モリソンとはすごい)

 茨木作は個人の方のブログから
 毎日記事(期間限定):http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090528dde012040045000c.html
 からコピーさせていただきました。

石ころと不思議な団欒 06/01 07:03:16


その20秒後。
選手2名とレフリー、興味のない観客 06/01 07:03:36


進出を始めたミシビシのBチームより色つき組2名 06/09 10:59


陽当たりのいい母休み 06/01 11:40
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