18日は昨年私の膝の上で息を引き取った祖父の命日です。生きていれば今月の29日で百歳でした。法事は先週でしたが、一周忌にちなんでその4年前に祖父より一足先に92歳でこの世を去った祖母の思い出とともに考えたことを。
数ヶ月前のある朝。洗濯物を干しに行ったら、父がスイッチを入れた洗濯機が途中で止まっていた。
「これ、ふたが開けっぱなしだと勝手に異常だと思って電源が切れちゃうんだよ」「そうか」。まぬけだが、考察~仮説と進む極度に初歩の“科学的”な父子の会話だ。
その時生前家族の洗濯物を洗ったり干したりしていた祖母が、10年ちょっと前にこのファジー洗濯機が来た時にいっていたことを思い出した。
「これ押したら、絶対ふた開けちゃだめなんだって」。今までで最大の洗濯機を持って来た電気屋の言葉を、おかみの言葉であるかのように大事に守り続けた祖母。「1時間ぐらいぐるぐる回ってるんだよ」と止まるのをじっと待ってから楽しそうに洗濯物干しを始める祖母にとって、絶対開けちゃいけないふたは、疑いようもなく絶対開けちゃいけないものだった。
今から2年前の春。その年の冬まではねぎをつくっていたもののだんだん動かなくなっていた祖父に、「そろそろナスとかキュウリとか植えなくちゃだめだよ」といって種屋で苗を買い、もう穴は掘れなかった祖父の代わりにスコップで穴を掘った。
「このへんでいいんかい」ときくと、「もっとつめんだよ」と祖父。「昔っからねえ、葉っぱで地面が見えなくなるくらいに植える、っていったんだよ」といいながらこれまた楽しそうにナスの苗を穴に埋め、そうするのが当たり前のことのようにわらで苗を覆う。確かこのナスやキュウリは、死んだ時近所の人に“百姓の神様”といわれた祖父の最後の作物になった。
科学的に考えるのが当たり前になった私たちは、ふたが開いたままだとセンサーが働いて洗濯機が止まるのだろうとか、狭い耕地をいっぱいに使わなければならない昔ならいざ知らず、広い場所があるのだから十分隙間を取って植えた方が栄養が行き渡るとか考えるが普通だ、
宗教学者、山折哲雄が、「考えるとは疑うこと」「信仰の言葉と科学の言葉は違う」と書いていたのをよく憶えている。祖父や祖母にとって日々に行うことは、どうしてというものでなく、こうするべきというものであり、いいかえればそれは信仰といっていいだろう。
まだ二人とも丈夫だったある秋の日、骨折して入院していた祖母のところに祖父を連れていく途中、傾きかけた陽を見て祖父に「ずいぶん、日が短くなったね」というと、「んーっ」と目をつぶってよく考えた後でこういった。「んーっ、太陽が地球の回りを回ってるんじゃなく、地球が太陽の回りまわってるんだんべな」。んーっ、「そーだよ」といった後思わず笑ってしまったが、尋常高等小学校では「アマテラスオオミカミ」しか勉強しなかっただろう祖父は、どこでおそわったか地動説を知っていた。
中途半端に賢い私たちは、たとえば先週の衆院選。今回はおもしろいとか、でもおれが投票しても世の中なんか変わんねえよとか勝手なことをいっている。これに対して祖父や祖母は、元気でいる限りは必ず参政権を行使していた。
現在我が家の洗濯物は主に私が干し、畑は73歳の父が耕している。洗濯は効率を考えて2日に1回でいいやとか、こうやって3つのハンガーを回転させると完璧だなどと、畑はこのくらい開けて植えるといいとか石灰が足りないとかいいながら祖父と祖母の仕事は受け継がれて父子は科学的なアプローチでそれをこなしていて、いったん科学にそまった私たちはもう信仰には戻れない。
だが、洗濯物は私が干したものより祖母が干したものの方が、ナスは父がつくったものより祖父がつくったものの方が、少しだけ柔らかく味わい深いように思う。
今日は一五夜。父は祖父がしていたようにすすきを取りに行き、祖母がしていたようにまんじゅうを並べる。
今ではもう確かめるすべはないが、祖父と祖母はなぜ月が満ち欠けするか知らなかっただろう。
(写真は2年前に祖父が隣の家にもらって植えた分け葱。減らないので今も薬味をはじめ活躍中)
数ヶ月前のある朝。洗濯物を干しに行ったら、父がスイッチを入れた洗濯機が途中で止まっていた。
「これ、ふたが開けっぱなしだと勝手に異常だと思って電源が切れちゃうんだよ」「そうか」。まぬけだが、考察~仮説と進む極度に初歩の“科学的”な父子の会話だ。
その時生前家族の洗濯物を洗ったり干したりしていた祖母が、10年ちょっと前にこのファジー洗濯機が来た時にいっていたことを思い出した。
「これ押したら、絶対ふた開けちゃだめなんだって」。今までで最大の洗濯機を持って来た電気屋の言葉を、おかみの言葉であるかのように大事に守り続けた祖母。「1時間ぐらいぐるぐる回ってるんだよ」と止まるのをじっと待ってから楽しそうに洗濯物干しを始める祖母にとって、絶対開けちゃいけないふたは、疑いようもなく絶対開けちゃいけないものだった。
今から2年前の春。その年の冬まではねぎをつくっていたもののだんだん動かなくなっていた祖父に、「そろそろナスとかキュウリとか植えなくちゃだめだよ」といって種屋で苗を買い、もう穴は掘れなかった祖父の代わりにスコップで穴を掘った。
「このへんでいいんかい」ときくと、「もっとつめんだよ」と祖父。「昔っからねえ、葉っぱで地面が見えなくなるくらいに植える、っていったんだよ」といいながらこれまた楽しそうにナスの苗を穴に埋め、そうするのが当たり前のことのようにわらで苗を覆う。確かこのナスやキュウリは、死んだ時近所の人に“百姓の神様”といわれた祖父の最後の作物になった。
科学的に考えるのが当たり前になった私たちは、ふたが開いたままだとセンサーが働いて洗濯機が止まるのだろうとか、狭い耕地をいっぱいに使わなければならない昔ならいざ知らず、広い場所があるのだから十分隙間を取って植えた方が栄養が行き渡るとか考えるが普通だ、
宗教学者、山折哲雄が、「考えるとは疑うこと」「信仰の言葉と科学の言葉は違う」と書いていたのをよく憶えている。祖父や祖母にとって日々に行うことは、どうしてというものでなく、こうするべきというものであり、いいかえればそれは信仰といっていいだろう。
まだ二人とも丈夫だったある秋の日、骨折して入院していた祖母のところに祖父を連れていく途中、傾きかけた陽を見て祖父に「ずいぶん、日が短くなったね」というと、「んーっ」と目をつぶってよく考えた後でこういった。「んーっ、太陽が地球の回りを回ってるんじゃなく、地球が太陽の回りまわってるんだんべな」。んーっ、「そーだよ」といった後思わず笑ってしまったが、尋常高等小学校では「アマテラスオオミカミ」しか勉強しなかっただろう祖父は、どこでおそわったか地動説を知っていた。
中途半端に賢い私たちは、たとえば先週の衆院選。今回はおもしろいとか、でもおれが投票しても世の中なんか変わんねえよとか勝手なことをいっている。これに対して祖父や祖母は、元気でいる限りは必ず参政権を行使していた。
現在我が家の洗濯物は主に私が干し、畑は73歳の父が耕している。洗濯は効率を考えて2日に1回でいいやとか、こうやって3つのハンガーを回転させると完璧だなどと、畑はこのくらい開けて植えるといいとか石灰が足りないとかいいながら祖父と祖母の仕事は受け継がれて父子は科学的なアプローチでそれをこなしていて、いったん科学にそまった私たちはもう信仰には戻れない。
だが、洗濯物は私が干したものより祖母が干したものの方が、ナスは父がつくったものより祖父がつくったものの方が、少しだけ柔らかく味わい深いように思う。
今日は一五夜。父は祖父がしていたようにすすきを取りに行き、祖母がしていたようにまんじゅうを並べる。
今ではもう確かめるすべはないが、祖父と祖母はなぜ月が満ち欠けするか知らなかっただろう。
(写真は2年前に祖父が隣の家にもらって植えた分け葱。減らないので今も薬味をはじめ活躍中)
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